リクエスト制度は「なくなってほしい」 元審判員が求める野球の醍醐味

リクエスト制度は「なくなってほしい」 元審判員が求める野球の醍醐味

際どいプレーも多いプロ野球。山崎氏はリクエスト制度は「なくなってほしい」と話す。【写真:荒川祐史】

球史を彩った名場面には誤審や抗議、トラブルも多くあった

 1982年からパ・リーグの審判員を務めた山崎夏生さんは、2018年に審判技術指導員を退職した後、審判の権威向上を目指して講演や執筆活動を行っている。今回はリクエスト制度について。山崎さんは「なくなってほしい」とキッパリ。リプレー検証だけでなく、機械で裁く野球が当たり前にならないでほしいと願った。

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 この仕事をずっとやってきた中で「しまった……」という裁定をしてしまい、選手でいう“2軍落ち”のようなことを経験もしました。猛烈な抗議を受けたから、一生懸命、練習もしましたし、批判されて嫌な思いもしました。でも、それがあったから、負けずにやって来ました。

 リクエスト制度が導入され、今の審判のジャッジは“仮判定”のようなものです。最終決定は機械に任せる形になっています。私もNPBという組織に属していましたので、導入が決まったリクエスト制度には最善を尽くさないといけないと思い、やっていました。でも、私は好きじゃない。人間のやるスポーツですから、人間の目で裁きたい。

 米国ではストライクやボールという判定も機械でという流れも出てきています。そのうち、センサーをつけて、一塁のアウト、セーフも機械になる。審判は仮判定を下す飾り物でいいのかという危機感を持っています。私はそんな野球を見る気はしないですね。一ファンとしても見たくない。

 先日、観戦した試合で、1点差の9回2死一、三塁。最後の打球がヒット性で遊撃に飛び、一塁のタイミングがどうなるか……さぁ、どっちだ!と息を飲む場面がありました。間一髪でセーフになった。静まり返ったあとの大歓声はたまらない。そういうシーンを裁くのが醍醐味でした。

 機械で淡々とでは全然、野球が面白くない。監督が血相を変えて、ベンチから出てきて、審判とガンガンやりあっての退場劇。これもプロ野球の絵です。言い方は悪いですが、抗議もトラブルもプロ野球のひとつでした。

 1961年の巨人-南海の日本シリーズ第4戦。南海・スタンカの騒動がありました。球審の微妙な判定により、1球のボールからサヨナラ負けとなり、ジェントルマンのスタンカが激昂しました。1969年の巨人-阪急の日本シリーズ第4戦の岡田球審のジャッジも大騒ぎとなりました。阪急捕手の岡村さんのブロックをかいくぐって、巨人の三塁走者の土井さんがホームスチールを成功。セーフの判定に球審に暴行した岡村さんは退場となりました。テレビの映像でもアウトに見えましたが、翌日のスポーツ新聞に掲載された写真は、土井さんの足が先に入っている一瞬をとらえていた。岡田さんはたった1枚の写真で救われました。あの写真がなければ辞表を出していたそうです。1978年のヤクルト-阪急のレフトポール際の本塁打を巡った抗議は1時間19分にも及びました。今なら3分で済む話です。野球界のトラブルには審判が絡み、歴史を作ってきました。それもまたプロ野球のおもしろさであると思うんです。

機械に頼るならばもっと設備をしっかりしないといけない

 リクエストができて、表面上では審判は誰も傷つかないです。間違いであっても結果的にリプレーで覆れば、もう誰もそのジャッジを覚えていないでしょうね。こんな野球、面白くないとファンも言えばいいんです。リクエスト制度なんて、ファンに拒否してもらいたいんですよ。中断も多いし、ゲームの終盤、そんなプレーにリクエスト使うのかよというダメ元リクエストってやつも好きじゃない。権利が残っているからただ使うだけで、試合の流れが止まってしまう。ただ、リクエストについては、現場からは、正確なジャッジをしてもらうから、ありがたいという声はあっても、否定的な意見は出てこないと思います。

 機械の弱点だってあります。NPBでは各球場にテレビ局の中継画像があるだけ。それも2つか3つしかない。韓国やアメリカは大きなモニターで鮮明、スーパースロー再生もできる。アメリカの「チャレンジ」は、12?20台くらいの専用カメラを設置してニューヨークに検証センターを作って、審判も増やしました。現場の審判ではなく第三者に任せる。もしも日本だったら、同じクルーの審判が当該の審判に言うことになりますが、これは若い審判は先輩のジャッジについて、言いづらいと思います。

 人間が判断するから、機転を利かせて、想定して、瞬時に動くことできる。経験から一番見えるところに立つこともできる。しまったという顔をしているとか本当に痛がっているとか、そういう隠しきれない選手の表情も情報のうち。音だってある。機械は読み取ることができません。機械に頼るならばもっと設備をしっかりしないといけないと思います。(山崎夏生/Natsuo Yamazaki)
1955年7月2日、新潟県上越市生まれ。64歳。新潟・高田高、北海道大学で主に投手として硬式野球部でプレー。1979年に新聞社に入社も野球現場への夢を諦められずプロ野球審判員を目指す。1982年にパ・リーグ審判員に採用され、2010年まで審判員として活躍。その後はNPBの審判技術指導員として後進の育成。2018年に退職。現在はフリーで活動し、講演やアマチュアの審判員として現役復帰し、野球の魅力を伝えている。

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