中日岩瀬が史上最多タイ949試合登板 救援登板数はアンタッチャブルな記録

中日岩瀬が史上最多タイ949試合登板 救援登板数はアンタッチャブルな記録

中日・岩瀬仁紀【写真:荒川祐史】

登板数上位5投手の中で全く内容が異なる偉業

 8月4日、中日の岩瀬仁紀は同点に追いつかれた直後の9回2死二塁から登板し、巨人の4番・阿部慎之助と対戦。初球を右前打されて満塁となったが、5番・村田修一は3ボール1ストライクから右飛に打ち取った。チームは10回に勝ち越し、岩瀬には勝ちがついた。これで登板数は949試合になり、米田哲也がもつNPB記録に並んだ。42歳と8か月で到達した大記録だ。

○NPBの通算登板数5傑()は通算勝利数 ※は現役

1.米田哲也(阪急他) 949(350)
1.岩瀬仁紀(中日) 949(55)※
3.金田正一(国鉄) 944(400)
4.梶本隆夫(阪急) 867(254)
5.小山正明(阪神他) 856(320)

 岩瀬は2015年は1軍登板なし。昨年も15試合登板で防御率6.10だった。年齢を考えても限界かと思われたが、今季は見事に復活。6月には14試合に登板して無失点、11ホールドに加え、月間MVP、2014年以来のセーブも記録した。そしてついに、昭和の時代の大投手たちを抜き去ろうとしている。

 しかしながら、オールドファンには岩瀬の数字は額面通りには受け取れないだろう。勝利数を見てもわかるとおり、岩瀬は昭和の大投手とは内容が全く異なっているのだ。

 NPBの通算登板数5傑の先発、救援別の登板試合数を見れば、それがはっきりわかる。

1.米田哲也 949(先発626、救援323)
1.岩瀬仁紀 949(先発1、救援948)
3.金田正一 944(先発569、救援375)
4.梶本隆夫 867(先発487、救援380)
5.小山正明 856(先発583 救援273)

次に目指すべき1000試合登板、メジャーでは16人が達成

 先発、救援の分業が明確ではなかった昭和中期、大投手たちは先発の合間に救援投手としてマウンドに上がった。先発30試合、救援30試合、300イニングという数字も珍しくはなかった。先発、救援が明確に分かれた現代の投手とは別物だと言ってもよい。

 NPBでは先発、救援別の登板試合数は記録していない。米田と岩瀬はともに偉大な投手ではあるが、その内容は大きく異なっているのだ。

 岩瀬はすでに、救援登板数では圧倒的な数字を残している。

○救援登板数5傑、先発数もつける ※は現役

1.岩瀬仁紀(中日) 948(先発1)※ 
2.五十嵐亮太(ソフトB) 747(先発0)※
3.鹿取義隆(巨人他) 739(先発16) 
4.山口鉄也(巨人) 635(先発2)※
5.藤川球児(阪神) 616(先発19)※

 岩瀬はすでに、救援投手としては断トツの登板試合数を誇っている。岩瀬が先発したのは、2000年10月8日、広島市民球場の広島戦。7回を投げ自責点0(失点1)で勝利投手になっているが、他はすべて救援登板だった。

 救援登板数上位の投手も、先発登板の経験はわずかしかない。ちなみに、600試合以上登板で、先発を一度も経験していないのは、五十嵐亮太と藤田宗一(600試合)の2人だ。

 現代の野球では、先発投手と救援投手は、全く別のポジションだ。岩瀬は通算登板数で米田哲也に並んだから偉大なのではなく、それ以前から圧倒的な存在だった。救援登板数は、NPB記録の403セーブとともにアンタッチャブルな記録と言ってよいだろう。

 MLBには1000試合以上登板した投手が、ジェシー・オロスコの1252試合を筆頭に16人いる。試合数が違うから単純な比較はできないが、岩瀬が目指すべきは空前の1000試合登板だろう。(広尾晃 / Koh Hiroo)

関連記事(外部サイト)