【U-18W杯】人間力を言葉で育てた男 前侍J監督の小枝氏から託された世界一のバトン

【U-18W杯】人間力を言葉で育てた男 前侍J監督の小枝氏から託された世界一のバトン

前U-18高校日本代表監督で今年1月に亡くなった小枝守氏【写真:Getty Images】

今年1月に逝去 高校VS大学の試合前に追悼セレモニー実施

 愛情が込められたセレモニーだった。

 今年1月に肝細胞がんのために亡くなった前U-18高校日本代表監督の小枝守氏(享年67)の追悼セレモニーが、26日、神宮球場で大学日本代表対高校日本代表の試合前に行われた。両チームがベンチ前に整列し、選手、関係者たちは大型ビジョンを見つめた。

映像で流れた小枝氏は、安堵の表情を浮かべ、笑っていた。

「日の丸、重かったですね。これでこの子達と別れてしまうのが、さみしくてならない。本当に選手に恵まれてよかったです」

 2016年BFAアジア選手権で2大会ぶりに優勝した時の監督インタビューだった。首からかけた金メダルが誇らしく、輝いていた。大事そうに「もったいのうございます」と言って、ほほ笑んでいた。

 小枝氏は、名門の日大三(西東京)、拓大紅陵(千葉)で監督を務め、春夏通じて、甲子園に10度、出場。92年の夏の甲子園は準優勝を果たした。先発完投型が主流の時代に、投手分業制を打ち立て、決勝に勝ち上がるまで史上初めて、4人が勝利投手となる偉業を成し遂げた。他にもウエートトレやサプリメント導入、積極的な水分補給など、当時では珍しかったことをどんどん、取り入れていた。常に時代の先を行っていた。

 それは、いつも相手の気持ちを一番に考える監督だから、できたことだった。

 選手にとって一番良いことは何か。自分のことは二の次で、いつも教え子のことを考えていた。拓大紅陵赴任当初はグラウンドの草むしりが早朝の日課で、幼少の頃の娘の夏休みの絵日記に、野球ではなく、懸命に草むしりをするその姿を描かれた、と苦笑いしていたこともあった。

 当時はまだ、新設校だったため、生徒たちが自信を持ってプレーでき、学校全体がひとつになれるような、オリジナルの応援曲を作ってくれないかと同校の吹奏楽部の顧問にお願いをしたこともあった。これが今では野球応援ブームの火付けであり、定番曲となった「チャンス紅陵」誕生の原点。教員として、生徒を思う気持ちは野球部員だけに留まらなかった。

 「監督は孤独な仕事」ともよく言っていた。遠征先ではほとんど外に出歩かず、宿舎の部屋の机と向き合っていた。選手にとってベストな選択は何か。作戦や野球技術だけでなく、重んじていた人間形成の面でためになるような言葉を自分のノートに記し、ミーティングなどで伝えていた。

勝利よりも人間形成 “説教”はナインの心に語り掛ける

 「技で人は動かず。心が人を動かす」

 小手先の技術だけ教えて、勝つことに意味はない。これは野球だけでなく、社会に置き換えても同じこと。心を通わすためには、重要なのは対話だった。寝る時間を割いてまで、選手のことを考えていた。時には説教もした。ただ、小枝氏の「説教」は上から怒鳴り散らすのではなく、心に響く言葉を選んで選手のハートにアプローチするものだった。教えを説く―。そんなイメージだ。

 高校野球に対しても愛情を注ぎ、日本高野連の技術・振興委員としても多くの改善をもたらしてきた。古い慣習にとらわれず、ルールや規約の変更、子供たちと野球の未来のために尽力した。若い指導者への勉強会も定期的に行っていた。自身が指揮したカナダ・サンダーベイでの前回W杯は3位に終わったため、今年の大会で悲願の世界一を目指し、課題と反省を踏まえ、進言をしてきた。一緒に大きな目標に立ち向かっていくはずだった。

 しかし、小枝氏は突然、この世を去った。これから、もっと高校野球に携わっていってほしかったという声が多く聞こえてきた。高校日本代表の監督を2年続けて務めたのは小枝氏が初めてで、高校野球に多大な貢献をしたその功績を称えることができる場面を作れないか―。日本高野連のスタッフが考えた時、拓大紅陵の吹奏楽部が応援参加する今回の高校ジャパンと大学ジャパンの試合があることを思い出した。NPB側と相談し、今回、感謝の思いを込めた追悼セレモニーが実現となった。

 ずっと小枝氏の戦いを追い続けたテレビの中継スタッフが、大型ビジョンに流すためのメモリアルムービーを制作。前回のW杯で主将を務めた清宮幸太郎内野手、2016年のBFAアジア大会優勝に貢献した堀瑞輝投手(日本ハム)、早川隆久投手(現早大)らにインタビューをし、天国の小枝氏に感謝のメッセージが届けられた。温かい時間が過ぎて行った。神宮球場に招かれた小枝氏の家族も、特別映像に感無量の様子だった。妻の弥生さんには日本高野連から感謝状が、孫たちに記念のU-18代表OBによるメッセージボードが贈られた。

 最後は三塁側に座った拓大紅陵の吹奏楽部が校歌を演奏し、故人を偲んだ。小枝氏が周囲に注いだ分の愛情が、感謝の気持ちとなって表れた追悼セレモニーだったように思う。

 映像は、W杯3位に終わった時の言葉で締めくくられていた。

「…次に託すしかないです」

 果たせなかった夢を次の世代へ―。その言葉は今回のメンバーたちの胸にも響いたはずだ。彼らの目標は小枝氏が成し遂げたかった夢でもある。魂はずっと受け継がれていく。(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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