ミスター赤ヘル・山本浩二の憧れの存在だった山本一義氏

ミスター赤ヘル・山本浩二の憧れの存在だった山本一義氏

(C)PIXTA

吉見健明のダッグアウト取材メモ

広島東洋カープが25年ぶりの優勝を決めた1週間後の9月17日、かつてカープの四番打者であり、ロッテ監督も務めた山本一義氏が、広島市内の病院で尿管がんのため死去していたことが分かった。78歳だった。



山本氏は、兼任コーチとして1975年の広島初優勝を見届けて現役を引退。指導者としても、阪神タイガースの金本知憲監督、広島の緒方孝市監督を育てた熱血コーチだった。


私にとって山本氏は法政大学の先輩にあたる。スポーツニッポンで広島担当だった記者時代、朝から晩まで私に野球談義をしてくれた記憶がある。ときには、広島市内の居酒屋で明け方まで及んだものだ。


“ミスター赤ヘル”と言われた私と同級生のコウジ(山本浩二)はこう語った。


「熱い指導で新人のころは遊ばせてくれなかった。キャンプ中の宿舎で朝まで野球の話をして、バットも振らされたものだ。私が法政大学を選んだ理由は、広島商業と法大でスラッガーだった一義さんに憧れていたからなんや」


私も様々なタイプのコーチを取材してきたが、山本先輩は選手だけでなく、若い記者まで捕まえてバッティングの真髄を伝授するほどの熱血漢だった。


大毎オリオンズ、近鉄バファローズ、阪急ブレーブスで監督を務めた西本幸雄氏が、野球の奥深さを通じて新人記者を育てていたことを私は見聞きしてきた。この西本流を受け継いでいたのが、山本先輩である。


「近鉄打撃コーチ時代に、西本さんからバッティングの指導とは何かの原点を教えていただいた」


山本先輩からそう打ち明けられたことがある。



広島優勝のお祝いムードに水を差さないよう、自身の死去を公表しなかった配慮や、野球人として生涯を終えた山本先輩が、天国でも野球談義に花を咲かせている姿が目に浮かぶ。


ご冥福をお祈り致します。


(スポーツジャーナリスト・吉見健明)

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