稀勢の里の今後は? 7場所全休経験のある貴乃花親方を直撃

稀勢の里の今後は? 7場所全休経験のある貴乃花親方を直撃

いきなり徳俵に足がかかった稀勢の里

 横綱昇進を果たした稀勢の里が、わずか在位2場所で現役続行の土俵際に追い込まれている。故障を抱えたまま強行出場した名古屋場所では、2場所連続となる途中休場となった。

 かつて「大関互助会」や無気力相撲がはびこっていた時代に、ガチンコ力士として孤軍奮闘したのが横綱・大乃国だった。

 1989年9月場所、右ひざを痛めていた大乃国は横綱として史上初めて7勝8敗と負け越し。1990年1月場所では8勝7敗と辛くも勝ち越したものの、千秋楽の千代の富士との取組で左足靱帯を断裂する大ケガを負った。その後は4場所連続で休場。同年11月場所に復帰すると3場所連続で2ケタの星を挙げるものの、1991年5月場所を全休。翌7月場所の中日までを4勝4敗として、ついに引退を決めた。

「横綱在位23場所中、優勝はわずか1回。同じガチンコの道を歩む稀勢の里に、この大乃国の姿を重ねる角界関係者は少なくない」(前出の協会関係者)

 さらにいえば、平成の大横綱であり、同じくガチンコの道を貫いた貴乃花を想起させるところもある。

 貴乃花の最後の優勝となったのは2001年5月場所だった。この場所で貴乃花は、14日目の武双山戦で右ひざ半月板を損傷。とても土俵に上がれる状態ではなかったが、貴乃花は周囲の反対を押し切って千秋楽に強行出場する。結びの一番では武蔵丸に敗れたものの、優勝決定戦では武蔵丸を上手投げで下した。当時の小泉純一郎・首相が「痛みに耐えてよく頑張った、感動した!」の名台詞を残したことでも知られている。

 歴史に残る優勝の代償は大きかった。翌場所から、貴乃花は7場所連続全休に追い込まれる。

「当時の貴乃花は角界の宝。休場が続いても、当初は“じっくり治せ”という声ばかりだった。しかし、全休が丸1年を超えたあたりから、横綱審議委員から苦言が呈されるようになった。当時の北の湖理事長も擁護しきれず、2002年9月場所に出場することになった」(ベテラン記者)

 以降は優勝することはなく、2003年1月場所の9日目に現役引退を決めている。

 今年の3月場所で、14日目に負傷しながら、千秋楽で大関・照ノ富士との優勝決定戦に勝って「奇跡の優勝」を果たした稀勢の里も、その代償として引退を早めることになるのではないか。ガチンコ横綱の苦しみを誰よりも知る貴乃花親方に、稀勢の里の今後がどうなるかを直撃した。

「頑張ってもらいたいが、状態がよくわからないから無責任なことはいえない」

 慎重に言葉を選んでいることが窺えた。前例のない7場所連続全休も経験している貴乃花親方は、“思い切って長期間休む勇気”が必要と考えるのか。

「休むということに対しての難しさは1場所でも同じ。横綱になったことで精神的に大変だと思う。(どういう状態で出場すればいいのかは)本人が決断するしかないことですから……」

 ケガを抱えて土俵に立つ苦しみも、休むことで生まれる逆風も知っている大横綱の表情は終始、堅いままだった。

 空前の相撲ブームに沸く角界の“主役”は、現役を続けられるのか。すでに徳俵に足がかかっている。

※週刊ポスト2017年8月4日号

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