【あの夏の記憶】大谷、藤浪と「高校BIG3」称された中日濱田達郎が語る最後の夏と現在地

【あの夏の記憶】大谷、藤浪と「高校BIG3」称された中日濱田達郎が語る最後の夏と現在地

中日・濱田達郎【写真:荒川祐史】

左肘を痛めて臨んだ甲子園、当たり前とも言える初戦敗退…

 7年前の2012年、「高校BIG3」と呼ばれた3投手が高校野球の話題をさらった。花巻東の大谷翔平(現エンゼルス)、大阪桐蔭の藤浪晋太郎(現阪神)、そして、もう1人が愛工大名電の左腕エース濱田達郎(現中日)だった。プロ入り後の3人の明暗は別れ、濱田は今、度重なる故障からの復帰に向けて地道な日々を送る。毎年夏が来ると、わずかに思い出すという当時の鮮やかな記憶。圧倒的な実力で注目を集めたかつての「甲子園のスター」は、今夏を彩る大船渡の佐々木朗希投手ら「高校四天王」に抱く思いもある。

 涙はない。笑顔もない。今思えば、最後の夏が終わった高校球児らしくはなかった。2012年の甲子園。1回戦の浦添商戦に先発した濱田は、6失点完投負けを喫して不思議とこう思った。

「もう頑張らなくていい。ちょっとほっとした」

 大会No.1左腕の評価も、本調子には程遠かった。体のキレを出して球速150キロを目指そうと冬場に10キロ近く減量したが、逆効果でフォームを崩す結果に。「ムシャクシャして」と1日400球投げ込む日もあり、左肘を痛めた。最後の夏を前に、30メートルほどのキャッチボールをするのがやっとの状態。濱田にとっては、当たり前とも言える初戦敗退だった。

 自身の思いとは裏腹に、周囲の落胆は大きいようだった。観衆の視線も、報道陣のカメラも、その多くが向けられているのは分かっていた。2年秋の明治神宮大会を1人で投げ抜いて準優勝し、一躍その名は全国区に。3年春のセンバツにも出場し、いつしか「高校BIG3」という肩書きが付いていた。

 注目を全身で浴びる日々を思い返し、遠くに視線を移して言う。「あの頃は、気持ちよかったですね」。160キロを記録した大谷、日本一を掴んだ藤浪と比べても、全く気後れしていなかった。全国の名だたる強豪校との練習試合でも「打ち込まれた記憶がほとんどなくて」。積み重ねてきた結果が、そのまま自信を強固にしていく。名実ともに、BIG3の一角としての偽りはなかった。

 あれから7年。今夏も、話題の逸材たちがいる。大船渡の163キロ右腕・佐々木や星稜の奥川恭伸投手らを筆頭とした超高校級の選手たちは、時に「四天王」や「BIG5」などと呼ばれる。夏本番へ沸き立つ中、濱田は甲子園のスターの“先輩”として、彼らの胸の内を推察する。

度重なる故障により、育成選手となって今季で3年目「今は野球ができることに、とにかく感謝」

「やっていて楽しいでしょうね。だって何千、何万といる高校球児の中で、特別な存在として取り上げてもらえるのは数人。そんな状況を楽しいと受け取るか、プレッシャーだと感じるかは本人次第ですけどね。少なくとも、僕が彼らの立場だったら楽しくて仕方ない」

 重圧を上回る高揚感こそ「特別」の証し――。注目され、活躍してナンボの世界。それをプロに入ってから痛いほど味わったからこそ、余計に思うのかもしれない。

 ドラフト2位で中日に入団後、デビューは鮮烈だった。2年目の2014年5月、登板回避した川上憲伸の代わりに緊急初先発を任され、6安打11奪三振で完封。その勢いのまま5勝を挙げた。だが、暗転は思った以上に早かった。その年の8月、試合中に左肘の靭帯を損傷。2016年には開幕ローテ入りするまで復活したものの、その後も故障に見舞われ、2017年からは育成選手として再出発を切った。

 左肘などの手術は、実に計4度。ここ数年はほとんどリハビリに時間を費やし、復帰間近になって制球難に陥ったこともあった。それでも腐ることのなかった背番号203は言う。「誰しもケガをすることはある。それが僕に4回まわってきただけ。今は野球ができることに、とにかく感謝しています」。一時、制球に苦労していた藤浪の姿にも「すごく気持ちは分かる」と思いやる。

 育成になって3年目。正念場のシーズンを迎えている。春先から先発や中継ぎで登板を重ね、少しずつ兆しは見えてきた。もうすぐ梅雨が明けると、アツい季節がやってくる。「テレビで甲子園を見ると『あぁ、あの舞台で投げたんだな』って思いますね」。輝いたあのころも、地の底から這い上がろうとする今も、自らを突き動かす思いは変わらない。「誰かに負けたくない」。時の経過をあまり感じさせない童顔な表情が、再起を一層期待させる。(小西亮 / Ryo Konishi)

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