糸原健斗は“ヤクザ監督”野々村直通氏の寵愛を受けた寡黙な小兵【虎の「伏兵」身上調査】

糸原健斗は“ヤクザ監督”野々村直通氏の寵愛を受けた寡黙な小兵【虎の「伏兵」身上調査】

主に二塁手としてチームを牽引(C)日刊ゲンダイ

【虎の「伏兵」身上調査】#1

 糸原健斗(5年目・内野手・28歳)

 ◇  ◇  ◇

「糸原は寡黙で存在感も薄い方だった。あんまり話す方じゃないし、いつも黙々と真面目に野球をしていた印象です」

 昨季まで阪神の主将を務めた糸原についてこう語るのは、そのコワモテの風貌から“ヤクザ監督”の異名をとる開星高(島根)の野々村直通監督だ。糸原が3年時に春のセンバツ初戦で21世紀枠選出の向陽高校に敗れた際の、「末代までの恥」という発言が大きな波紋を呼び、監督を退任。その1年後に再就任も同年度限りで定年退職し、8年間の空白期間を経て、昨年から再び監督を務めている。

「糸原は私が舌禍で辞任することを聞いた時、30分ほど号泣したそうです。私としてはそりゃうれしいことですよ」(野々村監督)

■接触禁止を破って明大セレクションに同行

 野々村監督は騒動の後、学校から野球部員との接触を一切禁じられていたが、人目を忍んで糸原と再会したのは夏の甲子園を終えた同年の8月のこと。明治大学野球部のセレクションに同行するためだった。

「校長先生に引率することを打診すると、『それはやめてくれ』と却下されました。ですが、彼のその後の一生に関わることです。明大の監督に挨拶したり、橋渡しをする役も必要でしょう。糸原のお父さんと3人で出雲空港に集合し、島根を発ちました。もちろん自費です(笑い)。4カ月ぶりに会った糸原ですか? それまでと変わらず、こっちが話しかけないとしゃべりませんでした。寡黙な男ですからね」(野々村監督)

 野々村監督は糸原に特別な思い入れがあったという。1年時の夏、甲子園メンバーに入っていなかった糸原を“特例”で聖地に同行させたことがある。これは「特定の部員を特別扱いしないこと」をポリシーにする野々村監督にとって初めてのことだった。

「現地の雰囲気に慣れさせて、経験を積ませたかったんです。よく見ておけよ、と。のちに成人した糸原とお酒を飲んでいたら『1年は僕だけ。洗濯などの雑用で、夜は2時、3時まで眠れず、キツかった』と言われてしまいました(笑い)。本人にはありがた迷惑だったかもしれませんね……」(野々村監督)

 けれども、野々村監督は糸原がプロに行けるとは思っていなかった。背は175センチと小柄で、走力も打撃もズバぬけていたわけではなかったからだ。

「ただ、試合に懸ける執念はすごかった。凡退すると悔しさをにじませながら、すかさずベンチ裏で素振りをしていたのを覚えています。練習も一生懸命なので、内心では『大学止まりかな』と思いつつも、何か力になってやりたいと思わせるような子だった。だから、糸原が1年の秋だったかな。解説者だった日本ハムの栗山英樹現監督が甲子園特集のテレビ番組の取材でウチの学校に来た時があった。そこで、175センチの栗山監督に『背が低くても、プロで活躍できるぞと励ましてやってくれ』と頼んだんです。糸原があの時に何かを得ていたらいいですね」(野々村監督)

 その感想は、いまだ聞けていないという。「こっちから聞かないと抱負や意気込みも言いませんから」と野々村監督は笑った。

(次回は中野拓夢内野手)

▽糸原健斗(いとはら・けんと) 1992年11月11日、島根県雲南市生まれ。開星高(島根)から明大に進学。卒業後はJX-ENEOSに2年間在籍し、2016年ドラフト5位で阪神に入団した。19年から昨季までキャプテンを務めた。右投げ左打ち。

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