競走馬のトラウマ、超良血馬が走った途端にエビになる

競走馬のトラウマ、超良血馬が走った途端にエビになる

角居調教師が「エビ」について語る

 数々の名馬を世に送り出した角居勝彦調教師の厩舎はこの春、13週連続勝利という日本記録を打ち立てた。記録の立役者になったのは、屈腱炎を克服した6歳牡馬だった。角居氏による週刊ポストでの連載「競馬はもっともっと面白い 感性の法則」から、「トラウマ」について解説する。

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 競走馬のメンタルを蝕むトラウマについて。もっともやっかいなのは「痛み」です。馬も人間も、痛みには弱い。痛いと足が止まる。動物の防衛反応だからどうしようもありません。ノーペイン・ノーゲインなどというけれども、痛みに耐えてゲインする馬はいないのです。

 痛みの体験が不安を生みます。賢くて臆病な馬は痛みが出る手前で走ることをやめてしまう。ゼウスバローズは、ダービー馬ディープブリランテの全弟という超良血馬ですが、エビ(屈腱炎)との長い闘いがありました。2歳時に勝ち上がりましたが、クラシックシーズンを控えた2014年3月から半年間休養、秋に復帰し10月の京都芝2200m500万下を勝った後も1年以上レースに使うことができなかったのです。

 エビは再発の可能性も高く、競走馬にとっては極めて厳しい故障といわれます。ところが、その過程には痛みがない。それまで問題なく走っていたのに、放牧先で走ったとたんにエビになることがある。疲労して硬くなっていた腱が、動き出しのときにぶちっと切れて出血すると、エビの初期症状。でもその段階で痛みはないわけです。しかしやがてピシッというような鋭利な痛みを感じると、走れなくなる。「痛みによるブレーキ」です。

 プロ野球のピッチャーのケガと似ているかもしれません。肘に痛みが出るまで、腕がだるいとか重いなどの段階ではまだ全力で投げられる。でも痛みを感じるとダメ。痛みに対する恐怖が残り、以前のようにダイナミックに腕を振れなくなるそうです。不安が萎縮を呼ぶのです。

 ゼウスバローズの場合、長く休ませることでトラウマを最小に抑えられたのかもしれません。2015年12月に復帰後はコンスタントに競馬ができるようになり、16年8月までに9戦(1勝2着2回)。その後も8か月ほど休ませ、復帰2戦目の今年4月の京都1000万下で2着に入りました。

 実はその直前に、検査で腱繊維の配列が乱れていることが分かった。炎症の危険性です。ここが思案時。オーナーと相談して、1回使って様子を見ようということになった。競馬を止めてしまう懸念もあった。わたしはドキドキしながらレースを観ていました。それでもあれだけ走れた。馬は痛みの不安がなく走ることができたのでしょう。つまり「痛みの記憶」に囚われることがなかった。

 そして1か月後の5月21日の東京の調布特別(芝1800m、M・デムーロ騎手)。角居厩舎は前の週に12週連続勝利の新記録を達成していましたが、この週はここまで6戦して未勝利。このレースでもスタートで出遅れて道中は最後方、直線に入っても前は遠いと思われましたが、ラスト200mから猛追、33.0という上がりタイムで差しきったのです。

 鳥肌が立ちました。私にとっては、厩舎の13週連続勝利以上に、ゼウスバローズが故障を克服して勝ってくれたことの方がうれしかった。

●すみい・かつひこ/1964年石川県生まれ。2000年に調教師免許取得、2001年に開業。以後15年で中央GI勝利数23は歴代3位、現役では2位。今年は13週連続勝利の日本記録を達成した。ヴィクトワールピサでドバイワールドカップ、シーザリオでアメリカンオークスを勝つなど海外でも活躍。引退馬のセカンドキャリア支援、障害者乗馬などにも尽力している。引退した管理馬はほかにカネヒキリ、ウオッカなど。『競馬感性の法則』(小学館新書)が好評発売中。

※週刊ポスト2017年9月8日号

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