問題行動で契約解除も…… ドラ1入団でも入団5年以内に戦力外通告された6人の投手

問題行動で契約解除も…… ドラ1入団でも入団5年以内に戦力外通告された6人の投手

福岡ソフトバンクホークス新入団選手発表記者会見、「最多勝」の目標をかかげる吉住晴斗

 いよいよプロ野球のドラフト会議がはじまった。プロ野球選手の平均在籍年数はおよそ8年。この数字をみれば、いかにプロの世界は競争が激しいかが分かるだろう。今回は、入れ替わりが激しいプロ野球の世界にあって、21世紀に入ってから、5年を待たずに戦力外通告されたドラフト1位入団の投手たちを紹介していこう。

 まずは現在、阪神タイガースと激しい優勝争いを繰り広げている東京ヤクルトスワローズから。2014年のドラ1だった竹下真吾である。社会人野球の名門・ヤマハから入団した竹下は、最速150キロの直球を武器に2年連続都市対抗野球に出場。即戦力の本格派左腕としてかなり高い期待を背負っていた。

 ところがルーキーイヤーとなった15年は1度も1軍登板はなく、2軍成績も防御率9.16という散々なものだった。翌16年はプロ初登板を果たすも1試合のみ。17年も1軍登板を果たせず、2軍でも防御率10.88という数字で、この年のオフに戦力外通告を受けた。プロ通算成績は1試合に登板、2回2/3を投げて被安打2、与四死球6で勝ち負けつかずの防御率13.50。3年間の2軍での通算成績が94回を投げて、与四死球111だったことから分かるように、制球難がまったく改善されなかったことがプロで大成出来なかった理由に挙げられよう。引退後は一般企業に就職している。


■中日には2名


 セ・リーグで現在最下位争いを展開している中日ドラゴンズには、該当する選手が2人いる。まずは05〜07年に在籍した樋口龍美だ。大学卒業後の99年にJR北九州に入社し、03年には日産自動車九州の補強選手として都市対抗野球に初出場を果たした。翌04年の都市対抗野球九州予選ではエースとしてチームの九州第一代表獲得に貢献し、予選MVPにも選ばれている。本大会でも全試合に先発し、チームを実に68年ぶりのベスト8進出に導いたのであった。

 持ち味は、力強いフォームからはなつ長い腕をしならせての最速140キロ超の速球と、切れのある変化球。この1シーズンで一躍社会人球界屈指の左腕として名を挙げることとなり、04年のドラフトで中日に自由枠で入団したのである。

 このときの中日は、落合博満監督が就任1年目でリーグ優勝という快挙を成し遂げた年であった。29歳でプロ入りした樋口は当然、即戦力で、“投手王国・中日”のローテーションの一角を担うものと期待されていた。

 ところがプロ入り後はヘルニアに悩まされ、ルーキーイヤーの05年には1度も1軍登板することが出来なかった。オフには年俸が1500万円から800万円と、野球協定に定められた下限を遥かに下回る減俸となってしまったのである。これは新人選手としては異例のことだった。その後も1軍で登板することが1度もないまま07年オフに戦力外通告を受け、現役を引退。04年の中日のドラフト指名選手で唯一、1軍出場がないという現役生活となった。引退後は2軍総務として球団に残っている。

 もうひとりは落合GM時代の選手、14年ドラ1右腕の野村亮介だ。11年に高校卒業後、三菱重工横浜(現・三菱重工East)に入社。アマチュア時代の野村は当初、注目されるほどの選手ではなかった。だが、社会人3年目にフォーム改造に取り組んだことで最速149キロの直球と多彩な変化球を手に入れ、スカウトに注目されるように。なかでも中日の落合GMは“連投しても球威が落ちない点”を高く評価。その期待は背番号にも表れていて、杉下茂や権藤博、星野仙一に小松辰雄らが背負っていた中日のエース番号20を受け継ぐこととなるのである。

 しかし、そんな球団の期待に応えることは出来なかった。ルーキーイヤーには6月に1軍初登板を果たしたものの、1回を投げて被安打4、与四球1で3失点を喫してしまう。

 その後も2試合に登板する機会が与えられたが、チャンスを活かせず。シーズンが終わってみると、防御率10.13という散々な結果に終わってしまった。16年以降は1軍登板を果たすことが出来ず、3年目の17年オフに戦力外通告されてしまった。プロ3年間で登板わずか3試合、2回2/3を投げて被安打8で、勝ち負けつかず。失点6、自責点3で防御率10.13という成績であった。現役引退後はチームの打撃投手を務めている。


■「コイツは変わるかも」


 戦力外通告後に進展があったパターンも2例あげたい。まずは福岡ソフトバンクホークスの吉住晴斗。鶴岡東(山形)の2年生だった16年夏に甲子園に出場。初戦で1回を投げ、敗北を喫したものの、身体能力の高さを買われて17年のドラフト会議で福岡ソフトバンクから1位指名された。

 最速151キロのストレートにスライダーや緩急をつけたチェンジアップが武器の本格派右腕だったが、プロ1年目は3軍での登録となった。25試合に登板し、3勝9敗。防御率6.69という成績で、まずはプロに慣れるところから始めた。しかし2年目も3年目も2軍で結果を残せず、1軍登板すら出来なかった。

 そして3年目となる20年オフ、ついに球団から支配下契約の解除と育成契約の打診を受けた。当初、吉住は現役引退を考えていたというが、チームメートで育成出身の石川柊太が親交のあるダルビッシュ有(サンディエゴ・パドレス)に連絡したことで風向きが変わる。ダルビッシュから直接吉住に対して「ドラ1で3年で引退するのはもったいないんじゃないの?」と連絡があったのだ。直接の面識はなかったものの、大投手からの問いかけに心機一転頑張ろうと決意した吉住は、球団からの育成契約を受け入れたのである。同時にサイドスローに転向、再び支配下登録を目指し試行錯誤を繰り返す日々を送っている。1軍で投げることがダルビッシュへの一番の恩返しとなるはずだ。

 もうひとりは、東北楽天ゴールデンイーグルスの17年のドラ1大卒右腕・近藤弘樹である。身長186センチ・体重96キロという恵まれた体格から投げ込む最速153キロの直球と多彩な変化球を操る本格派右腕とし、岡山商科大1年のころからスカウトに注目されていた選手だった。

 当然のように即戦力として期待され、1年目の6月に早速1軍で先発登板を果たしている。ところが5回の投球中に右足にけいれんを発症し、降板。5回6被安打2失点で敗戦投手となってしまう。その後も目立った活躍が出来ず、1年目は防御率6.83、2年目は8.68、そして3年目は5.40という低調ぶり。勝ち星なしの4敗1ホールドという成績しか残せなかった。

 結局、プロ3年目の20年オフに戦力外通告を受けることとなるのだが、東京ヤクルトの1軍投手コーチに就任したばかりの伊藤智仁が「コイツは変わるかもしれないので、獲得してもらえませんか」と球団のフロントに打診。育成選手として移籍することとなったのである。今シーズン開幕前の3月には支配下契約に移行し、開幕1軍入りを決めている。救援投手として起用され、開幕14試合連続無失点を記録するなど、交流戦前までにチームトップの22登板を果たしていたが、残念なことに右肩の肉離れで1軍登録を抹消されてしまった。早期の復帰が望まれている。

 最後は戦力外通告でない形でチームを去ったドラ1選手――読売ジャイアンツの11年の高卒左腕・松本竜也だ。英明(香川)のエースとして11年の夏の甲子園に出場。2回戦で敗退したものの、最速146キロの直球を武器に18回を投げ、失点3、自責点1、奪三振20をマークした。193センチという高身長からついた異名は“英明のランディ・ジョンソン”。プロ歴代最高身長のサウスポーとして話題となった。

 だが、注目を浴びたのはここまで。入団後の4年間は故障を繰り返し、1軍登板を果たすことが出来なかった。それだけならまだしも15年オフに野球賭博に関与していたことが発覚。不祥事で再びその名がクローズアップされてしまう。

 結局、日本野球機構から無期失格処分の裁定が下されてしまい、球団との契約も解除を余儀なくされてしまった。現在も失格選手となっているが、現役中にあれだけケガに悩まされていたことを考えると、遅かれ早かれ戦力外通告を受けていたのではないだろうか。

 果たして今年のドラフトで指名される選手たちは何人がプロで大成するのだろうか。

上杉純也

デイリー新潮取材班編集

2021年10月11日 掲載

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