同じ助っ人でも対照的…ラミレスとペタジーニの微妙な関係【すべては野村ヤクルトが教えてくれた】

同じ助っ人でも対照的…ラミレスとペタジーニの微妙な関係【すべては野村ヤクルトが教えてくれた】

試合に勝って手を合わせるラミレス(右)とペタジーニ(左)だが…(C)共同通信社

【すべては野村ヤクルトが教えてくれた】#19

■明るく勤勉なDeNA監督も当時は…

 DeNAの監督になってはや5年、すっかりベイスターズの顔として定着したのがアレックス・ラミレス(45)、通称ラミちゃんです。

 ヤクルト入団1年目の2001年には、打率・280、29本塁打、88打点と活躍しましたが、弱点がなかったわけではない。それが外角のスライダーでした。1年目は132三振、2年目はリーグ最多の146三振を喫しました。

 来日した助っ人がまず苦労するこの球種とコースを打てなかったのは、ラミちゃんも共通していました。シーズンに入っても、バットは空を切るばかり。相手投手に「ここに投げておけば安全」とばかりに執拗に弱点を攻められ、最初は僕も、「今回の新助っ人は厳しいかもなあ……」と心配した時期もありました。

 しかし、ラミちゃんは陽気なだけの大ざっぱな助っ人選手ではありませんでした。非常に勤勉で研究熱心。ベンチでは常にメモを取り、相手の配球などを書き込んでいました。外のスライダーにも、少しずつ対応できるようになっていった。

 ラミレスという選手が凄いのは、外のスライダーを「振らないようにした」のではなく、「いかに打てるか」と研究したことでしょう。

 気が付けば、かつて苦手だったボールをむしろ積極的に待つようになった。

 性格はご存じのように明るく陽気。ホームランを打ったときのパフォーマンスで選手やスタンドを盛り上げるなど、チームに欠かせないムードメーカーの役割を果たしていました。

 そんなラミちゃんですが、ヤクルト時代は同じ助っ人選手のペタジーニ(48)を意識し過ぎているようなところがありました。ともにベネズエラ出身。年齢もそんなに離れていないのに、2人がヤクルトで一緒にプレーした2年間、親しげに話している姿を見た記憶はありません。

 不仲というのではなく、ラミちゃんが一方的にペタジーニと距離を取っていた感じです。ペタジーニはとにかく寡黙な選手でしたから、対照的な性格ということもあったのかもしれません。

■メジャーでの実績の違いが

 メジャーでの成績はラミちゃんの方が上と言っていいでしょう。ペタジーニは1995年にパドレスで89試合に出場したもののその後は出番が減少。来日前年はレッズで34試合出場、メジャー通算HRは7年で12本です。一方、01年に来日したラミちゃんはその前年にインディアンスとパイレーツで計84試合に出場し、打率・247ながらホームラン9本を打っている。

 来日当初のラミちゃんは、「あのペタジーニが活躍できるんだから」と、日本野球を甘く見ていたのかもしれません。それがフタを開ければ、向こうはバリバリ活躍しているのに自分は変化球に対応できない。ペタジーニに対して複雑な何かを抱いていた……。僕にはそのように見えました。

 いずれにせよ、弱点を克服し、外国人選手として初の2000安打を達成する大打者になったのはラミちゃんの努力のたまものでしょう。

(飯田 哲也/元ヤクルトスワローズ)

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