イチロー200安打、松井秀喜50本塁打…平成の偉大なシーズン記録【打者編】

イチロー200安打、松井秀喜50本塁打…平成の偉大なシーズン記録【打者編】

現役を引退したイチロー【写真:Getty Images】

イチローは130試合で210安打、松井秀喜は日本人で唯一の50本塁打

 平成年間には、昭和の時代を更新する様々なシーズン記録が生まれている。ここでは、平成の30年間に生まれた、主要な打撃成績を振り返ろう。

○シーズン最多安打

 1994(平成6)年に、イチローが初めて200安打をクリア。当時は130試合制、200安打は夢の記録と思われたが、この年はじめて規定打席に達したオリックスのイチローが達成。以後、試合数が増えたこともあり、7人の選手がクリアしている。

1位 216安打 秋山翔吾(西武) 2015(平成27)年/143試合
2位 214安打 M・マートン(阪神) 2010(平成22)年/144試合
3位 210安打 イチロー(オリックス) 1994(平成6)年/130試合
4位 209安打 青木宣親(ヤクルト) 2010(平成22)年/144試合
5位 206安打 西岡剛(ロッテ) 2010(平成22)年/144試合
6位 204安打 A・ラミレス(ヤクルト) 2007(平成19)年/144試合
7位 202安打 青木宣親(ヤクルト) 2005(平成17)年/144試合

 イチローの記録は2010(平成22)年にマートンが抜き、2015(平成27)年に秋山がこれを更新したが、130試合制での大台突破はイチローだけ。その偉大さは色褪せない。

○シーズン最多打席

 144試合制になったこともありシーズン打席も増え、更新された。最多は、2010(平成22)年のロッテ西岡剛の692打席。206安打を打った年に達成された。

 昭和までの記録は1963(昭和38)年に南海、広瀬淑功が記録した676打席。これを2005(平成17)年に阪神・赤星憲広が689打席で抜き、さらに西岡がこの記録を更新した。

○シーズン最多本塁打

 昭和までのシーズン本塁打記録は、王貞治(巨人)が、1964(昭和39)年に記録した55本塁打。平成に入って、タフィ・ローズ(近鉄)、アレックス・カブレラ(西武)が同数に並んだが、これを抜くことはできなかった。しかし2013(平成25)年、ウラディミール・バレンティン(ヤクルト)がこれを抜いてシーズン60本とした。

 1988(昭和63)年の東京ドーム開場以降、NPBの本拠地球場は両翼90mから100m、中堅110mから120mへと大型化している。そのなかでの記録だけに価値は高い。この年のバレンティンは歴代1位の長打率.779も記録している。

 平成年間でのシーズン50本塁打は、6人いる。順位はNPB通算でのもの。

1位 60本塁打 W・バレンティン(ヤクルト) 2013(平成25)年
2位 55本塁打 T・ローズ(近鉄) 2001(平成13)年
2位 55本塁打 A・カブレラ(西武) 2002(平成14)年
8位 51本塁打 T・ローズ(近鉄) 2003(平成15)年
11位 50本塁打 松井秀喜(巨人) 2002(平成14)年
11位 50本塁打 A・カブレラ(西武) 2003(平成15)年

 日本人選手は2002(平成14)年の松井秀喜だけだ。

谷と福浦が50本以上の二塁打をマーク、三振は4位までブライアントが“独占”

○シーズン最多二塁打

 1956(昭和31)年に、山内和弘(毎日)が記録した47二塁打を1998年(平成10年)にフィル・クラークが48二塁打で更新し、2001(平成13)年には谷佳知(オリックス)が52本を記録。地味な記録だが、中距離打者の勲章と言えるだろう。シーズン50二塁打は、2003(平成15)年に福浦和也(ロッテ)も達成している。

○シーズン最多犠打

 昭和時代の最多は1988(昭和63)年、和田豊が記録した56犠打。平成に入って川相昌弘(巨人)が、1990(平成2)年に58犠打、1991(平成3)年に66犠打と塗り替えた。この記録がアンタッチャブルになったかと思われたが、2001(平成13)年に宮本慎也(ヤクルト)が67犠打でこれを更新。平成時代は、犠打が多用された時代でもあるのだ。

○シーズン最多三振

 昭和時代のシーズン記録は、1977年(昭和52年)にボビー・ミッチェル(日本ハム)が記録した158三振だったが、平成に入ってこの記録は次々と更新され、1993(平成5)年にラルフ・ブライアント(近鉄)が204三振を記録。シーズン200三振はNPBではこれだけ。NPBのシーズン三振記録の1位から4位はすべてブライアント。日本人最多は2004(平成16)年の岩村明憲(ヤクルト)が記録した173三振。平成時代は、投手がフォークやスライダー、チェンジアップなど空振りが奪える球種を多用したこともあって、三振数が増えている。

○シーズン最多死球

 昭和の記録は1952(昭和27)年に岩本義行(大洋)が記録した24死球、これを2007(平成19)年にグレッグ・ラロッカ(オリックス)が28死球で更新。ラロッカは投手に向かっていくタイプの打者だけに死球が多かった。広島時代の2004(平成16)年にも歴代3位タイの23死球を喫している。

 打撃のシーズン記録は試合数や、投打のバランス、球場の大きさなどの影響が大きい。令和の時代はどんなシーズン記録が生まれるだろうか。(広尾晃 / Koh Hiroo)

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