ワンス・アポン・ア・タイム・イン・巨人軍(ジャイアンツ)第6回 長嶋巨人を支えた「ジャイアンツ・ロスト・ジェネレーション」

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・巨人軍(ジャイアンツ)第6回 長嶋巨人を支えた「ジャイアンツ・ロスト・ジェネレーション」

松井秀喜

「王・長嶋の時代はなぁ」と遠い目をするオールド・ファン、「ゴジラ松井までは」追っかけていた団塊ジュニア世代、そして、いつの時代にも存在するアンチ巨人……誰もがいまだに巨人軍の“幻影”を追っている。

 しかし、現在のリアルなジャイアンツとは――。当代一の“巨人ウオッチャー”が、選手、監督・コーチ、球団・球場、ファンを切り口に「令和の巨人軍」の実像に迫る!


■「昭和プロ野球」が終わり、「平成プロ野球」が始まった日


「少年野球で、高橋由伸さんに憧れて左バッターになる人がたくさんいて、僕もその一人でした」

 テレビ朝日系列「GET SPORTS」で2018年パ・リーグ新人王の田中和基(楽天)がそうコメントしていた。その田中と同じ1994年(平成6年)生まれの大谷翔平も、子どもの頃は由伸に憧れていたのは有名な話だ。巨人へFA移籍した丸佳浩は、初めてのプロ野球観戦は小学3年時の98年8月4日巨人vs.広島で、当時ルーキーの背番号24がベテランサウスポー大野豊から本塁打を放った一戦だと「スポーツ報知」でカミングアウトしている。

「うーん、今の野球は知らないけど、あれ、巨人のふたり。そうマツイとタカハシ? 小さい頃、お父さんが夜ご飯食べながら毎日見てたから、私もよく覚えてるよ」

 いつだったか、やはり90年前後生まれの綺麗なおねえさんと食事へ行ってプロ野球の話になると、彼女はそう言って笑ったのだった。同じくここ数年、仕事で20代の編集者と打ち合わせると、最初に記憶にあるプロ野球はテレビで観た松井秀喜や高橋由伸のホームランと答えるケースが本当に多い。幼少期の懐かしい風景として、リビングのテレビに映る巨人戦ナイターがあった時代。彼ら彼女らは、それを知る最後の世代になるだろう。

 さて、94年といえば、あの巨人と中日のペナント最終試合での同率優勝決定戦、「10.8」が行われたシーズンである。翌95年に野茂英雄がアメリカのメジャーリーグ挑戦、オリックスのイチローは神戸復興の象徴として新時代の扉を開いた。ある意味、95年から名実ともに「平成プロ野球」が始まり、同時に10.8決戦は「昭和プロ野球」が終わった日でもある。

 ナゴヤ球場の夜空に背番号33の長嶋監督が舞った歓喜の胴上げ試合は、プロ野球中継史上最高の視聴率48・8%を記録。以前、日本野球機構が現役の監督、コーチ、選手858人に調査したアンケート「最高の試合部門」でもぶっちぎりの第1位を獲得。ちなみに2018年サッカーロシアW杯の日本対コロンビアの視聴率は48・7%だ。あの頃の巨人戦はまさに「国民的行事」だったのである。

 もちろん主役は盟主を率いる長嶋茂雄だ。投手陣には斎藤雅樹、桑田真澄、槙原寛己の3本柱がいて、攻撃陣には当時ハタチの松井、翌年引退する傷だらけのアイドル原辰徳、巨人へのFA移籍第一号となった落合博満と役者も絶妙なバランスで揃っていた。なお、ライバルチームのヤクルトから広沢克己(現・広澤克実)とジャック・ハウエル、広島からサウスポー川口和久、大物メジャーリーガーのシェーン・マックと、90年代の終わりなき補強路線を象徴する「30億円補強」を敢行したのはこのシーズン終了後のことだ。

 大型補強と逆指名ドラフト、ミスターは93年オフからこの両制度をフルに活用しチーム作りに邁進する。レギュラー陣は松井と捕手の村田真一を除けば、ほとんどがFA選手と逆指名組と助っ人外国人で占められ、2軍から一昔前の中畑清や川相昌弘のような叩き上げの若手が出てくるケースは激減。時間をかけて育てるよりも、すでに育っている選手を獲りまくる。当然、選手の入れ替わりも激しくなる。それまでとはまったく違うチーム編成とバックグラウンドを持つ、新たな“平成巨人”の誕生だ。

 皮肉なことに「巨人軍は永久に不滅です」と言った長嶋茂雄の手によって、ある意味「あの頃の巨人」は終わったのである。


■“伝統”から自由な「ロスト・ジェネレーション」


 そんな時代に入団してきたのが、松井秀喜であり、逆指名ドラフト組の高橋由伸、上原浩治、二岡智宏、仁志敏久、高橋尚成といった面々だ(ドラフト3位だが清水隆行も同世代)。70年代生まれの彼らは、栄光のV9時代やON全盛期をリアルタイムで見ていない。そして、東京ドームのその先のアメリカでのプレーを目標と公言した最初の世代でもある。

 実際にミスターと師弟関係にあった松井は伝統の巨人4番を、ポスティング制度でのMLB移籍を巡り度々フロントと衝突した上原や尚成はエースの座を自ら降りて、皆FAでメジャーリーグを目指した。その少し前まで、FAで巨人主力がメジャーへ立て続けに流出するなんて事態は想像すらできなかっただろう。80年代には、国内他球団へ出されるくらいなら引退を示唆する定岡正二のような選手も少なくなかったが、仁志は自らトレード志願でチームを飛び出したし、清水も二岡も最後は他球団で現役を終えている。

 彼らの世代は、巨人に対して卑屈になることはなかった。いわば“伝統”から自由だった。言いたいことは球団側に物怖じせず伝え、自分の野球人生なんだからやりたいことをやる。そういう、ジャイアンツも特別な球団ではなく多くの選択肢のひとつ……的なスタンスが、時にG党からしたら寂しく感じたのも事実だ。

 なんだかんだ清原和博の球場人気が高かったのは、そこに「死にたいくらいに憧れた花の巨人軍」という背景があったからだろう。確かに2000年前後の清原とファンは、ある種のYGマークに対する過剰な思い入れをワリカンしていた。

 思えば、90年代中盤以降の日本社会はバブル経済が崩壊し、終身雇用が揺らぎ、老舗企業の倒産や自主廃業といったニュースも珍しくなかった。松井が74年生まれ、由伸、上原、尚成は揃って75年4月生まれだが、彼らの世代はそういう時代に学生生活を送り就活をしていたわけだ。一般的にこの世代は就職氷河期にあたる“買い手市場”にもかかわらず、逆指名ドラフトというのは、選手側の意志で就職先の球団を選ぶことができる、究極の“売り手市場”である。

 愛社精神よりも、プロならいい条件を求めて転職も当たり前。組織じゃなく、“個”としていかに生きていくべきか。そんな21世紀の到来。02年に就任した原監督が掲げたスローガンが「ジャイアンツ愛」というのも、ある種の危機感の表れではないだろうか。

 一昔前は基本的にアマチュア選手は、先を争い後楽園球場でプレーしたがる“上から目線のジャイアンツ”状態だったのが、逆指名ドラフトになると「どうぞウチに来てください」というスタンスにならざるをえない。

 由伸は逆指名会見の直前までヤクルトと西武の争いと見られていたし、上原は大リーグのエンゼルス行きと巨人入りとで最後まで迷った。いわば、巨人から選ばれたのでなく、巨人を自ら選んだ男たちだ。それまでの球界の価値観やパワーバランスは彼らの出現によって良くも悪くも急激に変わった。自由かつ奔放なニュージェネレーション。一方で15年オフの高橋由伸の引退即監督就任は、続々とチームを去った失われた世代の責任をひとりで背負っているようにすら見えたのも事実である。

「ぼくが選手会の会長になったのは、松井さんがフリーエージェントでヤンキースに行くことになって、突然電話があったんですよ。『かくかくしかじかで巨人を離れることになった。だから、とりあえず次はお前がやれ』って。ところが、ぼくが選手会の会長になったとたん、急に(球界再編で)動きが激しくなっちゃって。なんで俺がなったとたんにこうなんだよっていう思いは、正直ありましたね」(金子達仁『古田の様』扶桑社)

 まるで歳の近い自由奔放な兄(松井)が家を出てしまい、稼業を継ぐはめになった真面目な弟(由伸)のような役回りだ。


■タツノリと阿部の間は、二岡だけ


 2020年から巨人は阿部慎之助が2軍監督に就任。村田修一や杉内俊哉といった第2次原政権のV3に貢献した面々がファームの指導者として顔を揃えている。まさにV3時代に「阿部のチーム」と言われたメンバーが、そのままジャイアンツ球場に集結しているような状況だ。指揮官は79年生まれの阿部、サポートする80年代生まれの青年コーチ陣。

 ちなみに原監督自身が現役引退した直後、将来的な指導者としての現場復帰を聞かれると当時37歳の若大将は意外にもこんな言葉を残していた。

「もしやるんだったら、ファームのコーチからでしょうね。まずドロまみれになって何かをつかまないと、選手の心もつかめない。きれい事じゃ始まらないわけですよ。選手時代の実績なんて、監督やコーチになったら関係ないですからね。まったく次元が違う。またその実績でメシを食えたり、勝てたりしたら、こんな楽なことはない(笑)」(「週刊ベースボール」95年10月30日号)

 だが実際はそんな悠長なことも言っていられず、現役引退から3年後の98年秋の現場復帰は長嶋監督のもとで1軍野手総合コーチからのスタート。今となっては信じられないが、駆け出し指導者時代の原は人気面を期待された“お飾りコーチ”とマスコミから叩かれ、「とにかく自信満々だけどその根拠が分からない」なんて理不尽に批判されていた。だから自分が経験できなかった、近年の球界の流れに沿った王道継承もまた良しの阿部2軍監督ゴーサインということだろうか。

 61歳のタツノリと今年41歳の慎之助。その差、20歳。ふたりの現役生活はまったく被っていない。完全にひと世代、すっ飛ばしてしまったかのような急展開だ。そして、誰もいなくなった。気が付けば、9年間で3度のリーグ優勝、2度の日本一に輝いた平成の長嶋政権時代にデビューしたスター選手たちで、現在もグラウンドに残るのは3軍総合コーチの二岡くらいである。

 この状況には率直に、もったいな……と残念でならない。21年前、雑草魂・上原がプロデビューした1999年、まだ巨人戦ナイターが当たり前のように全試合地上波テレビ中継され、娯楽の王様として圧倒的な説得力を持っていた世紀末。ブラウン管の向こう側では、25歳のゴジラ松井が自身初の40本台クリアとなる42本塁打を放ち、ペプシのCMに抜擢された24歳の由伸も打率.315、34本、98打点でベストナインとゴールデングラブを受賞し、ルーキー上原は20勝を挙げて投手タイトルを独占した。

 そんな新世代の若き男たちが躍動した99年シーズンの年間平均視聴率は「20・3%」。なお巨人戦視聴率が平均20%を超えたのはこの年が最後だ。いわば、世間の人々のほとんどが顔と名前を知る、地上波中継時代最後のスーパースターが彼らなのである。

 時代は動き続けている。19年の巨人ドラフト1位右腕・堀田賢慎(青森山田高)は新人合同自主トレの初日に「大リーグに挑戦できるような投手になりたい」と将来的なメジャー移籍の夢を堂々と公言し、「日米通算200勝」の目標を掲げた。ここが安住の地ではなく、あくまで通過点。巨人のドラ1が野球人生最大の目標だった時代は完全に過去になりつつある。

 もちろん先人たちが築き上げてきたチーム85年の歴史も継承しつつ、個人ベースでは、リアルな大リーグに追いつき、追い越せへ。そういう令和のハードボイルドな球界だからこそ、地上波全盛時代の巨人とメジャーでの両方のプレー経験がある指導者は貴重なのではないだろうか。

 今、長嶋巨人と原巨人の歴史はある意味、断絶している。90年代中盤から2000年代初頭にかけて一時代を築いた「ジャイアンツ・ロスト・ジェネレーション」は、いつか東京ドームへ戻って来るのだろうか?

 そのキーマンは、やはりニューヨークにいるあの男の気がしてならない。

(次回へ続く)

中溝康隆(プロ野球死亡遊戯)
1979年埼玉県生まれ。大阪芸術大学映像学科卒。ライター兼デザイナー。2010年10月より開設したブログ「プロ野球死亡遊戯」は現役選手の間でも話題に。『文春野球コラムペナントレース2017』では巨人担当として初代日本一に輝いた。著書に『プロ野球死亡遊戯』(文春文庫)、『ボス、俺を使ってくれないか?』(白泉社)、『平成プロ野球死亡遊戯』(筑摩書房)など。最新刊は『原辰徳に憧れて ビッグベイビーズのタツノリ30年愛』(白夜書房)。

2020年2月2日 掲載

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