球団タイ1試合7発の日本ハム、ロッテとの数奇な運命

球団タイ1試合7発の日本ハム、ロッテとの数奇な運命

日本ハム・栗山英樹【写真:石川加奈子】

67年前の1試合7本塁打も5月に起きていた…

 5月12日、東京ドームのロッテ戦で、日本ハムは球団タイとなる1試合7本塁打を記録した。大田とレアードが2本塁打ずつを記録。ロッテ先発の涌井は自己ワーストの6被弾だった。

大田 2号(2回 涌井)
近藤 3号(3回 涌井)
レアード 8号(3回 涌井)
西川 3号(4回 涌井)
レアード 9号(5回 涌井)
大田 3号(5回 涌井)
中田 3号(5回 大嶺祐)

 日本ハムが1試合に7本塁打を放ったのは、東急フライヤーズ時代の1950年5月31日、市川国府台球場での毎日戦以来の出来事だった。当時の7本塁打を振り返ってみよう。

保井 1号(1回 上野)
常見昇 1号(1回 上野)
保井 2号(3回 上野)
常見昇 2号(4回 上野)
溝上 2号(5回 佐藤)
保井 3号(8回 萩原)
片岡 7号(9回 萩原)

 毎日オリオンズは千葉ロッテ・マリーンズの前身チームなので、奇しくも67年ぶりに同じ5月に同じカードで記録が生まれたことになる。3本塁打した保井浩一は、1950、51年と2年だけプロに在籍し、通算10本塁打。そのうち3本をこの日に打った。

 実はこの試合、東急は7本塁打しながら11-23で大敗している。市川国府台球場は両翼91メートルだが、左右中間のふくらみが少ないために本塁打が出やすく、乱打戦が多かった。

 チームの1試合最多本塁打記録は9本となっている。1951年8月1日の松竹(阪神戦)、1976年9月19日の阪神(広島戦)、1980年8月9日の阪急(近鉄戦)、同年10月3日のロッテ(近鉄戦)と4例ある。

 日本ハムの1試合7本塁打は、パでは3位タイの記録となる。

東映時代には延長戦で7本塁打を記録、その相手とは…

 なお、東急と日本ハムが7本塁打を放った2試合は9イニングでの記録だが、同じく日本ハムの前身である東映フライヤーズは延長戦で7本塁打を記録したことがある。これは球史に残る破天荒な試合だった。

 1971年5月3日に東京スタジアムで行われたロッテ戦の7本塁打を振り返ってみよう。

萩原 3号(5回 池田)
大杉 5号(9回 池田)
作道 1号(10回 佐藤元)
大下 2号(10回 佐藤元)
大橋 5号(10回 佐藤元)
張本 6号(10回 佐藤政)
大杉 6号(10回 佐藤政)

 何と延長10回に、9番代打の昨道から5者連続本塁打が飛び出したのだ。これは当時の1イニングのチーム最多本塁打記録。1986年8月6日に西武が近鉄戦の8回に6本塁打を打って、イニングあたりの最多本塁打数は更新したが、5者連続本塁打はいまだに破られていないNPB記録だ。

 この日の試合、4者が連続ホームランを打った時点で、客席は大盛り上がりだったという。さらに、ここで打席に立った4番大杉が豪快なスイングで5者連続本塁打とすると、左翼席に飛び込んだ打球は奪い合いとなった。試合後のインタビューで、張本、大杉は「もちろん狙っていた」と語った。東京スタジアムも本塁打が出やすい球場として有名だった。チームは14-8で延長戦を制した。

 よくよく見てみると、この延長戦での記録も5月、しかも相手は同じロッテで生まれている。つまり、日本ハムは1試合7本塁打のチーム記録を、ロッテ戦で3回記録しているのだ。よほど相性が良いというべきか。

 日本ハムには辛酸をなめさせられているロッテだが、今季中にも大きな記録を樹立して仕返ししたいところだ。

広尾晃●文 text by Koh Hiroo

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