巨人1位・堀田賢慎 青森山田への進学を後押ししたのは花巻東出身の父

巨人1位・堀田賢慎 青森山田への進学を後押ししたのは花巻東出身の父

先月の指名あいさつで、原監督直筆サインが入ったIDを手に、柏田スカウト(左)、長谷川スカウト部長(右)と笑顔を見せる堀田(C)共同通信社

【19年ドラフト選手の“家庭の事情”】#3

堀田賢慎(巨人1位)

  ◇  ◇  ◇

 父・郁雄さん(51)は大谷(現エンゼルス)、菊池(同マリナーズ)の先輩にあたる。岩手県花巻市に生まれ育ち、地元の強豪・花巻東高野球部出身。3年夏には正三塁手の座を掴み、岩手大会ベスト16に進んだ。郁雄さんがこう言う。

「何とか最後の夏に背番号5をもらいました。打つのはダメで守備の人でした。当時はまだ今のような甲子園常連校ではなくて、県内では強いというレベルでした」

 母・有里さん(47)も同じ花巻市出身で、兄も花巻東の野球部OB。県大会ベスト4の経歴を持つ。

 郁雄さんは高校を卒業後、自動車の部品製造会社に就職した。

「若い頃は工場勤務で夜の7時半から朝の4時までの夜勤もありました。『ものづくり』の会社ですね。今は事務職で8時半から夕方の5時15分まで。勤続は33年になります」(郁雄さん)

 郁雄さんが26歳、有里さんが22歳の時に結婚。次男の賢慎が生まれるタイミングで花巻市内に2階建ての一軒家を建てた。駐車場は4台ほど止められるスペースがある。そんなノビノビとした環境で育った賢慎は、草野球を続ける郁雄さんによくグラウンドに連れていかれた。幼少の頃から身近には野球があった。少年野球では二塁、三塁、遊撃、捕手を守った。この頃は投手ではなかった。

「捕るのがうまくて肩も強かったけど、コントロールが悪かった。投手は中学の花巻シニアに入ってから。1年生の試合で投げさせてもらえるようになって、それからです」(郁雄さん)

 中3時にシニアの東北大会で3位に入り、隣県の強豪校・青森山田から声がかかった。有里さんがこう振り返る。

「当初は地元の公立校でノンビリ野球を続けるのかなと思っていました。青森山田に行くなら寮生活。長男(一真さん=23)が東京で就職していましたので、賢慎まで出ていってしまったら寂しくて耐えられない。実は私は反対でした(笑い)」

 一方の郁雄さんは賛成だった。

「花巻シニアの監督、コーチは『本気でやるなら強豪の私立で挑戦してみろ』と言いました。花巻東じゃなくてもいいけど、せっかく青森山田の兜森監督が誘ってくださった。強豪校で勝負して欲しかった」

■佐々木に三振食らって刺激

 岩手県内のライバルの存在も後押しした。あの最速163キロ右腕・佐々木朗希(大船渡=ロッテ1位)である。

「中学の時から軟式で140キロを投げる投手がいるって県内で佐々木君は有名でした。中3の地区の選抜の試合で対戦したことがあって、三振をした賢慎は『凄いヤツがいるな』と驚いていました。だいぶ刺激になったと思います」(郁雄さん)

 青森山田への進学は自分で決めた。2年秋からエース。が、秋の県大会準決勝で八戸学院光星に1―17で五回コールド負けを喫して一念発起。2年秋まで細身だったが、冬の間に食事、トレーニングで体づくりに励んだ。1日6食に食事量を増やし、ひと冬を越えると、3年春には7キロ増の80キロ。まるで別人に生まれ変わった。

■「水か野菜ジュースにして」

「2年生の正月に会った時以来、久しぶりに春の大会で会うと、体が大きくなっていてビックリしました。もともと食が細い子だったので、寮に定期的にスナック菓子、カップ麺、ジュース類を送っていたんです。でも、この頃から『飲み物は水か野菜ジュースにして』と言われるようになりました。急に意識が変わったんです。プロを視野に入れ始めた? というより最後の夏にやっぱり甲子園に行きたかったんだと思います」(有里さん)

 体重の増量に比例し、球速が10キロ以上アップした。夏の甲子園には届かなかったが、最速151キロの注目投手となり、ライバル佐々木と同じ「ドラフト1位」で巨人に指名されるまでに成長を遂げた。

「青森山田を選んで本当に良かったと思います」

 有里さんは笑った。

▽ほった・けんしん 2001年5月21日、岩手県花巻市生まれの18歳。桜台小1年で野球を始め、花巻北中では花巻リトルシニアに所属。青森山田では1年春からベンチ入り。2年秋からエース。3年夏は青森大会3回戦で優勝した八戸学院光星に1―4で敗れた。最速151キロ。185センチ、80キロ。右投げ右打ち。血液型O。

関連記事(外部サイト)