「最初から乱闘をする気でした」プロ野球・あの大乱闘を振り返る

「最初から乱闘をする気でした」プロ野球・あの大乱闘を振り返る

里崎智也氏

 野球の華といえばホームランだが、「裏の華」ともいうべき楽しみは「乱闘」ではないだろうか。真剣勝負だからこそ発生する、「大人の本気の喧嘩」である。

 昨今は件数がかなり減ったが、平成初期を中心に乱闘は数多く発生した。そこで今回は平成に発生した乱闘事件を振り返ってみよう。

1、1991年 ロッテオリオンズ対近鉄バファローズ

 秋田八橋球場で行われたこの試合、近鉄のジム・トレーバーが園川一美から受けたデッドボールに激怒し、マウンドに向かって猛突進。園川は外野まで一目散に逃げるが、トレーバーは止めに入るロッテの選手を次々とかわし、外野で園川を捕まえ、倒してしまう。

 その後両軍の選手が2人を取り囲み、もみくちゃの乱闘に発展。後に当時ロッテ監督の金田正一氏が話したところによると、その際トレーバーの顔を踏みつけたという。騒ぎが終わると両軍の選手はベンチに戻り、収束するかと思われた。

 しかし納得のいかないトレーバーは一塁側の金田監督を見るなり、一目散に突進。気がついた監督が逃げずにたたずんでいると、トレーバーはつまづいて転んでしまう。そこに金田監督の顔面蹴りが炸裂。これにはトレーバーもなす術なく引き下がるしかなかった。

 なお金田正一氏はゲスト出演したラジオ番組『爆笑問題の日曜サンデー』(TBS系)で、孫から「ジイジよく逃げなかったね、向かっていったもんね」と言われたことを明かし「ああいうものを残したらまずいよ」と語っている。

2、1990年 横浜大洋ホエールズ対広島東洋カープ

 広島に所属していたロデリック・アレンが7回、ホームインの際に大洋の捕手・秋元宏作に故意に身体をぶつけ捕球を妨害。このプレーで秋元は負傷交代してしまう。アレンは退場にならず、須藤豊監督は激怒した。

 そして9回の打席、投手の大門和彦がアレンの背中を通るボールを投じた。報復と判断したアレンは脱兎(だっと)のごとく大門を追いかけ、大門は一目散に逃げる。こちらも止める選手がほとんどおらず、広島側はチームメイトのマイケル・ヤングも参戦し、「追いかけっこ」状態に。

 結局大門は外野まで逃げ切るが、ヤングが小競り合いを演じた。その相手は選手ではなく、現役時代東映フライヤーズの選手として外国人選手をパンチでKOしたことがある大杉勝男打撃コーチだった。この乱闘劇は当時選手だった達川光男氏や前田智徳氏が「印象に残る乱闘」と振り返っている。

3、2004年 福岡ダイエーホークス対千葉ロッテマリーンズ

 6回裏、ロッテの投手ダン・セラフィニがダイエーのフリオ・ズレータに対し投げたボールは、背中の後ろを通り過ぎた。これに怒ったズレータはマウンドに向かい、ヘルメットを投げつけた。

 するとセラフィニも飛び蹴りで応戦し、ヘッドロック。しかしズレータが上になったため、首を絞められるような状況になってしまった。その後2人を両軍が引き離しに入ると、ベニー・アグバヤニが興奮するセラフィニをベンチへと戻す。一方ズレータは「俺の勝ち」とばかりに、手を振りながら引き上げた。

 なお後に元ロッテの里崎智也氏が『高嶋ひでたけと里崎智也 サタデーバッテリートーク』(ニッポン放送系)で語ったところによると、ロッテの攻撃中、セラフィニから通訳を介して「乱闘が見たいか」と話しかけられ、「意図したものは見たくない」と答えたが、「乱闘を見せてやる」と言ってマウンドに向かったのだそう。

 里崎氏によるとこの乱闘は「最初から乱闘をする気でしたもの」だったのだという。どうやらセラフィニは、ズレータを嫌悪していたようだ。

 ズレータは2006年にも日本ハム・金村曉に殴りかかるなど、荒くれ者として知られていた。そんな彼だが、何の因果か2007年からロッテに所属。喧嘩相手のセラフィニはすでにオリックスへと移籍しており、チームメイトにはならなかった。

 現在は国際試合で他球団選手との交流機会が増えたこともあり、機会が少なくなった乱闘。もちろん「ないほうが望ましい」のだが、少々期待してしまうこともまた事実である。

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