故・関根潤三監督を鬼だと…“地獄の伊東キャンプ”の思い出【すべては野村ヤクルトが教えてくれた】

故・関根潤三監督を鬼だと…“地獄の伊東キャンプ”の思い出【すべては野村ヤクルトが教えてくれた】

一見好々爺のようだが実際は…(C)共同通信社

【すべては野村ヤクルトが教えてくれた】#16

■今年4月に永眠

 僕がプロ入りした1987年、ヤクルトの指揮を執っていたのが今年4月に93歳で亡くなられた関根潤三さんです。

 関根さんは89年に退任し、野村監督にバトンタッチ。僕が一軍に定着するようになったのは90年からなので、現役時代の接点はそれほどありません。ただ、今でも脳裏に刻まれているのが、入団1年目の秋の「地獄の伊東キャンプ」です。

 巨人が79年に行った静岡県伊東市でのキャンプも同じように「地獄」と呼ばれています。後で知ったのですが、ヤクルトのそれは関根さんが長嶋茂雄さんに「あの時の伊東キャンプではどんなことをしたのか」と当時のメニューを取材し、再現したものだそうです。

 メンバーは主に若手中心。すでにレギュラーでしたが、入団3年目の広沢さんもいました。あれは僕の中でも人生で一番しんどい……まさに地獄のキャンプでした。

 まず、朝のアップが尋常じゃない。10時から開始するのですが、とにかく走る量が多い。坂道ダッシュを100本! これだけでバテバテですよ。アップが終わったら昼食までバッティング。これはまあ、まだいい。

 そして午後からは守備とランニングを夕方5、6時までみっちりやります。入団当初は捕手だった僕は、ひたすら下半身強化のメニューばかり。外野の守備練習もしました。これはコンバートなどではなく、あくまで鍛えるためのメニュー。参加選手はみんな、普段とは違うポジションでノックを受けました。

■“世界記録”樹立

 選手全員で「フルマラソン」を走ったのも、この時です。投手と野手に分かれてのリレー方式。グラウンド1周ごとに交代し、チームで合計42・195キロを走り抜く。何周したかは覚えていませんが、みんな自分の番ではほぼ全力走です。それで当時のフルマラソンの世界記録を樹立したんですよ。全員で。確か報道でも「ギネス更新!」とか、話題になっていましたね。

 さらに夕食後も夜間練習。野手はスイングやティー打撃、あとは縄跳びなどをしていました。まだウエートトレーニングが今のように一般的ではない時代でしたから。

 一日の練習が全部終わるのは夜9時ごろ。ここまでやると遊ぶ気力なんてなく、夜食をつまんで風呂に入ったら寝るだけでした。

 そんな僕らを、関根さんは作戦コーチの安藤統男さんと話しながら見ているわけです。まだ高卒1年目の僕からすると、「関根監督って、すっごい人の良さそうなおじいちゃんだけど、えげつないな……」という印象。伊東キャンプに参加した選手にとって、関根さんはまさに鬼でした。

 そんな関根さんですが、僕が解説者になってからはすごく気にかけてくれました。会うたびにいつも優しい言葉をかけていただいて……。だから僕の関根さんへの印象は、かつての「鬼」から「いいおじいちゃん」。伊東キャンプは過酷でしたが、あれを乗り切ったから、その後の野球人生もあった。そう思うと、関根さんには感謝してもしきれません。心よりご冥福をお祈りします。

 次回は僕が仰天した若松監督の打撃論の話をしましょう。

(飯田 哲也/元ヤクルトスワローズ)

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