ワンス・アポン・ア・タイム・イン・巨人軍(ジャイアンツ)第4回 ONのプレッシャーからついに自由になった「令和の原辰徳」

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・巨人軍(ジャイアンツ)第4回 ONのプレッシャーからついに自由になった「令和の原辰徳」

原辰徳監督

「王・長嶋の時代はなぁ」と遠い目をするオールド・ファン、「ゴジラ松井までは」追っかけていた団塊ジュニア世代、そして、いつの時代にも存在するアンチ巨人……しかし、その誰もが、いまだに巨人軍の“昔日の面影”を追っている――。

「むかし、むかーしの物語」もいいけれど、今のリアルなジャイアンツの姿を、はたしてどれだけの人が知っているのだろうか? G党No.1野球ライターが、選手、監督・コーチ、球団・球場、ファンを切り口に「令和の巨人軍」の実像に迫る!

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■“若大将”が“大御所”に


 原辰徳45回、坂本勇人26回、岡本和真22回、菅野智之19回、阿部慎之助16回。

 これはスポーツ報知の2019年1面登場回数ランキングである。今のチームの主力選手たちを抑え、原監督がぶっちぎりでトップ独走だ。やはり昭和の大スターの世間的知名度は半端ない。

“ナガシマ2世”と騒がれた高校時代は雑誌「明星」のグラビアを飾り、1981年の巨人入り直後はラジオ番組で田原俊彦と対談をしていたスーパーアイドル。プロ1年目に新人王を獲得しチームも日本一になると、1億総タツノリフィーバーが巻き起こる。82年のピーク時は大手7社のテレビCMに出まくり、「4番サード原」がキャリアハイの103打点でMVPに輝いた83年は、巨人戦テレビ中継視聴率は史上最高の年間平均27.1%を記録している。

 まさにどんな人気芸能人よりもテレビに出まくった前代未聞のアスリート。つまり、バブル突入前の混沌と混乱と狂熱の80年代前半、日本中がタツノリスマイルに注目したわけだ。

 しかし、現代は娯楽の選択肢も増え、大スターを国民全員で共有するという感覚が薄れてきている。アイドルグループも有名ユーチューバーも、もちろんプロ野球選手も熱狂的ファンがつくサークルの中では人気でも、世間という名の「環状線の外側」ではほとんど無名の存在に近い。年末の令和最初の紅白歌合戦の視聴率は1部34.7%、2部は37.3%で歴代最低を記録(1部はワースト6位)。日本人のほとんどが口ずさめるヒット曲はもう何年生まれていないのだろうか。

 そんな令和のリアルにおいて、原辰徳は紅白歌合戦や巨人戦が“国民的娯楽”だった時代からずっとスーパースターであり続けている。偉大なONが一戦を退き、闘将・星野仙一が亡くなり、広岡達朗や野村克也が現場復帰することももうないだろう。今の12球団の監督を見渡しても、原監督と勝負できる知名度や影響力を持つ指導者はひとりもいない。気が付けば、ひ弱なお嬢さん野球の象徴とすら言われた若大将が、40年の時を経ていまや球界最後の大御所になった。


■まさかのヒールターンから巨人監督歴代1位へ


 19年ストーブリーグには、「セ・リーグにもDH制度の導入」や「FAの人的補償撤廃案」を確信犯的に発言して野球ファンの間で物議を醸したが、ああいう往年のナベツネさんのような危険な案も今のタツノリは果敢にぶっこんでくる。

 振り返れば、18年オフに3度目の監督として帰ってきた直後は完全に悪役だった。ベビーフェイスからまさかのヒールターン現象。このGM制度が浸透しつつある現代で、全権監督≠ネんて古すぎて新しい立ち位置で派手に大型補強を重ね、その代償で内海哲也や長野久義といった功労者が人的補償で流出してしまう。巨人ファンですら、その強引な改革には賛否両論だった。しかし、蓋を開けてみたら復帰1年目から即リーグ優勝。選手時代はあれだけ勝負弱いと言われていた男なのに、指揮官としての異常な勝負強さは健在だ。

 今から40年前、原のプロ野球人生の始まりは、長嶋監督が男のケジメで去り、王貞治も現役を退いた80年オフのドラフト会議で、4球団競合の果てに相思相愛の巨人入り。それ以来、ずっと偉大なONの後継者として、ふたりと比較され叩かれ続けてきた。

 80年代中盤の週刊誌を見ると、「話し相手は4匹のボクサー犬だけダメ巨人のA級戦犯原辰徳の心体行状をとことん抉る」(「週刊現代」84年6月23日号)、「王監督も見限った原辰徳のピーターパン症候群」(「週刊サンケイ」84年6月21日号)、「打撃30傑も危ない…原辰徳に巨人軍“栄光の4番打者”は無理なのか 入団5年目、超一流になれない若大将に識者が苦言直言!」(「週刊宝石」85年9月27日号)なんて辛辣な見出しが並ぶ。

 これでいったいどれだけ酷い成績なのかと思えば、背番号8の80年代トータルの274本塁打、767打点はセ・リーグでトップだ。いわば誰よりも打ちまくって、誰よりも批判されたのが原という選手だった。

 指導者としてもミスターのもとで野手総合コーチ、ヘッドコーチと段階を踏み、02年から“長嶋巨人”を継承し監督へ。09年には王貞治の後釜として日本代表監督を引き受け、WBC連覇を成し遂げた。原のキャリアには常にON超えがついてまわったが、3度目の監督では、さすがにその手のアングルはほとんど語られなくなった。

 19年終了時で原監督は通算1024勝。長嶋茂雄1034勝、川上哲治1066勝なので、2020年中には通算勝利数で巨人監督歴代1位に立つだろう。もう恐れるものなど何もない。記録でも記憶でも、原辰徳はONの重圧から自由になったのである。


■誰よりも勝てる監督・原辰徳の功と罪


 2020年で14年目のシーズンに突入した原政権は、これまで8度のリーグ優勝、3度の日本一に輝いている。文句のつけようがない圧倒的な実績だが、巨人では93年から長嶋監督が9年間続いたので、途中で堀内恒夫(2シーズン)と高橋由伸(3シーズン)を挟みつつ、長嶋・原体制で計23年間戦ったことになる。

 気が付けば平成30年の大部分と考えると恐ろしく長い年月だが、両者の監督としての特徴をひと言でいえば、4番打者を並べるような重量打線を好むミスターはファンを楽しませる劇場型采配。そして、原辰徳は目の前の勝利を追い求めるリアリストだ。結果が出なければ我慢せずに次から次へと選手を入れ替える。

 ふたりとも大型補強全盛の「平成巨人」だからこそできた采配だろう。それこそ70年代後半の第一次長嶋政権では中畑清や篠塚利夫(現・和典)といった多くの若手を地獄の伊東キャンプで鍛え上げたし、80年代には槙原寛己、斎藤雅樹、水野雄仁、桑田真澄とことごとく高卒ドラフト1位を主力投手へ育てた時期もあった。

 しかし、90年代前半から10数年間は逆指名ドラフトで大学・社会人のアマ球界トッププレーヤーがチームに集結し、FAで大物選手を獲り放題。我慢して若手を育成しなくても次から次へと超即戦力の選手が来ていた特殊な時代だ。結果、一握りの早熟の天才型選手以外は早々と脱落。鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギスではなく、育たぬなら待つより獲ってしまえジャイアンツである。

 前回の本連載でも触れたが、90年代の長嶋体制では松井秀喜という規格外のスラッガー以外は、多くのガラスの十代が2軍に埋もれ、ジャイアンツ球場でくすぶっていた。その代表とも言えるイースタン・リーグの元本塁打王・吉岡雄二は、近鉄へ移籍してから長距離砲の素質が開花。原政権も坂本勇人というスペシャルな才能との出会いを除けば、ことごとく期待の若手はチャンスを掴めず、大田泰示もトレード先の日本ハムで1億円プレーヤーとなった。正直、第2次原政権の後半は、若手野手が出場機会を失う恐怖から萎縮しているようにすら見えたのも事実だ。

 監督も人間だ。それぞれ得意・不得意がある。言ってしまえば、FA時代における長嶋・原は方法論こそ違えど、ともに若手育成には向いていなかったのは否めない。そういうタイプの指揮官が計23シーズンも監督を務め、結果的に生え抜きの世代交代は停滞した。皮肉なことに、巨人の象徴とも言える国民的スーパースターの手によって、巨人の伝統は失われかけていたわけだ。

 例えば、一時エースを張った内海哲也は暗黒期と言われた堀内監督時代を振り返り、「今から思えば本当に使えないピッチャーだったんですけど、当時の堀内監督がどんなにダメでも辛抱強くというか、我慢していただいたというか。ほぼ1シーズン1軍にいさせていただいて、僕はこの経験があるからこそ、変われたと思います」(『ジャイアンツ80年史』ベースボール・マガジン社)と感謝を口にしているし、岡本和真も由伸監督が自身ラストシーズンの18年に開幕から腹を括って使い続け開花した。

 そして、その後エース内海は原巨人の2度のV3を支え、岡本は第3次原体制でも4番を打ち5年ぶりのVに貢献。結果的に21世紀の巨人は、チームの過渡期を任された堀内と由伸が育て、それを引き継いだ原が結果を出すという形になっている。もちろん原監督は勝つことに特化した平成を代表する名将だが、そういうタイミングの良さ、異常な引きの強さも大きな追い風になっていることも触れておきたい。


■“新米監督”として


 だが、そんな原監督にも異例の3度目の登板となった19年シーズンには変化が見られた。「のびのび野球」を掲げ、1シーズン密着したDAZNのジャイアンツドキュメンタリーシリーズでは、背番号83が打撃ケージの裏で若手選手に気さくに声をかける姿が幾度なく確認できる。往年のアイドル、若大将も今年62歳だ。父と子以上に歳の離れた20代の選手に対して、圧倒的な実績を持つ自分がこれまでと同じスタンスで叱咤激励しても、ときにマイナスになってしまう。

「1回目、2回目の原監督という像が僕の中にある。しかし、その像は正しいという信念はあるけれども、それだけじゃダメ、まだ進化しなきゃ、前に行かなきゃ。新米監督でやるんだと」(19年7月31日付スポーツ報知)

 ついに原辰徳は時代に合わせた変化を受け入れたのである。ソフトバンクと戦った日本シリーズでは、内野は助っ人のビヤヌエバやベテラン中島宏之ではなく、93年組の山本泰寛や若林晃弘を起用して空回り。リリーフでは19歳のルーキー戸郷翔征を送り込み、代打では3億円プレーヤー陽岱鋼より、26歳の重信慎之介を勝負どころで使い4連敗という結果に終わった。

 もう監督としては、あらゆるものを手に入れてきた。世界一の栄冠も名将の称号もすべてこの手に。やり残したことと言えば、前回退任時に由伸に丸投げする形になってしまった反省からの、自身の後継者育成と次の指揮官に託すチームのベース作りくらいだろう。だから、ポストシーズンでは積極的に若手に大舞台の経験を積ませ、引退した阿部慎之助に2軍監督を任せた。指導者経験のない宮本和知や元木大介のコーチ適性を見抜き抜擢したことも含め、それらは第1次、第2次原政権では見られなかった方向性だ。

 平成が終わり、昭和も遠くになりけり。プロ野球史上でただひとり、長嶋・王と比較され続けた戦いからの卒業。ついにONのプレッシャーから解放され自由になった原辰徳は、いったいどんな「令和の巨人軍」を作り上げてくれるのだろうか?

(次回へ続く)

中溝康隆(プロ野球死亡遊戯)
1979年埼玉県生まれ。大阪芸術大学映像学科卒。ライター兼デザイナー。2010年10月より開設したブログ「プロ野球死亡遊戯」は現役選手の間でも話題に。『文春野球コラムペナントレース2017』では巨人担当として初代日本一に輝いた。著書に『プロ野球死亡遊戯』(文春文庫)、『ボス、俺を使ってくれないか?』(白泉社)、『平成プロ野球死亡遊戯』(筑摩書房)など。最新刊は『原辰徳に憧れて ビッグベイビーズのタツノリ30年愛』(白夜書房)。

2020年1月19日 掲載

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