「男から見ても魅力的」「別格」タイガーマスクが熱弁する原辰徳の“魅力”【第1弾】

「男から見ても魅力的」「別格」タイガーマスクが熱弁する原辰徳の“魅力”【第1弾】

タイガーマスクが原辰徳監督の魅力を語る【写真:荒川祐史】

新日本プロレスの人気レスラーが独占インタで明かす“熱い思い”

 プロ野球、いや読売ジャイアンツ、いや原辰徳を愛して止まない人物がいる。新日本プロレスが誇る屈指の人気レスラー、タイガーマスクだ。現在、新日本が誇る初夏の風物詩「ベスト・オブ・ザ・スーパー・ジュニア(スーパーJr.)」に18年連続18度目の出場を果たしているマスクマンは、年の離れた20代の選手を相手に、ジュニアヘビー級戦士の頂点に立つべく奮闘している。

 6月5日に両国国技館で行われる決勝を目指すタイガーマスクが、過密スケジュールの合間を縫って「Full-Count」の独占インタビューに登場! 少年時代に憧れた原辰徳選手、勝利にこだわる原辰徳監督、そして人間・原辰徳が持つ魅力について、熱い思いを余すところなく語ってくれた。3回シリーズの第1弾では「タイガーマスク少年と原選手」をお届けする。

 ◇ ◇ ◇

――原辰徳ファンになったきっかけを教えて下さい。

「小学校3年か4年の時、新卒で赴任してきた女性の先生がすごくキレイな人で大好きだったんです。その先生が原さんのファンだったんですね(笑)。でも、僕は当時、巨人では新浦(寿夫)さんが好きで、少年野球でも背番号28だったくらい。渋いでしょ(笑)。新浦さんの笑わないニヒルな感じが格好良くて。僕、戦隊ヒーローでもイケメンの赤じゃなくて、意外に笑わない青とかが好きだったんです。

 当時、大卒ルーキーで人気だった原さんのことは何とも思ってなかったんですけど、キレイな先生の気を引こうと思って、原さんの新聞記事の切り抜きを毎日学校に持っていってました。『先生、原辰徳打ったよ!』って。先生、多分迷惑だったと思うんですよ。毎日毎日持ってくるんですもん(笑)。それから僕も原さんの格好良さが好きになりました」

――まさかのきっかけですね(笑)。

「そうなんです。そもそも、うちは読売新聞をとっていたので、11月のファン感謝デーにはもらったチケットで毎年オヤジと2人で行っていたんですよ。それでね、当たったことがあるんです。原さんの直筆サイン入りバットが。当時は後楽園球場にファンが何千人と来る中で、確か5本くらいしか当たらなかった。もううれしくてうれしくて、少年野球でも原モデルのグローブを使い始めて、背番号も8に変えてね。新浦さんはどこに行っちゃったんだって(笑)。バットもミズノに変えました。とにかく形から入ろうと思って」

「野球センスは本当にピカイチで、少年野球の選手から見ても憧れの人でした」

――タイガー少年をそこまで惹きつけた原選手の魅力とは?

「原さんは大学を出て、みんなが行きたい巨人で4番を打ったワケですよ。長嶋(茂雄)さんの再来じゃないけど、野球センスは本当にピカイチで、少年野球の選手から見ても憧れの人でした。守備だったら河埜和正さんか篠塚(和典)さん、バッティングだったら原さんを、みんな真似してましたよね。肩に顎を乗せる感じの構えとか。すごく魅力的でしたよ、男から見ても」

――スター性がずば抜けていたんでしょうね。

「そういうものを備えた4番打者でしたよ。巨人の4番と言えば、原さんとか松井(秀喜)さんがすぐ思い浮かびますね。僕たちの時代は、3、4、5番がクリーンナップというより、4番=スーパースターの打順、強打者が打つ場所っていうイメージしかなかった。僕はすばしっこかったんで、少年野球では二塁を守りながら2番を打ったり、7番に下げられたりでしたけど(笑)。

 当時、阪神には岡田(彰布)さんがいたり、広島には衣笠(祥雄)さんや山本(浩二)さんがいたり。そんな中でも原さんは別格でしたよね。華があるというか、本当に格好よかったです」

――後楽園球場にはよく通っていたんですか?

「行きましたね〜。子供の頃、20回以上は行ってますよ。全部外野席でしたけど。いつもオヤジと一緒だったんですけど、結構ミーハーで野球選手が見たくて仕方ないタイプ。選手がバスに乗るところを見に行ったりしていたんですよ。僕は勝手に一緒に連れて行かれて『あれは○○選手だよ』って教えてもらって。

 そうそう、中日に高木守道さんっていたでしょ。あの方が現役だった時、後楽園球場でたまたまオヤジが声を掛けたら、僕にボールを持ってきてくれたんですよ。それで高木さんも好きになりました(笑)」

――原選手は1981年から1995年まで現役を続けましたが、印象に残っている試合はありますか?

「子供の頃に見たシーンではないんですけど、久々にホームランを打ってバットを放り投げた時があったでしょ。あれは好きでしたね」

――1992年7月5日のヤクルト戦ですね。当時、怪我などで打撃不調だった「4番・原」が、第3打席まで完璧に抑えられていたヤクルト先発の伊東昭光から、2-4で迎えた9回1死一塁の場面で左翼へ同点2ランを打った場面でした。首位を独走していたヤクルトに、巨人が1ゲーム差まで迫って迎えた試合でもありました。

「あのシーンはやっぱり好きですね〜。その年は周りから散々言われていたわけですよ。何で使うんだとか、もう打てないだろうってね。そこでホームランを打つって。持っているな、この人って思いますよね。

 試合中の原さんのイメージって感情を爆発させるタイプではない。デッドボールが当たっても、そんなに怒らなかったじゃないですか。衣笠さんじゃないですけど、すごく紳士なイメージがあったから、あの場面は強烈な印象が残っていますね」

後楽園飯店で遭遇した原選手「オシャレで、やっぱりオーラがありましたよ」

――タイガー少年は、原選手と直接会ったことはあるんですか?

「ある日、後楽園ホールのエレベーター前にいたら、原さんがたまたま来たんですよ。2階にある後楽園飯店に行ったと思うんですが、『うわぁ〜原辰徳だ!!』って写真を撮って握手をしてもらいました。それが初対面でした。

 いまだに覚えていますよ。その日の原さんはブルーのセーターの下に白のシャツを着て、スラックス履いてね。オシャレで、やっぱりオーラがありましたよ。『格好いい〜! 原辰徳だ〜! 会えた〜!』って大興奮でした」

――プロレスラーの写真を撮りに行ったのに、原さんに遭遇ってすごいですね。

「そうそう。さらに、原さんの後からスタン・ハンセンが来るっていう、すごいシーンもありましたけど。ハンセンはロープを振り回しながら会場に入ってきて、みんな『危ない! 危ない!』って逃げ回ってね(笑)」

――当時からプロレスも野球も大好き。

「元々、野球少年だったから野球が好きだったんですけど、プロレスはプロレスで、当時は初代タイガーマスクの佐山聡さんが出てきた頃で、やっぱり好きでしたね。甲乙付けがたいくらい。それで歌手は松田聖子さんね(笑)」

――王道まっしぐらです(笑)。

「そうですよ。松田聖子か、原辰徳か、タイガーマスクか。本当にそういう時代だったんです」

(第2弾に続く)

【ベスト・オブ・ザ・スーパー・ジュニア26 優勝決定戦】
6月5日 東京・両国国技館
17時開場 18時半開始
チケットなど詳細は新日本プロレス公式ウェブサイトで。(佐藤直子 / Naoko Sato)

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