高校野球大好き芸人が振り返る「永遠のPL学園」

高校野球大好き芸人が振り返る「永遠のPL学園」

昨年、60年の歴史に幕を閉じたPL野球部

 夏の甲子園予選がいよいよ幕を開けた。昨夏と違うのは、春夏通算7度の全国制覇を誇る超名門・PL学園野球部の姿を見られないことだ。昨年7月15日の大阪大会初戦で東大阪大柏原に敗れ、PL野球部は60年の歴史に幕を閉じた。「高校野球大好き芸人」として知られるお笑い芸人・かみじょうたけし(39)は、そのラストゲームを現地(花園球場)で観戦していた。謎の廃部の真相を追った単行本『永遠のPL学園 六〇年目のゲームセット』著者の柳川悠二氏(ノンフィクションライター)が聞き手となり、PL野球部が高校野球界で“特別な存在”だったことを振り返る――。

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 昨年夏から活動休止となっていたPL学園の野球部は、今年3月に「高野連脱退届」が受理されたことで、完全に消滅した。もう甲子園で「PL GAKUEN」と横2列に書かれた日本一有名なユニフォームを見ることはできないし、「ああ  PL 永遠の学園」という日本一有名な校歌も聞くことはできない。

 それでもPLの戦いは、高校野球を愛してやまない者の心に永遠に刻まれている。人気バラエティ番組『アメトーーク!』(テレビ朝日系列)の「高校野球大好き芸人」でおなじみになっているお笑い芸人・かみじょうたけし氏もそのひとりだ。

「(39歳の)僕が物心ついた頃、関西の高校野球といえば、PL学園とか、天理のイメージでしたね。小学生の頃、夏休み期間に昼飯を実家近くの喫茶店でよく食べてたんです。そこの店内でおっさんたちみんながタバコの匂いを充満させてPLの試合を観ていたんです。高校野球を好きになる前から、PL学園の名前は身体に染みついていました」

 横浜高校と延長17回を戦った1998年夏の準々決勝は、甲子園で売り子のバイトをしながら、試合を眺めていた。

「観客席の方を見ながらビールを売らなあかんのですが、グランドの方ばっかり気になってしまい、ほとんどビールを売った記憶がない(笑)。春の選抜で横浜に負けていたPLは『打倒横浜』の一心で夏を迎え、ついに横浜と因縁の対戦。試合の主導権をPLが握るんですが、最後には松坂大輔(横浜)の粘投に敗れてしまう。ほんま、忘れられない試合です」

 昨年7月15日に行われた東大阪大柏原との最後の試合はバックネット裏で見守っていた。かみじょう氏の周りには、宮本慎也(元東京ヤクルト)や木戸克彦(元阪神)ら、往年のPL学園OBが陣取っていた。

「あ、桑田(真澄)さんもいらしたのかな……と思ったら、(桑田のものまねをする芸人の)桑田ます似さんやったんです。『LP GAKUEN』と書かれた偽のユニフォームを着て。今日だけはそれはちゃうやろー(笑)。ほんま今日だけは、黙って試合を見て、静かに帰った方がええやろうと思いました(笑)」

 PL学園が最後に全国制覇を果たしたのが、立浪和義(元中日)、や片岡篤史(元阪神ほか)らを擁した春夏連覇を達成した1987年だ。つまり、黄金期から30年の月日が流れているにもかかわらず、「逆転のPL」と称された奇跡的な勝ち方や、統制の取れた人文字応援、対戦校を威圧するようなブラスバンドの演奏は、今も鮮明に高校野球ファンの記憶に刻まれている。それだけ当時のインパクトが絶大だったということだ。

「バッターボックスに入る時に、胸の御守りを握りしめる。子どもの頃は、PL学園が宗教の学校だなんて知らなかったけど、なんだか神秘的な強さもありましたよね。高校野球をやる子って、もう2度と厳しい練習をやりたくないとか、あの2年半だけはもう一度やりたくないとか、口にするじゃないですか。でもね、彼らにとってすらPLは特別なんですよ。PLの練習や厳しい上下関係に比べたら『俺ら(の高校)はボーイズリーグや』って言う子もいました。いろいろ問題もあったんでしょうが、ずうっと強かったのがPLでした。僕にとっては特別な学校でした」

 最後のPL部員となる62期生12人は昨年、公式戦未勝利のまま、最後の夏の大会を迎えていた。甲子園を目標にしながら、彼らはまず一勝して、試合後に校歌を歌うことを願っていた。一時は3点差をひっくり返し、「逆転のPL」を彷彿とさせる野球を繰り広げたものの、6対7で力尽きた。試合終了からしばらくして、応援団席の在校生が校歌を歌い始めると、それが全体に広がっていった。

「横で観戦していたおっちゃんが、大声で『永遠の学園~♪』と歌い終わった後、『永遠ちゃうんか!』って泣き叫んでいた。すごく熱いOBの方やな、と思って、何期生なのか訊ねたんです。『桑田さん、清原(和博)さんよりはちょっと上くらいですか?』と声をかけた。そうしたら『自分は三重県の海星高校です!』と。『おい!PLちゃうんかいっ!!』と驚きました。続けて、訊いてないのに、『長崎の海星ではありません』って(笑)。やっぱり、日本一有名な校歌だから、みんな歌えるわけですよ」

 筆者は今年3月に、PL学園の栄光と凋落の歴史と、廃部の真相を明らかにした『永遠のPL学園 六〇年目のゲームセット』を上梓した。かみじょう氏も目を通してくれていた。

「あれほど強かったPLの野球部が何でなくならんとあかんかったのか。そういう単純な疑問にこの本が答えてくれていました。野球部の近くにいる人ほど、活動を続けることが難しいことであるかを分かっていたんですね。でも誰もそのことを口にしなかった。それを口にすることは、自分たちの青春時代、築き上げてきたものを否定することになる。そのジレンマに苦しんでいたんやないでしょうか」

 廃部の背景には、信者が減少している教団や、それに比例して生徒数が激減している学校側の事情がある。

「読ませていただくと、PL教団っていうのを広めるために、教団の支援を受けて野球部は始まったし、強くなった。でも、野球部が有名になり過ぎたことでそのパワーバランスが崩れてしまった。それが廃部の大きな理由だったんですかね。僕はPLで野球をやったわけでもないので、こうすべきだった、みたいなことはおこがましくて何も言えません。それでも、こう、なんとかできなかったんですかね……という気持ちはありますよね」

 PL学園のいない夏が始まった。

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