天才と呼ばれた高橋由伸 3年の苦しい監督生活に残る無念【名伯楽 作る・育てる・生かす】

天才と呼ばれた高橋由伸 3年の苦しい監督生活に残る無念【名伯楽 作る・育てる・生かす】

2015年の秋季キャンプで長い棒の感触を確認する由伸監督(後方が筆者)/(C)日刊ゲンダイ

【名伯楽「作る・育てる・生かす」】#14

 東京六大学23本塁打のリーグ記録を引っ提げて慶大の高橋由伸が、逆指名で巨人に入ってきた。

 1998年、最初の春のキャンプ。由伸が衝撃を受けたのが、松井秀の引っ張った打球、清原の逆方向の打球だったそうだ。「飛距離は2人にかなわない。同じような方向性ではダメだ」と広角打法を心がけるようになったという。

 共にクリーンアップを張った松井秀、清原と比べ、圧倒的な体格ではないものの、子供の頃から父親に渡された長い竹の棒を振っていたため、肘の入れ方がうまく、バットのヘッドが使える。プロ入り後も長い棒を使った練習を取り入れていた。

 由伸はなぜ「天才」といわれるのか。解説する。

 センターから逆方向への意識が強く、洞察力、観察力にたけている。早めに始動し、自分の間合いで待てる。打ち方は、バットをヘルメット付近の上段に構え、一度肩の辺りにグリップを落とす。そして右足を高く上げる。ブレが大きいにもかかわらず、ミート率が高い。これは下半身から上半身への連動がうまいため。腕を畳んでインサイドもさばける。

 前の壁が崩れないため、バットのヘッドが走る。ヘッドスピードが速ければ打球は飛ぶ。要するに、間合いの取り方、ヘッドの使い方、回転運動がうまいのだ。タイミングが遅れ、詰まったようでも、逆方向へすっ飛んでいくのは、こういう理由から。クルクル回るコマでいえば、心棒がしっかりしている。由伸はスイング時にグラグラしない。それが他の打者との決定的な違いだ。

■苦しかった3年の監督生活

 監督就任早々の2015年秋、一軍打撃コーチだった私は「監督自身がやってきた長い棒で振る練習を秋のキャンプでやったらどうか?」と提案し、一軍の打撃練習に取り入れたこともある。

 1度目の監督はわずか3年で退任となった。土を耕し、種をまき、水をやって、芽が出てきたものの、花が咲く前に終わってしまった。由伸巨人2年目の17年から私は二軍のコーチになったが、同年に13連敗を喫した時は苦しそうだった。それでも18年には高卒4年目の岡本を4番打者として使い切った。この年の岡本は打率・309、33本塁打、100打点の好成績。指揮官としてはまだまだ手探りの時期で、あと1年やっていたらと残念でならない。

 原監督の第2次政権が10年間も続いた後にバトンを受けた。原色から由伸色に変える前に終わってしまった。最も気の毒だったのは、就任1年目の16年の開幕戦など、事あるごとに15年に起きた野球賭博問題の謝罪を強いられたことだ。

 一軍で共に戦ったのは、16年の1年だけだったが、当時の堤GMに「支えてあげてください」と言われたにもかかわらず、打撃コーチとして青年監督を支えられなかったのは無念である。次の機会を応援したい。

 そろそろカープ時代の話をしよう。最初は「神ってる」でブレークした現4番の鈴木誠也しかいない。

(内田順三/前巨人巡回打撃コーチ)

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