清原、松井、松中…プロ野球「最強の4番打者」は誰だ!?

清原、松井、松中…プロ野球「最強の4番打者」は誰だ!?

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 メジャーで一大ムーブメントとなっている「2番打者最強説」や「3番打者最強説」。そうした流れを汲みつつも、日本のプロ野球界では、やはりチーム一の主砲は4番に座る。その中で誰が“史上最高”なのか。今回は1980年代以降に絞って意見を募った!

 OBの口から最も多く“史上最高の4番”として名前が挙がったのが清原和博(元西武など)だった。西武時代にコーチとして清原を指導していた黒江透修氏は、こう話す。

「西武時代のいいときの清原は、最高だった。どっしりと構えて、無理のないバランスのいいスイングをしており、文句のつけようがなかった」

 西武黄金期の4番に君臨していた清原は、プロの目から見ても飛び抜けた存在だった。PL学園の後輩でもある橋本清氏は、対戦を振り返る。

「清原さんは、やはり凄かった。インコースにもアウトコースにも投げられないんで、ストライクゾーンの外で勝負するしかないんです」

 横浜ベイスターズ時代に4番を打った経験もある古木克明氏は、「清原さんは小学生の頃の憧れだった」と話す。続けて、「実際に僕がプロに入ったときは、清原さんは巨人に移籍していました。清原さんが打席に入ったときの圧力は物凄かった。ホームランはきれいな打球だけど、引っ掛けた打球は汚い回転なんです。スイングスピードが速いから、ボールが負けてしまうんですよね」

 超一流の素材だった清原だが、一度も打撃タイトルを獲得していないのは有名な話。

「全盛期の西武時代は、チームが毎年優勝争いしていたから、チームバッティングに徹するケースも多かった。もし、下位のチームで気楽に打たせていたら、王貞治さんの記録を越えていたかもしれません」(スポーツ紙デスク=50代)

 デーブ大久保氏は、清原のそうした“フォア・ザ・チーム”の精神を理由に、清原を最高の4番に推す。

「キヨは、ここ一番で勝負強いバッティングができたのに加え、四死球での出塁が多く、それが得点に結びついていた」

 “無冠の帝王”清原の正反対と言えるのが、落合博満(元ロッテなど)だ。3度の三冠王を含む、首位打者5回、本塁打王5回、打点王5回という抜群の成績を残している。OBからは名前が挙がらなかったものの、記者やファンからの票が多く集まった。

「4番は、やっぱり打ってナンボ。落合の打撃は誰も真似できない」(スポーツ紙記者=40代)

「流し打ちの技術が半端じゃなかった。それも、アウトコースを右に打つのでなく、真ん中からインコースの球を右に打っていた。真の天才」(スポーツ紙記者=50代)

 チームを勝たせた4番か、記録を残した4番か。議論が分かれるところだ。そのどちらも達成したのが、松井秀喜(元巨人など)だろう。巨人時代には優勝4回、うち日本一3回。本塁打王にも3度輝いている。

「日本では10年間で332本塁打を放ちましたが、高卒から10シーズンでの本塁打数は、王さんに次ぐ歴代2位なんです。もしメジャーに行かなかったら、800本近く打っていたかもしれませんね」(スポーツ紙記者=40代)

 松井は03年に渡米。超名門ニューヨーク・ヤンキースに入団した。

「あのヤンキースで4番を打ったのはどえらいこと。メジャーで31本(04年)打ったのも誇れることですが、ワールドシリーズでMVPを獲得(09年)する日本人選手なんて今後、現れないかもしれませんよ」(スポーツ紙記者=30代)

 勝負強さは、4番にとって最も大切なものといえよう。その点で、「クライマックスシリーズで負けて、試合後に号泣したりと、勝負弱い印象が強いですが、松坂大輔から1試合3ホーマーを打つなど、ここ一番の“何かやってくれそう”な期待感は相当なものだった」と40代のパ・リーグ担当記者が話すのは、ソフトバンクの4番として04年に三冠王にもなった松中信彦だ。

 同時期に、ロッテの正捕手として幾度となく対戦した里崎智也氏は、この松中を推している。

「全盛期の松中さんにはインコースのストライクゾーンなんて怖くて、サインを出せなかったくらいです。アウトコースに逃げるのが精いっぱいなほどでした。松中さん以降、三冠王が出ていないことからみても、彼がどれだけ凄かったかが分かると思います」

 ここまで日本人の4番を見てきたが、パワーがある外国人選手が4番に座ることも当然多い。助っ人の中で最も名前が挙がったのが、阪神で活躍したランディ・バースだ。金村義明氏は、その技術の高さを絶賛している。

「85年の阪神タイガースを優勝に導いた最強の助っ人外国人選手。広角に、どの方向にでもホームランを打てるのが凄かった。近鉄にいたラルフ・ブライアントもよく打ちましたが、彼は三振が多かった。それに比べ、バースは確実性もありましたからね」

 86年にマークした、打率.389は、いまだに破られていない日本記録。金村氏だけでなく、記者やファンからも彼の名前が多く出たが、こんな事実がある。

「実は阪神が日本一になった85年、バースの打順は3番。4番は掛布雅之でした。それくらいバースの印象が強すぎて、4番を打っていたと勘違いしてしまうんでしょうね」(スポーツ紙記者=50代)

 バースが三冠王になる1年前の84年に、外国人選手初となる三冠王になったのがブーマー・ウェルズ(元阪急など)。阪急でチームメイトだった高橋智氏は、最高の4番をブーマーと答えている。

「日本人選手が4番になると、周りを寄せつけないようなオーラがあるんですが、ブーマーは野球を楽しんでいました。プレッシャーを感じさせませんでしたね。打点を気にしていて、とにかくチャンスにも強かったのが印象的でしたね」

 パ・リーグには、ブーマーのようなド迫力の外国人選手が数多く在籍していた。55本塁打を放って野球界を沸かせた2人も当然、“史上最高”にふさわしい。アレックス・カブレラ(元西武など)と、タフィ・ローズ(元近鉄など)だ。

 カブレラは、怪力を武器にホームランを量産。西武で4年間ともにプレーをしたG.G.佐藤氏は、その凄さを目の当たりにしている。

「カブレラは次元が違いました。場外弾だけでなくて、右方向への軽打もできる器用な選手でした」

 日本での通算打率が3割超えと率を残せたのも、カブレラの強みだろう。

 一方のローズは実働13年間と息の長い活躍を見せた。パ・リーグを制した01年は主に3番を打っていたが、その前年は4番に座り、本塁打王と打点王の二冠を獲得している。ローズとともに“いてまえ打線”を形成していた水口栄二氏に話を聞いた。

「やっぱりタフィが史上最高でしょうね。僕らが塁に出れば、なんとかしてくれましたから。考え方もチームのことを優先していたから、彼は外国人というより日本人でしたね」

 OBがズラリと並んできたが、現役選手の中に“史上最高の4番”はいないのだろうか。ヤクルト、近鉄、巨人でバッティングコーチを務め、数々の強打者を育ててきた伊勢孝夫氏から、あの現役選手の名前が挙がった。

「そら阿部慎之助やろうな。4番打者は、チームの顔や。試合で打つだけでなく、チームを引っ張らなアカン。その点、阿部は考えてたよ。ある日、遠征先で一晩50万円くらい使ったそうや。なんでも裏方さん全員、メシやクラブに連れていってたらしい。なかなかできないことやで」

 最後に、今回の企画としては意外に思える、こんな選手も。

「イチローさんですね。ジュニアオールスターで、物凄いホームランを打ったのを見て、“この人はすごい”と思ったのを覚えています」(スポーツ紙記者=40代)

 イチローはオリックス時代の00年に4番を打っていた経験もある。その成績は打率.387というハイアベレージを残している。実は4番が合っていた!?

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