膝の負傷との戦い、戦力外、異例の営業転身 ドラフト5球団競合左腕の今

膝の負傷との戦い、戦力外、異例の営業転身 ドラフト5球団競合左腕の今

元楽天・長谷部康平氏【写真:岩本健吾】

異例の転身1年目――楽天に残留した長谷部さんが営業マンとして感じる“熱”

 プロ野球の世界は華やかで、厳しい。選手として20年以上のキャリアを全うし、引退後も野球に携わりながら生きていくことが出来る人間はごく一部だ。20代で戦力外を通告され、新しい世界で第2の人生をスタートさせる選手がほとんどだが、その道は険しくなることもある。引退した選手がどのようにして「セカンドキャリア」を築いていくかは、プロ野球界の大きな課題とも言える。

 昨年末、「異例の転身」として大きな話題となったのが、2007年の大学・社会人ドラフトで5球団から指名を受けた元楽天左腕の長谷部康平さんだ。昨シーズン限りで戦力外となった長谷部さんに対して、球団は営業での“残留“を要請。現在、スーツを着こなして営業職に励んでいる。

 日々の生活は、基本的に9時始業で17時30分に終業。月曜から金曜までの週5日勤務で、土日は休みという生活だが、幼い頃から野球を続けていた長谷部さんにとっては、このリズムが新鮮だという。

「基本は土日休みですが、小学校2年生から野球をやっているので、32歳になってはじめて土日休みを経験しているんです。いつも『今週の土日は何してやろうか』と考えてるんですよ(笑)。すごく新鮮なので。今までは休みはあるけど、無いようなものだったんです。大学、高校も含めて、オフにも調整があったり、色々あるので、心が休まらない。

 今はこうやって土日が休みなんですけど、(月〜金の)5日間が苦じゃないんですよ。よく、『日曜日の夜になると明日から仕事で憂鬱』と聞いていたんですけど、それが全然ないんです。水曜くらいになってくると、次の次の日は金曜の夜……。金曜の夜が迫ってくるんですよ。それが嬉しいんです。で、『土日は家族で何してやろうか』って。春は春の行事に参加して、夏は夏の行事に参加できる。これもすごく楽しい。時間的なこととかは何にも苦じゃないですね」

 当初は年間シートの担当を務めていたが、5月にはスポンサー担当へと異動になった。日々の仕事については「楽しいですよ。勉強のためじゃないですけど、こういうのをやりたくて入ってきたので。やりがいがある。充実した感じです」と笑みを浮かべる。新たな挑戦を心底、楽しんでいる様子だ。

 そもそも、なぜ営業への転身を決断したのか。実は、楽天野球団から“オファー”がなくても、引退後は営業職の仕事に就く希望を持っていたという。

「僕の考えとしては、(引退後は)野球以外のことをしたかったんですよ。僕は20年ほど野球をやってきたので、これを利用して仕事をするのもありなんですけど、たった一度の人生なので、違うことにチャレンジしてみるのもいいんじゃないかと思って。やってみて駄目なら違うことにチャレンジしてみてもいいし、本当に新しいことにチャレンジしてみたいというのが一番強かったので。なので、野球以外で何かしようと考えてたんですよ。そう考えていたら、たまたまそういう話をもらったので、これはいいなと思って。『是非やらせてください』ということだったんです」

現役時代の苦しさは営業マンとしても大きな糧に

 ドラフト5球団競合左腕の営業転身のニュースは大きな話題となり、各メディアで大きく取り上げられた。現役時代には移動日以外に着る機会の少なかったスーツに加えて、ネクタイ、革靴、カバン、名刺入れなどを準備。「スーツはローテーションしながら、買い足しながら、という感じです」。長谷部さんは野球選手として体が大きな方ではなかったが、プロスポーツマンのがっちりとした体格に合うスーツは市販品で買うことができず、オーダーメイドにする必要があるという。

「でも、それはしょうがないので。大変でしたよ。最初の2か月くらいは首がめっちゃ荒れました。慣れていないので、襟でボロボロになるんですよ。動きにくかったし。でも、今は週5でスーツですから。選手の時は毎日が私服で、スーツを着るのは移動日だけ。それが逆転しちゃったので、私服は数えるほどしか残してないです。全部捨てました。スーツだけ増えていって、Yシャツは大量に必要なので増えていって、逆に私服は減っていって……」

 また、エクセルなどは大学時代に学んでいたから使いこなせる、という報道も出ていたが、「いやいや、あれはウソです。全然できないですよ」と笑う。本当にイチからスタートを切ったという。

「『A』を押したら『あ』となるくらいはわかりますよ。でも、パソコンの使い方も分からなかった。コピーの仕方すら分からなかったので。『コントロール+C』とかも知らなかったです(笑)。全部、1個1個教えてもらってるんですけど、まだ仕事は遅いですね。普通の人なら1時間くらいで終わるところを僕は3時間半くらいかかってるので。でも、充実しています。大変なこともありますけど、それはそれで全然、苦ではないです」

 現役時代から明るく、前向きで、社交的。まさに営業向きの性格に見える。ただ、本人は「どうなんですかね。全然わからないですね。相手によって、自分が出せる方と出せない方とか、多少そういうのはあります。けど、そういう方たちにどうやって違う作戦で攻めて行かなくちゃいけないかとか、そういうことは上司の人に聞いたりして、勉強させてもらってます」と言う。第2の人生にかける思いは強い。

 現役時代に苦しさをたくさん味わったことは、営業マンとしても大きな糧となるはず。プロ入り前、北京五輪予選メンバーのアマチュア選手として唯一選出され、大きな期待を背負って楽天に入団した長谷部さん。だが、ルーキーイヤーの開幕前にオープン戦で膝を負傷。プロ生活は常に膝の状態に悩まされた。2012年には手術を決断。日本一に輝いた2013年にはシーズン途中に1軍に復帰し、635日ぶりの登板を果たすと、24試合登板で1勝1敗3セーブ10ホールド、防御率1.83と好成績を残した。ただ、好投が続かなかった。まだ31歳(当時)という年齢だったが、戦力外通告を受けたときには、すぐに次の世界に進む決断を下すことができたという。

プロ野球選手として直面した「分岐点」、営業マンとして感じる“熱”

「僕は怪我持ちだった。だから、膝のバランスを崩している時にどれだけのピッチング、パフォーマンスができるかが大事だったんです。いい時はすごく良かったんです。ただ、悪い時がすごく悪かった。怪我をしてから、この幅をどう埋めようかと何年間かやってきた中で、プロでやっていくためには、この下の部分をなんとか縮めないといけないのですが、どうしても体の調子が悪い時にそこをクリアできなかった。これをずっとやってきて、去年も駄目だったんですよ。9年間ずっとそれをやってきたので、僕としては『やれることはやりました』という気持ちでした。いい日はいいけど、悪い日は悪かったら話にならない。その1試合、1敗がチームとしてはダメージになってしまうので」

 ルーキーイヤーのキャンプ、オープン戦では、プロを相手に圧巻の投球を見せていた。あの怪我がなかったら……とは思わないものなのか。長谷部さんは「それは思わないですね」と言い切る。

「みんなそうですけど、怪我をしてどうなっていくかというのが分岐点だと思います。その怪我を含めて選手としての価値なので。怪我をして戻ってこられない選手は今までたくさんいただろうし、僕もその一人だっただけなので。怪我がなかったらとか、そういうのはないので。調子がいい時は全然いいんですよ。全然できるんです。ただ、プロ野球は1年間あって、総合力を問われるんです。この時はいいけど、この時は駄目というのは良しとはされない。僕ができることはやってきたつもりだし、それに対して戦力として認められないということだったので、それなら僕は身を引きますという感じでした」

 厳しい世界で生き抜き、やりきったという思いが強いからこそ、新たな仕事に前向きに取り組むことができる。

 グラウンドを離れて感じるのは、楽天人気の高まり、そして、プロ野球選手として戦えていたことの喜びだ。特に、今季は楽天がシーズン序盤から好調を維持しているため、営業マンとして“熱”を感じるという。

「お客さんから連絡がきて『(今年の楽天は)本当にすごいね』と言われます。1月から3月まで年間シートを販売していて、僕は新規のお客さまの営業だったんですけど、今までは『楽天の試合はそんなに見てない』という方が多かったんですけど、そういう方にチケットを買っていただいて、すごく試合を見に来てくれる。電話がかかってきて『今日勝ったね』と言われることもありまし、すごく興味を持ってくれる人がたくさんいるので、うれしいですね。ただ、昨年、一昨年とチームが低迷しているときも観客動員は伸びているので、勝っても負けてもスタジアムとしてはすごく気に入っていただけるのかなと数字を見て思ったりしてます。

 今年になって、スタジアムの周りを歩いたり、中にいたりするんですけど、お客さんがすごく選手たちのことを見ているし、応援もすごくしてくれるし、たくさんの人が来てくれてるというのは感じますね。選手の時は、自分たちが見られてるとか、お客さんがどう思ってるとかは声援でしか感じられなかったんですけど、その中に入ってみて、そういう人たちがすごくいるんだと実感します。そちら側に入ってみて初めて分かったこともたくさんあります」

 楽天野球団のため、そして営業マンとして、今後へ向けてのビジョンや目標はあるのか。幼少期から努力を積み重ね、鳴り物入りでプロの世界に飛び込んだ左腕は、選手時代と同じように自分自身を磨いていくつもりだという。

「本当に新しいことを始めたので、野球で色々と積み重ねてきたように、まずは『営業とはこういうものなんだと学びながら自分がレベルアップできればいいな』くらいにしかまだ思っていません。『プロ野球選手』みたいな目標は、今のところ特にないですね。僕の小さい頃の夢も、『プロ野球選手になりたい』と目標に向かってやってきたわけじゃなくて、1つ1つ目標を決めて、それをクリアしていって、最後はプロ野球選手になった、という性格なので、それと一緒です。本当に積み重ねというか、それでそこまで行けたというやり方です。なので、大きい目標というよりも1つ1つ、という感じです」

 スーツを着こなし、新たな仕事を生き生きとこなす。楽天野球団のさらなる発展に向けて、選手ではなく営業マンとなった長谷部さんの力は欠かせない。(Full-Count編集部)

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