ヤクルト1位・奥川恭伸 佐々木朗希の163kmで自分を見失った1カ月

ヤクルト1位・奥川恭伸 佐々木朗希の163kmで自分を見失った1カ月

表彰式では号泣(C)日刊ゲンダイ

【19年ドラフト選手の“家庭の事情”】#6

 奥川恭伸(ヤクルト1位)

 ◇  ◇  ◇

「よく泣いていました」

 こう話すのは、奥川恭伸が宇ノ気小学校2年生のときから所属していた「宇ノ気ブルーサンダー」の広瀬勝巳代表(54)だ。

 今夏、甲子園を沸かせた奥川。決勝で履正社に敗れて準優勝に終わると、人目もはばからず涙を流した。その原点は10年前に遡る。

「野球に対する負けん気が強い子でしたね。今はニコニコしている姿が印象的ですが、入ってきた頃から4〜5年生までは、打たれたときに態度に出す。感情が表に出やすい子だった。試合に負けて泣くこともよくありました。当然、1人で毎試合は投げられないので他の投手が投げる日もあったんですが、それが悔しくて態度に出したり、味方がエラーをすると腹を立てることもあった。初めは感情が表に出ていることに本人は気付いていなかったんですが、こちらがそれを教えていくと、『野球は1人では勝てないんだ』ということを徐々に理解するようになって、6年生のときには積極的に声を出すようになりましたね」

■元高校球児の父とシャドー練習

 一方で、大人の目を気にする一面も。

「とにかくよく食べる子で、好き嫌いもほとんどなく、苦手だったのは辛いものくらい。中華料理屋に連れていくとラーメンにチャーハン、餃子、唐揚げをたいらげても平気な顔をしていました。『もうお腹いっぱいか?』と聞くと、最初は『はい』と言うんです。でも、『本当に?』ともう一度聞くと、『まだ食べられます』と。周りのことを気にして、遠慮していたみたい。そういう空気を読める子でもありました」(広瀬代表)

 野球を始めたきっかけは7歳上の兄、圭崇さんの影響だった。4歳のとき、両親とともに兄が出場する試合を見に球場へ行くとグラブをはめてベンチ裏で黙々と壁当てを続けていた。広瀬代表によると、「お兄ちゃんは主にサードで、弟と同じく気の強い性格。でも、ボールの捕り方は全然違った。お兄ちゃんは根性で捕りに行くけど、弟は優しくカバーに入るタイプでした」。

 父の隆さんは奥川と同じ宇ノ気中出身。金沢市立工業高校野球部では主将を務めた。ポジションは二塁手だったという。

「お父さんはとても真面目で野球に対して厳しい方でした。基本的に技術的な指導はお任せいただいていましたが、練習時間内でピッチングフォームが直らないときは、ご自宅でタオルを使ったシャドーピッチングを見てもらうようにしていました」(広瀬代表)

 建築会社でサラリーマンとして働く隆さん。土日はいつも息子の応援に駆けつけていたという。
 

母は実業団でバドミントン選手

 星稜高の林和成監督(44)も隆さんについてこう話す。

「ダンディーで凜とした方。人格者で、野球に対して熱心なお父さんです。うちの投手コーチとお父さんが同世代で、小中学校時代から同地区で野球をやっていた仲だったので、奥川のことを相談していたこともありましたね」

 母の真由美さんは小学生の頃からバドミントンを始め、実業団でもプレーした経験を持つ。奥川が小1の頃から遊び感覚でバドミントンを触らせた。

 みるみるその魅力にハマり、宇ノ気ブルーサンダーで主将を務めていた6年時、学校内で行うクラブ活動はバドミントンクラブに入っていた。

 宇ノ気中では軟式野球部に所属。星稜に進むと、1年春からベンチ入り。順調にエースへの階段を上っていったが、林監督は「3年間で、いいタイミングで壁が立ちはだかってくれた」と言ってこう続ける。

「1つ目の壁は1年秋。1つ上のエースの子がケガをして県大会の決勝で奥川が先発することになりました。相手は日本航空石川で、県で5本の指に入る強力打線。試合は10―9で勝ちましたが、五回途中8失点と打ち込まれた。その後、北信越大会の決勝でも日本航空石川と当たり、奥川が5回7失点とメッタ打ちされた。これが彼の人生初の挫折だったんじゃないかと思います。1カ月間で同じチームにボコボコにされ、その悔しさをバネに冬場は体づくりと投球フォームを固める作業に費やしました。体重は冬の間だけで3〜4キロ増えたと思います」

 星稜の場合、冬場の投げ込みは3勤1休、ブルペンは15球×4セットの60球がベース。1イニング単位を想定した投球練習を行っている。投手としての基礎を完成させ、絶対的エースとなった3年春。またしても壁が立ちはだかる。それが、大船渡の佐々木朗希(18=ロッテ1位)だった。

「3年の春、(U18高校代表の紅白戦で)佐々木くんが163キロを出したときは、奥川は冷静に現実を受け入れられていなかった。『自分も、もっとスピードを追い求めないといけないんじゃないか』と思うようになって自分を見失っていました。『投手は総合力で勝負するもの。スピードが勝負じゃない』と説得して、本来の奥川を取り戻すのに1カ月間くらい時間がかかりました」(林監督)

 ヤクルトでは総合力の高さをどれだけ見せられるか。

▽おくがわ・やすのぶ 2001年、石川県出身。かほく市立宇ノ気小学校2年のとき、「宇ノ気ブルーサンダー」で野球を始め、宇ノ気中では軟式野球部。星稜では1年春からベンチ入り。小4からバッテリーを組む幼馴染みの山瀬慎之助(巨人5位)と2年春から4期連続で甲子園に出場。3年夏は決勝で履正社に敗れて準優勝。最速158キロ。184センチ、82キロ。右投げ右打ち。血液型O。

関連記事(外部サイト)