「打者としての印象強い」 巨人屈指の巧打者・篠塚和典氏が語る桑田真澄の“姿勢”

「打者としての印象強い」 巨人屈指の巧打者・篠塚和典氏が語る桑田真澄の“姿勢”

巨人のエース格として活躍した桑田真澄氏【写真:Getty Images】

打撃でもフィールディングでも手を抜かない姿勢に好感「楽に投げさせてやりたい」

 読売巨人軍史上屈指の好打者で通算1696安打を放ち、守備でも名二塁手として鳴らした篠塚和典氏(1992年途中までの登録名は篠塚利夫)が、現役時代にともに戦った名投手を振り返るFull-Count連載「篠塚和典 背中を見てきた投手たち」。今回は、長年巨人のエース格として活躍し通算173勝を挙げ、数々の名場面の主役となった桑田真澄氏について語り尽くす。

 桑田氏は2桁勝利10度の安定した投球ぶり、1994年の同率首位決戦“10.8”でのクローザー、清原和博氏とのKK対決などで、投手としてファンの脳裏に強烈な印象を残している。しかし、篠塚氏は意外な言葉を口にした。「彼の場合は、ピッチャーとしてよりバッターとしての印象が強いなあ……」

 現役時代の桑田氏の通算打撃成績は890打数192安打、打率.216、7本塁打、79打点。確かに、打率2割を超えることが極めて難しい投手としては抜群である。

 「常にバットを短く持って、ミートを意識しながら打席に入っていたよね。『投げることだけすればいい』という考えの投手が多い中で、桑田や斎藤(雅樹氏)、江川(卓)さんといった投手は打撃も良くて、試合前の打撃練習でも考えながら打っていた。投手の打撃練習というのは、東京ドームでの3連戦で1回やるかならないか程度で、みんなスタンドへ向かってカンカン打ちたがるのだけれど、桑田は逆方向(右翼方向)から始めて丁寧に打っていた」

 打席でも手を抜かない桑田氏の姿勢は、バックで守る野手陣の好感を呼んだという。

「桑田が投げている時は、彼が攻撃の時にも真剣にやっていた分、マウンドで楽に投げさせてやりたいという思いがありました」と言うのも当然だった。

 マウンドに立っても、打者に向かって投げるだけではなく、フィールディングも優れていた。「『投手は9人目の野手』という言葉がありますが、桑田や斎藤はまさにそれ。1つのボールにすごく集中していて、バント処理にしても、マウンドからきびきびした動きで降りてきて、すがすがしかったです」と篠塚氏。桑田氏は1995年5月24日の阪神戦で、三塁線付近に上がった小飛球をダイビングキャッチした際に右肘を強打。側副靭帯断裂の重傷を負い、トミー・ジョン手術を受けて翌96年いっぱいまでを棒に振った。これなどは桑田氏の守備範囲の広さ、フィールディングにも全力を尽くす姿勢が招いたケガともいえる。

桑田氏は足元の打球をさばいてくれる「これほど楽なことはないですよ」

 専ら二塁を守った篠塚氏は「桑田が投げている時は、センター方向の打球をそれほど意識する必要がなかった。自分の周りのやつは全部捕ってくれるだろうという思いで守っていましたから。マウンド付近を通過してくる打球は、内野手にとってさばくのが難しいのですが、それを投手がさばいてくれれば、これほど楽なことはない。そういうピッチャーって、なかなかいないですよ」と証言する。

 桑田氏にとって“宿命の対決”といえば、PL学園高時代の盟友でありライバルでもある、清原氏との一騎討ちだった。巨人・桑田VS西武・清原は日本シリーズやオールスターでたびたび実現し、特に1994年の日本シリーズ第5戦(西武球場=現・メットライフドーム)では、完投勝利を挙げた桑田氏から清原氏が6回と8回に2打席連続バックスクリーン弾を放った。篠塚氏は「2人とも闘志をむき出しにしていましたね。日本シリーズという大きな舞台で、高校時代からのライバル同士が対決するということはなかなかないので、私もどっちがどうなのかという(観客のような)感覚で見ていました」と振り返る。

 その後1997年に清原氏が巨人へFA移籍したことに伴い、2人は再びチームメートに。桑田氏は現役最終年の2007年には、米大リーグのパイレーツに身を投じ、メジャー19試合に登板した。ファンにも、そしてバックを守る野手にも忘れ難い印象を残した。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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