ワンス・アポン・ア・タイム・イン・巨人軍(ジャイアンツ)第3回 「巨人軍、失われた10年」の救世主。岡本和真の出現

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・巨人軍(ジャイアンツ)第3回 「巨人軍、失われた10年」の救世主。岡本和真の出現

高橋由伸監督

「王・長嶋の時代はなぁ」と遠い目をするオールド・ファン、「ゴジラ松井までは」追っかけていた団塊ジュニア世代、そして、いつの時代にも存在するアンチ巨人……しかし、その誰もが、いまだに巨人軍の“昔日の面影”を追っている――。

「むかし、むかーしの物語」もいいけれど、今のリアルなジャイアンツの姿を、はたしてどれだけの人が知っているのだろうか? G党No.1野球ライターが、選手、監督・コーチ、球団・球場、ファンを切り口に「令和の巨人軍」の実像に迫る!

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 ことごとく伸び悩んだ20代の“期待の若手”

 1番遊撃・坂本勇人、2番二塁・片岡治大、3番右翼・長野久義、4番三塁・村田修一、5番捕手・阿部慎之助、6番一塁・ホセ・ロペス、7番左翼・レスリー・アンダーソン、8番中堅・橋本到、9番投手・菅野智之。

 これはフジテレビ『森田一義アワー 笑っていいとも!』が長い歴史に幕を下ろした6年前の春、2014年開幕戦の巨人スタメンだ。野手で今もチームで現役を続けているのは坂本ただひとりである。開幕ローテに内海哲也や杉内俊哉といったベテラン左腕が名を連ねた球団創立80周年のこのシーズン、プロ2年目の菅野がMVPに輝く活躍で原巨人はリーグV3を達成したものの、クライマックスシリーズでは阪神に4連敗。規定打席到達者の3割打者は1人もおらず、正捕手を務めた阿部慎之助はリーグ最下位の打率.248に終わり、翌年から一塁へ転向する。シーズン途中に起爆剤として、キューバからの移籍第一号選手として加入したフレデリク・セペダが第80代四番打者を務めるも打撃不振に陥り、チームの高齢化が忍び寄っていた。

 主力野手で「若手選手」と呼べるのは当時25歳の坂本くらいで、その下の世代は一定期間スタメンで出たと思ったら故障や不振でチャンスを逃すというケースが続く。14年開幕スタメンに抜擢された橋本到もそのひとりだ。仙台育英時代は“みちのくのイチロー”と称された90年生まれの橋本は、2008年ドラフト4位で巨人から指名を受け、翌09年は高卒1年目の選手としては異例の2軍チーム最多の463打席に立っている。

 まさに同期のドラ1大田泰示、1歳上の藤村大介や中井大介らと同じく10代高卒野手の「ジャイアンツ強化指定選手」である。プロ野球は一般企業と同じく平等じゃない。入団直後にふるいにかけられ、その才能や適性をシビアに見極められる。監督やコーチの上司との相性もあれば、与えられるチャンスの数も当然違う。強化指定選手の彼らは、その早い段階でポテンシャルを評価されたチームの未来を担う期待の若手枠だ。


■そして誰もいなくなった……


 橋本はプロ5年目の13年に初の開幕1軍入り、6年目の14年には初の開幕スタメンで自己最多の103試合出場と順調にステップアップ。イースタンでトップの捕殺数を記録した強肩に物怖じしない性格はチーム内外で評価が高く、阿部慎之助が『ジャイアンツ80年史』(ベースボール・マガジン社)掲載のインタビューの中で「巨人のチームリーダーは近未来的に言うと坂本勇人。その次は僕個人的には橋本到にやってほしいと思っています」とまで言及したほどだ。だが、レギュラーに届きそうで届かないもどかしい状況が数年続き、度重なる下半身の故障もあり18年は1軍出場なし。そのオフに金銭トレードで楽天へ移籍した。

 88年生まれの“スペシャル・ワン”坂本勇人の次を担う世代の停滞。2010年代の初頭、その坂本と組む二遊間は今後10年安泰だろうと言われたスピードスターがいた。89年生まれで07年高校生ドラフト1位の藤村大介だ。1軍デビューした11年に119試合出場すると、いきなり盗塁王を獲得。小さい頃の作文で「ぼくの夢はドラフト1位になって巨人に入団することだ。そして盗塁王になりたい」と書いた少年は、22歳の若さでその夢を実現させてしまったわけだ。平成生まれで初めての1軍タイトル獲得者。同学年で同じ89年生まれの菅野智之や小林誠司は当時まだ大学4年生である。いわば藤村は世代のトップランナーだった。

 阿部主催のグアム自主トレに参加した12年には、東京ドーム来場者配布のプレーヤーズプログラムで宮國椋丞とともに表紙に抜擢され、109試合で打率.252と前年より3分近くアベレージを上げたが、翌13年は打率1割台で1軍定着できず。そのオフにポジションが被る片岡治大と井端弘和が加入し、翌年から出番が激減。どの世界でも20代後半にもなれば、ついこの間まで「若いから」という理由で許されてきたことが、徐々に通用しなくなってくる。失敗してもすぐ挽回のチャンスをもらえていたルーキーとは違う。ファームで自分より若い選手が増えていく現実に焦るも空回り。藤村は故障がちになり1軍から遠ざかると、17年に28歳で10年間の現役生活に別れを告げた。

 その元盗塁王とは同期入団の同い年、中井大介も勝負どころでの怪我に泣かされたひとりだ。09年に坂本から出世番号の背番号61を引き継ぎ、その年にマツダスタジアムで平成生まれ最初のホームランも放った。12年には48打点、116安打でイースタン・リーグ二冠王を獲得。まさに坂本以来の強打の内野手。翌13年に1番打者に抜擢されると打率.324と結果を残し、二塁のポジションを掴んだかに思われたが、東京ドームの阪神戦の守備時にダイビングキャッチを試みた際、左膝靭帯を損傷してしまう。その後、1軍レギュラー争いには食い込めず、高橋由伸監督からは幾度となくチャンスを与えられた17年に4年ぶりの本塁打を記録するも、18年は97打席で打率.186。そのオフに自由契約となった。

 期待の大きさという面では、入団時に球団からゴジラ松井の栄光の55番を託された大田泰示も忘れられない。東海大相模で“神奈川のジーター”と称された大器は08年ドラ1で巨人入り。体のサイズ、パワー、スピードとすべてを兼ね備えた逸材で、15年の大型連休中には4番を任せられるほど原監督も期待した選手だったが、8年間で通算9本塁打と伸び悩み16年オフに日本ハムへトレードされる。

 橋本、藤村、中井、大田。あの頃、2軍で“ジャイアンツ球場の四天王”とまで言われていた強化指定選手たちは令和元年にそれぞれの道を歩んでいる。藤村は巨人3軍内野守備走塁コーチを務め、橋本は楽天退団後に古巣へ戻り、来季からジャイアンツアカデミーコーチとしてリスタートを切る。中井は19年から巨人でも4番を打ったアレックス・ラミレスが監督を務めるDeNAでプレー。そして、眠れるハイブリッドモンスター大田は新天地の北海道で、プレッシャーから解き放たれ見事に覚醒。外野のレギュラーを掴み、キャリア初の20本塁打も記録。今オフにはついに1億円プレーヤーの仲間入りを果たした。


■どん底の巨人に現れた若き4番打者


 ジャイアンツ・ロスト・ジェネレーション。気が付けば、最強キャッチャー阿部が年齢的に徐々に衰え、“サカチョーコンビ”で坂本と最多安打のタイトルを分けあったこともある長野は膝の怪我以降は精彩を欠き、なかなか坂本の下の世代が育たず、新キャプテン背番号6への負担ばかり増す。そんな巨人軍の失われた10年。

 実は21世紀の巨人で数年間にわたりレギュラー定着した生え抜き野手は仁志敏久、清水隆行、高橋由伸、二岡智宏、阿部慎之助、亀井善行、長野久義……と大卒・社会人出身が多い。一昔前まで大物選手はことごとく巨人へ集結した時代背景もあり、スタメンを張るのは逆指名ドラフト選手や他球団からのFAや大物助っ人の移籍組。いわば若手野手は「超即戦力」でなければ、1軍で生き残るのが非常に難しい環境だったわけだ。

 高卒野手に限れば平成以降、レギュラー定着したのは90年代の松井秀喜と2000年代の坂本勇人ぐらいだろう。まさに10年に1人の狭き門。同時に、ここ数年は他球団のスター選手のメジャー移籍希望に加え、豊富な資金力を有するソフトバンクや楽天といった新興球団の台頭と、巨人がストーブリーグで苦戦することも珍しくなくなった。つまり15年以降の巨人はV3時代の主力が高齢化し、若手は育たず、苦し紛れの補強も上手くいかない。しかも、そういう時に限って賭博事件が発覚し、ドラフト会議では1位抽選のクジをひたすら外しまくる悪循環だ。

 そんなどん底の状態のチームに現れたのが、岡本和真だった。14年ドラフト1位のスラッガー。ルーキーイヤーの夏にプロ初本塁打を放ち、2年目にはイースタン・リーグの打点王に輝くも、チーム事情から守備位置が毎年のように変わり、プロ3年間でわずか1本塁打。気の早い野球ファンからは、大田泰示のようにDHのあるパ・リーグの球団の方がうまく育つのでは……なんて声が聞かれたのも事実だ。

 だが、当時の高橋由伸監督は就任3年目の18年にひとつの決断を下す(偶然にも坂本の08年のレギュラー定着から10年後だ)。岡本を開幕戦から一貫してスタメンで起用したのである。さらに6月2日のオリックス戦から第89代4番打者に抜擢すると、最終戦までそれを貫き通した。途中、32打席無安打や右手親指に死球を受けて21打席無安打があった時も頑なに岡本を4番から動かさなかった。青年監督は22歳の若者の実力と可能性を信じ、岡本もそれに史上最年少の3割30本100打点達成と最高の形で応えてみせる。感情が見えないと言われた由伸采配で、これほど意志が見える起用法は他になかった。長嶋茂雄は松井秀喜を育て、原辰徳は坂本勇人の才能に懸け、高橋由伸は岡本和真を信じたわけだ。

 この岡本のレギュラー定着はチームにとっても大きな意味を持つ。松井は1年目から平成高卒ルーキー唯一の2桁本塁打を放ったし、坂本は2年目に早くも144試合フル出場。いわばこのふたりはプロのレベルにすぐ適応して瞬く間にポジションを奪い、体力面でも桁違いにタフなまさに10年に1人クラスの早熟の天才だ。別格の存在。けど、岡本は違う。3年間、まったく結果が残せず2軍で泥にまみれた。毎年のように一塁や三塁の外国人選手を補強して、守備位置も固定されない。そこから腐らず一歩ずつ階段を上り、1軍でレギュラーを掴み、不動の4番の座を掴んだ。

 驚くべきことに、巨人でこういう形で下から這い上がり、主力にまで成り上がった高卒野手は平成30年間で岡本だけだ。そして、背番号25の活躍により、2軍や3軍も活性化した。松井さんや坂本さんはレベルが違う。でも俺らと一緒にやっていたカズマがあれだけできるなら……。ビッグベイビーに負けてられねぇぞ……と。

 2019年、巨人は多くの若手を抜擢して5年ぶりのリーグVに輝いたが、前年の岡本の活躍が彼らの刺激になっているのは間違いないだろう。高橋由伸監督は過渡期のチームを引き受け、3年間で一度も優勝はできなかったが、最後に腹を括って4番岡本を育てた。大げさに言えば、己のクビと引き換えに大きな遺産を球団に残したわけだ。その事実は忘れないでいたい。

 ヨシノブが耕し種を蒔き、タツノリが花を咲かせた令和元年の優勝。原監督は18年オフに復帰するなり丸佳浩や炭谷銀仁朗を獲得して、2番坂本の新打順を組み、田口麗斗や大竹寛をリリーフで再生させ、ある意味“巨人のベース”を一度ぶっ壊してチームを再構築したが、「4番岡本」だけはそのまま前任者から引き継いだのは興味深い。現役時代、偉大なONと比較され誰よりも叩かれた「昭和の4番原」が、「令和の4番岡本」を受け入れたのである。

(次回へ続く)

中溝康隆(プロ野球死亡遊戯)
1979年埼玉県生まれ。大阪芸術大学映像学科卒。ライター兼デザイナー。2010年10月より開設したブログ「プロ野球死亡遊戯」は現役選手の間でも話題に。『文春野球コラムペナントレース2017』では巨人担当として初代日本一に輝いた。著書に『プロ野球死亡遊戯』(文春文庫)、『ボス、俺を使ってくれないか?』(白泉社)、『平成プロ野球死亡遊戯』(筑摩書房)など。最新刊は『原辰徳に憧れて ビッグベイビーズのタツノリ30年愛』(白夜書房)。

2019年12月31日 掲載

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