【野球と音楽】ベリーグッドマン・MOCAインタビュー 高校野球最後の夏と厳しくも愛ある“おかん”の叱咤

【野球と音楽】ベリーグッドマン・MOCAインタビュー 高校野球最後の夏と厳しくも愛ある“おかん”の叱咤

3人組ボーカルユニット「ベリーグッドマン」のボーカル・MCを務めるMOCAさん【写真:佐藤健彦】

プロ野球選手をはじめ多くのアスリートから支持される歌に隠された物語・全2回

「野球」と「音楽」という2つの世界をひとつにつなげる「Full-Count」特別企画。今回は、3人組ボーカルユニット「ベリーグッドマン」から、元高校球児のMOCA(ボーカル・MC)が登場する全2回の特別インタビューだ。今回お届けする第2試合は、野球の思い出を胸に新たな道を進むまで、そして最新アルバム『SING SING SING 7』(7月31日発売)の先に見据える夢について語ってもらった。それではプレイボール!

◇ ◇ ◇

――強豪・延岡学園高に野球推薦で入学。3年生で迎えた最後の夏には、野茂英雄氏や新庄剛志氏を育てた浜崎満重監督の下、甲子園出場を決めました、レギュラーを目指しながらも実力差を感じていたというMOCAさんは、その時……。

MOCA「もちろん3軍です。練習もずっとやってましたけど、いかにこのグラウンドをきれいに整備するかっていうことを考えてやってました。グラウンド整備のトンボまで磨いたりして(笑)。ただ生徒会長をやっていたり、みんなからの支持力だけはすごくあったんですよ。こちらの作戦通りなんですけど。

夏の県大会は20人がベンチ入りできるんです。そこで浜崎監督って面白くて、背番号を決める時、1年生から3年生まで全員に20票を与えて、誰がメンバーに入ってほしいかを投票システムで決めるんですよ。だから、エースでも投票数が低かったら背番号がもらえないっていう、そんな地獄のようなレースがであって、それで最後の夏の大会でなぜか、僕が満票で1位やったんですよ。『きたー! まさかの背番号1ちゃう?』って思ったんですけど、そこは結局20番でした(笑)」

――満票だったのに(笑)。でも、3軍だったMOCAさんが背番号20番をもらえたのは嬉しかったでしょうね。

MOCA「そうですね。県大会までは背番号20番まで登録できるんですけど、甲子園は18番までなんで、19番と20番は必然的にメンバーから外れるんですよ。だから、僕と19番だった甲斐くんの夏は県大会で優勝したところで終わり。それこそ、僕たちの『ライトスタンド』という曲そのものですよ。県大会の優勝が決まって、まず一塁側の皆さんに『ありがとうございました!』って一礼をして、次にライトスタンドに行って、応援してくれたみんなに『ありがとうございました!』って一礼をして、甲斐くんと僕は泣きながらハグしたんです。『俺たち2人は県大会で優勝して引退や。ありがとうございました!』って。

その後、甲子園への壮行会が学校の体育館で開かれたんですけど、僕は生徒会長で応援団長だったから、野球部のメンバーなのに野球部のみんなを応援するみたいな変なことになって(笑)。『フレー! フレー!』って大声張り上げてね。あの時は悔しかったです」

――もう野球はしたくない、見たくないってなりませんでしたか?

MOCA「それはなかったんです。やっぱり野球が好きで、少年野球の頃からその気持ちが全然変わってなかったというのが、今振り返るとよかったと思います。練習はめちゃくちゃきつかったですけど、一緒にしんどいことを乗り越えながら切磋琢磨する仲間がおったから、乗り越えられたと思うんです。寮を逃げ出す時も一緒やったし」

――寮を逃げ出したんですか?

MOCA「みんなで一緒に脱寮しまして。と言っても、交通手段はチャリしかなかったんでかわいいもんでしたよ。結局すぐ見つけられちゃうんですけど(笑)」

「野球で成し遂げられなかった悔しい思いを、次は音楽で…」

――(笑)苦しい中にも青春のあれこれが詰まっていて、本当に充実した高校生活だったんですね。

MOCA「充実しすぎて、大学に行ってからの1、2年間はちょっと病みましたね」

――“ロス”ですか?

MOCA「そうですね、ロスですね。だから、大学で友達ができても『そもそも友達って作ってできるもんなんか?』とか、そんな気持ちにもなったりして、18歳、19歳は大学とアルバイトに行くだけで、あとは家にずっといました。

でも、野球で成し遂げられなかった悔しい思いを、次は音楽で成し遂げたいって気持ちにはなってたんです。甲子園で負けた時に、朝日新聞の取材を受けて『野球で果たせなかったメジャーの夢を、次は音楽業界でメジャーになって果たしたいと思います』みたいなイキったことを言ったんですよ(笑)。だから、高校卒業する時に、後輩たちに『好きなもん持ってけ』って、野球道具を全部グラウンドに置いてきたんです。その記事、おかんは今も財布の中に入れてますけど(笑)」

――ご両親は「野球が終わって、ようやく公務員を目指してくれるのかと思ったら、次は音楽か!?」ってなりませんでしたか?

MOCA「おかんが『何考えてんの? 嘘やろ?』って言うから、『いや、ほんまやねん』て(笑)。どうやって音楽をやったらいいのか分からんかったんで、高校の先生に『音楽大学に行きたいんですけど……』て言うたら、先生には冷静に 『気持ちはよくわかるけど、それは無理や』って言われました(笑)。それで調べたら、宝塚造形芸術大学(現・宝塚大学)に新しくサウンドデザインコースというのができるって書いてあって、『これちゃうの? これやろ!』って。音楽の勉強しながら教員の免許も取れるっていうから、ここしかないと思って入学したんです」

――ご両親をちょっと安心させましたね。

MOCA「そうなんです。大学を卒業したら教師になってくれるんやろうって思ったみたいで、『4年間でそんな音楽なんて無理に決まってるやろ。そんな甘い世界じゃありません、音楽は』って言われました(笑)」

――ところが……。

MOCA「ところが、ですよ(笑)。4年生の時、おかんに『就職せえへん』って言ったら泣かれましたね。『そんな子に育てた覚えはない。出て行きなさい!』って言われたけど、出ていくお金もないんで、ずっとしぶとく残り続けてた。そういう22歳でしたね」

厳しくも愛のある母親からのメッセージ「はよ辞めや」

――お母さんの「やめときなさい」という言葉は、表面上の意味とは裏腹に「やめたらあかんよ」という思いを含んだ、応援の言葉だったのかもしれませんね。

MOCA「『絶対あかんで』って言った人を納得させられるまで持っていかないとダメだって教えてくれたのは母親でしたね。家で曲を作ってても『あんたの作る曲、ぜーんぶ一緒やわ。ぜーんぶ一緒に聞こえる』『あんたの曲、早すぎて聞こえへん』『はよ辞めや』って毎日言われてたんです(笑)。きつかったですよ。でも、おかんを絶対納得させたいって思ってましたから。

昨年(2018年)大阪城ホールでライブをやった後、居酒屋でおかんが『(大阪)城ホールでは涙も出へんかったわ。あんたは甲子園でメンバーには入ってなかったし、まだ目標は達成してないから。あんたが(ベリーグッドマンで)甲子園でライブしてんの見たら、お母さん泣くわ』って言ってました(笑)」

――お母さんかっこいい!(笑)

MOCA「まあ素面で言っていたらかっこいいんですけど、ベロンベロンに酔っ払ってましたから(笑)」

――大きな目標だった大阪城ホールのライブを終えて、ニューアルバム「SING SING SING 7」がリリースされました。野球の思い出と重なるような胸が熱くなるナンバーからレゲエやEDMナンバーまで、今回もいろいろなタイプのベリーグッドマンが楽しめますが、これまでよりも全体的に自然体でリラックスした雰囲気のアルバムに仕上がりましたね。

MOCA「そうですね、一番自然体なアルバムかなって思いますね。城ホールが終わって、ちょっと目標を失って、1か月くらい燃え尽きていた期間があったんですけど、『大丈夫』という曲ができたことがきっかけで、もういっぺん新しい目標に向かって頑張れそうだと思って完成させたのが今回のアルバムですね。次の目標は甲子園ですから」

――次はお母さんに泣いてもらいましょう! 最後にMOCAさんにとって野球とは?

MOCA「自分勝手な性格だった幼少期から、人間丸ごと根本から変えてくれたのが野球でした。人生そのものというか。そのくらい野球への愛とか感謝の気持ちがあります。この前、宮崎でフェスがあって、母校に行ってコーチに挨拶したら、当時の気持ちがフラッシュバックしましたね。あの頃の一番燃えていた気持ちを持ったまま、これからもやっていきたいですね。僕の息子にも野球を好きになってもらいたいです」

(終わり)

<プロフィール>
ベリーグッドマン (BERRY GOODMAN)
「Rover」「MOCA」「HiDEX」からなる大阪出身の3人組ボーカルユニット。3声の力強いハーモニーとラップ、秀逸なトラック、リリックが世代を越えた共感を呼んでおり、第1のゴールとした“大阪城ホール”でのライブは1万人即日ソールドアウトの超満員で大成功させた。次世代を牽引するアーティストの呼び声が高い。前田健太投手、鈴木誠也選手、T-岡田選手、増田達至投手から体操金メダリストの白井健三選手まで多くのスポーツ選手に愛されている。(福嶋剛 / Tsuyoshi Fukushima)

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