高校代表落ち、指名漏れから奮起 大学生捕手が叶えた夢、次は共にスタメンで

高校代表落ち、指名漏れから奮起 大学生捕手が叶えた夢、次は共にスタメンで

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夢を叶えた富士大4年・小林遼、「恥ずかしいプレーはできない」

 第41回日米大学野球選手権大会が12日からアメリカで始まる。8月には台湾で第28回ユニバーシアード競技大会が行われ、2つの国際大会に挑む侍ジャパン大学代表。富士大4年の小林遼捕手はある思いを持って、日の丸を背負う。

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「(代表入りは)素直に嬉しいけれど、やった、という気持ちより、恥ずかしいプレーはできないなと自覚と責任を感じました」

 初の代表入りに気を引き締めた小林。選考会では「守備で手応えがあった」と話す。

「ミスもなく、ランナーも刺すことができた。ピッチャーとのコンビネーションもうまくできたと感じました。自分から声をかけ、どういう球で押さえるかと細かいことも聞いて、いい感じで組むことができましたね」

 関大・阪本大樹、日体大・松本航、国際武道大・伊藤将司(日米大学選手権のみ参加)らをうまくリード。大学では1年秋から正捕手となり、昨年までは阪神・小野泰己、一昨年までは西武・多和田真三郎とバッテリーを組んだ。「多和田さんはボールが浮いてくる感じで怖いですよ。小野さんは上から投げおろして、ガーッと来る感じ」。タイプの異なるピッチャーを巧みにリードした経験も生きた。

高校代表落ち、指名漏れの悔しさバネに成長

 悔しさをバネにしてきた。宮城・仙台育英高では、2年秋の明治神宮大会準決勝で先制3ランを放つなど、初優勝に貢献。センバツ大会直前からは、さらに打力に磨きがかかった。夏の宮城大会では、決勝の初回に5点を失う劣勢も、9回2死満塁から押し出し四球でサヨナラ勝ち。その四球を選んだのが、小林だった。

 身長170センチそこそこと小柄ながら、打力とリードが評価され、プロのスカウトも注目。秋にはプロ志望届を提出した。しかし、ドラフト指名はなかった。高校3年の6月頃、腰痛を患い、スカウトが試合でプレーを確認できなかったことも少なからず影響したようだ。「受け入れたけど、悔しい思いはあった。大学で見返してやろうと思いました」と、岩手・富士大に進学した。

 高校時代にもう1つ、小林の心に火をつけたできごとがある。

「テレビで観ていました。敬宥が外野を守っていて、誠知が出ていない。どういうこと!?って思いましたね(笑)。でも、やっぱり、自分としては悔しくて、一緒にあの舞台に立ちたかった。なので、大学ではJAPANになるって思いました」

 仙台育英高のチームメートである上林誠知(現ソフトバンク)と熊谷敬宥(現立教大)は高校の日本代表として日の丸を背負った。外野手の上林は夏の甲子園から調子を落とし、テレビの向こうでは、本来、ショートである熊谷が外野で試合に出場していた。

叶った夢、次は「一緒にスタメン」で

「誠知は帰ってきてからも悔しがっていました」。プロ4年目の今季、ソフトバンクの外野の一角を担っている上林。高校時代のチームメイトたちは、その凄さを身近で感じ続けてきた。だからこそ、小林は「誠知の悔しがっている姿を見て、自分も頑張らないと、と思いました」と奮起。高校で代表入りできなかったこと、ドラフトで指名されなかったこと、様々な悔しさが小林のエネルギーとなり、大学でのさらなる成長を支えてきた。

 今回、ともに代表入りした立教大・熊谷とは、互いに主将として大学選手権で対戦。「相変わらず、守備がうまかったです」とショートの守備力を認めながらも、「打ち方を見て、インコースを攻めようと思いました。それで、内角を攻めてうまく抑えることができました」としてやったりだ。それでも、試合には敗れ、立教大はそのまま日本一に。やはり、ここでも悔しさを味わったが、4年の時を経て、熊谷と「JAPAN」が輝く同じユニホームを着られることは喜びもひとしおだ。

「敬宥とは一緒にプレーしたいと思っていたので、夢が叶いました。一緒にスタメンで出たいですね」

 高校時代に誓った大学での代表入りを果たした小林。あとは、日の丸の誇りを胸に暴れるだけだ。(高橋昌江 / Masae Takahashi)

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