奇想天外な助っ人 ホージーのお気に入りはヒビ割れバット【すべては野村ヤクルトが教えてくれた】

奇想天外な助っ人 ホージーのお気に入りはヒビ割れバット【すべては野村ヤクルトが教えてくれた】

やることなすこと奇想天外だったドゥエイン・ホージー(C)共同通信社

【すべては野村ヤクルトが教えてくれた】#20

 ヤクルト史上最強助っ人がペタジーニなら、こちらは史上最“驚”助っ人でしょうか。1997年に来日、2年間ともにプレーしたドゥエイン・ホージー(53)です。

 突然、グラウンドで踊り出し、古田さんや高津に「アホか」と言われて「オマエガ、アホ」と返したり……珍プレー好プレーの番組で、腹を抱えて笑ったファンも多いかと思います。とにかくやることなすこと奇想天外。驚きの連続でした。

 大量のシールで埋め尽くされたヘルメットを覚えている方もいるでしょう。あれは、ファンから贈られたシールを貼っていたのを見た別のファンが、「私のも!」とプリクラを送ってきたのがきっかけ。それをホージーは無邪気にペタペタと貼り続け、気がつけば、誰とも知らぬプリクラだらけになっていました。

 なぜか自分に「太郎」という日本語の名前をつけ、ナインには英語のニックネームを勝手につける。僕は「ビリー」。なぜだか理由はさっぱりわかりません。ある日いきなり、「おまえは今日からビリーだ」と言われた記憶があります。

 試合中に他人のバットを使うのも有名な話ですね。一応、「借りてくね」と断って打席に向かいますが、それでホームランを打つと「これもらうね」ですから。僕もバットを持っていかれたことがあります。また、ホージーが「これは俺のお気に入りなんだ」というバットをよく見ると、ヒビが入っているなんてことも。さすがに危険だと思いましたが、そのバットで軽々とホームランを打ってしまうのだから、理解不能。あれだけユニークな助っ人は、後にも先にもいないでしょう。

■「あいつは…」野村監督の嘆息

 来日1年目、97年のキャンプはとにかくひどかった。打撃練習を見てたら、僕ですら「こいつは絶対ダメだな」と思ったほど。なにせ、打球が前に飛ばない。ファウルばかりで、ボールがケージから出ないんです。当時の野村克也監督が「あいつは明るいだけの選手」とため息をついたのも無理はありません。

 それでも、本人は落ち込むどころか、率先してふざけまわっている。オープン戦に入っても打撃は散々。外野守備でもミスが多く、走塁でも前の走者が止まっているのに走り出す……。いくら失敗しても態度は変わらないのだから、すぐに二軍落ちするだろうと、誰もが思っていたはずです。

 ところが、です。いざペナントレースが始まると面白いように長打を量産。1年目でいきなり打率・289、38本塁打、100打点と打ちまくって、巨人の松井秀喜に1本差をつけて本塁打王のタイトルも獲得した。おそらく、キャンプやオープン戦の時期は体が出来ていなかったんでしょうね。自分ではそれをわかっているから、余裕でいられる。もっとも、あの性格は天然でしょうし、ボーンヘッドも最後まで直りませんでしたが……。

 そんな調子に乗りやすい性格が災いしたのか、2年目は打率・233、13本塁打、42打点と散々。オフに戦力外になりました。まさに記録より記憶に残る選手でしたね。

 次回からは僕がヤクルトでコーチをしていた時の選手、まずは青木の話をしましょう。

(飯田 哲也/元ヤクルトスワローズ)

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