後に知った恩師の涙 日産野球部休部から再出発した左腕の「第2の野球人生」

後に知った恩師の涙 日産野球部休部から再出発した左腕の「第2の野球人生」

JR東海・秋葉知一【写真提供:秋葉知一】

都市対抗10年連続出場、左腕・秋葉が抱く久保監督への感謝の思い

 NTT東日本の優勝で幕を閉じた都市対抗野球大会。今大会では6選手が10年連続出場の表彰を受けた。その中の一人、JR東海の秋葉知一投手(34、今大会はホンダ鈴鹿の補強として出場)は、特別な思いを胸に抱いていた。

 2005年に日産自動車野球部(2009年休部)に入部。しかし、入部から3年間は全く試合に出られない日々が続き、初出場は4年目の2008年だった。日産自動車は2005年、2006年の都市対抗で2年連続準優勝に輝いたが、この2年間、秋葉は東京ドームのグラウンドに立つことさえできなかった。?
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「準優勝に輝いた2年は、裏方の仕事をしていました。決勝戦の試合前、選手が整列して挨拶をする姿をベンチ裏の小さい窓から見ていました。30メートル先には、いつも一緒に練習しているメンバーがいるのに、そこに行くことが許されない。みんなはユニフォームを着ているのに、僕はジャージでした。本当に悔しかったです」

 秋葉は当時をこう振り返る。

「来年こそは東京ドームのマウンドに立つ」

 2006年大会終了後にこう決意し、迎えた2007年、チームは予選で敗退。秋葉はでワンポイント登板のみに終わり、その年の秋、引退を決意した。

「何をやってもダメで、八方ふさがりでした。今までやってきたことが、マウンドで表現できない。『もう無理だな』って、諦めていました」

 そして、当時の指揮官、久保恭久監督に「辞めさせてください」と伝えた。

ようやく立てた東京ドームのマウンド、そして訪れた試練

「夜の7時頃に言いに行ったんですけど、日付が変わるまで説教されました。『3年間育ててきたつもりなのに、お前から辞めるというのはどういうことだ。あと1年やれ。それでダメだったらクビにしてやる。その代わり、お前がダメだったら、俺もクビだ。一緒にもう1年頑張ろう』。そう言ってくれました」

 秋葉は翌年のシーズンを「最後の1年」と決め、あらゆることに挑戦した。

「休みの日もトレーニングをして、メンタルトレーニングも導入しました。自分の足りないことは何かを具体的に考え、いろいろなことを試しました」

 4年目の2008年、予選を野上亮磨(現西武)とともに投げ、神奈川第2代表の座を掴んだ。そして、遠かった東京ドームのマウンドに立つ日が訪れた。

「試合自体は打たれて、初戦で負けたんですけど、それよりも『やっとここに来た』という思いが強かったですね」

 憧れの舞台に立つことができ、野球が楽しいと思えるようになった矢先に、新たな試練が訪れた。2009年2月、不景気のあおりを受け、野球部の年内での休部が決まったのだ。

「2月のキャンプの期間が縮小されたりしていたので、なんとなく察してはいました。『ついに来たか』という感じでした」

 日産自動車野球部として最後の年、都市対抗はベスト4。そして、日本選手権もベスト4と健闘し、創部50年の歴史に幕を閉じた。

「日本選手権の京セラドームのマウンドで、ショートと牽制のサイン交換をしたとき、『もうこの人と野球をやるのは最後なんだ。このメンバーと野球をやるのは最後なんだ』って思ったのをよく覚えています。準決勝で負けて宿舎に帰ってからしばらくは放心状態で、ユニフォームが脱げなかったですね」

キャンプ地で知った恩師の涙

 そして、野球を続けたいと思っていた秋葉に、JR東海から声がかかった。久保監督も「精いっぱい頑張って来い」と背中を押してくれた。

 JR東海のキャンプ地は、偶然にも日産自動車がかつてキャンプを行っていた宮崎県串間市だった。新たなチームの一員として串間を訪れた時、球場長から意外な話を聞いた。

「久保監督が、日本選手権が終わってから一人で宮崎まで来て、球場の人たちの前で大泣きしながら頭を下げてくれたよ。『本当にすみませんでした』って」

 初めて聞く話だった。誰にも言わずに宮崎を訪れ、泣きながら頭を下げた恩師の気持ちを思うと、胸がいっぱいになった。JR東海へ移籍が決まった時、副部長から受け取った手紙には、こう記されていた。

「久保監督が、朝から晩まで寝る間も惜しんで移籍先を探してくれた。それを頭に置いて第2の野球人生を歩んでくれ」

 久保監督は自身と同じ左腕で、かつて日産野球部のエースだった。言葉にすることはなかったが「自分の後を継いで欲しい」という思いを、秋葉は感じ取っていた。チームは変わっても、恩師の思いを忘れたことはなかった。

「休部を経験して、野球が出来ることが当たり前ではないことがわかりました。これからも日々感謝して野球を続けていきたいと思います」

 ホンダ鈴鹿が2回戦で敗退した今大会は登板の機会はなかった。しかし、来年は自身のチームで出場し、一度は諦めた東京ドームのマウンドで、野球ができる喜びを噛み締めながら躍動することを誓っている。(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)

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