昭和48年10月1日 “長嶋ボール”の判定にぶち切れて自らマウンドを降りた「伝説の男」

昭和48年10月1日 “長嶋ボール”の判定にぶち切れて自らマウンドを降りた「伝説の男」

1971年7月17日、プロ野球オールスターゲーム第1戦最終打者の東映・張本勲をショートライナーに打ち取った大洋・小谷正勝投手

 明らかにストライクと思われる投球に対し、球審が「ボール」を宣告する。判断の基準が“人間の目”である以上、けっして珍しいケースではないが、この判定にぶち切れた投手が自らマウンドを降りてしまったとなると、話は別だ。ましてや、このとき打席に立っていたのが長嶋茂雄とくれば、ONの現役時代をリアルタイムで知らないファンでも「一体何があったんだろう?」と興味がわいてくるはずだ。

 投手の名は小谷正勝(大洋)。主にリリーフとして活躍し、1971年にはリーグトップの58試合に登板、11勝9敗12セーブ、防御率2.13の好成績を残した。ただし、当時セーブは非公式記録だったので、タイトルは獲得できず、10年間の現役生活で記録されたのも、わずか6セーブだ。
 
 また、同年のオールスター第1戦では、7回1死から打球を手に受けて負傷した水谷寿伸(中日)に代わって緊急登板。9回まで4奪三振の無安打無失点に抑え、球宴史上初のノーヒットノーランを継投で完成させているが、この試合で9打者連続三振の快挙を達成した江夏豊(阪神)の陰に隠れ、ほとんど話題にならなかった。
 
 さらに75年9月15日の阪神戦(甲子園)では、サヨナラ本盗を阻止しようとした捕手が打撃妨害を取られたことから、“無実”のボークが記録され、敗戦投手になった。そんな“間の悪い”男が、“間の悪い”判定をめぐり、冒頭の“ぶち切れパフォーマンス”を披露したのは、73年10月1日の巨人戦(後楽園)である。
 
 この日までにマジックを11とし、V9に向かってまっしぐらの巨人は、3点を追う6回に2死満塁と反撃。ここで先発・山下律夫をリリーフした小谷は、末次民夫を左飛に打ち取り、ピンチを切り抜けた。ところが、7回に代打・黒江透修の三塁線バント安打など2安打と四球で無死満塁のピンチを招いてしまう。
 
 柳田俊郎を三飛、土井正三を右飛に打ち取り、2死満塁まで漕ぎつけたものの、次打者は3番・長嶋。一発出れば、一気に試合はひっくり返る。そんな緊張のなか、長嶋を1-2と追い込んだ小谷は4球目、ストライクコースギリギリに外角直球をズバッと投げ込んだ。
 
 見逃し三振でスリーアウトチェンジと思われたが、山本文男球審の判定は「ボール!」。当時の審判は、ONが際どいコースを見逃すと、「あれほどの大打者が見逃すのだから」という先入観からボールに取る傾向が強く、これらは“王ボール”、“長嶋ボール”と呼ばれていた。
 
 だが、巨人系の報知新聞も“命拾い”と表現した疑惑の判定に、「頭に来た。完全にストライクだ!」とぶち切れた小谷は、グラブを地面に叩きつけると、自らマウンドを降り、ベンチに引き揚げようとした。

 ここから話は意外な展開を見せる。慌てて飛び出してきた青田昇監督になだめられ、しぶしぶマウンドに戻った小谷は「どうにでもなれ!」と、カウント2-2からの5球目、内角高めに直球を投げた。すると、明らかなボール球にもかかわらず、長嶋は大根切りのようなスイングで強引に打ちにいき、空振り三振。直後、バットを地面に叩きつけて悔しがった。
 
「いかんね。いくら思いきりの良さが大事だといっても、あんなクソボールを振ってはダメだ」と反省しきりの長嶋に対し、小谷は「どこでもいいから高めに投げれば手を出してくれると思っていたが、三振とはねえ」とほくそ笑んだ。

 結局、巨人は9回まで小谷を攻略できず、2対5で敗戦。2位・阪神に1.5ゲーム差に迫られ、マジックも消滅した。結果的に“長嶋ボール”にぶち切れた男が、巨人のV9を、過去8度では例を見ない大難産へと追い込んだのである。だが、一見結果オーライの幸運にも思える長嶋への投球は、“プロ野球人”の目には、“確信犯”に映るようだ。
 
 この試合に出場した選手の一人は、小谷を「打てそうで打てないピッチャー」と評し、長嶋への最後の1球について、次のように分析する。
 
「釣り球を投げたら、たまたま三振してくれたという話は、たぶん謙遜。一発打たれたら逆転されてしまう場面でインハイに投げるなんて常識じゃ考えられないからね。でも、長嶋さんのようなホームランバッターは、インハイを打つことにものすごくこだわりがある。追い込まれて、ストライクゾーンも広めに設定していただろうし、“来た!”と思わず反応してしまったのでは? だから、(小谷は)三振を狙ってインハイに投げたんだと思う。“長嶋ボール”の判定にカチンときて、“それなら絶対三振に取ってやろう”と。そんなことを口にしたら、長嶋さんに失礼だから、たまたまそうなりましたみたいな話になったんじゃないかな」。

 これが事実なら、後年、大洋、ヤクルトの監督を務めた関根潤三から「ピッチングコーチとしてはピカイチ」と認められ、佐々木主浩、三浦大輔、川崎憲次郎、五十嵐亮太らを育てた“小谷流投球術”の片鱗がうかがえるエピソードと言えるだろう。
 
 2005年から巨人の投手コーチに就任した小谷は、内海哲也、宮国椋丞らを育成。入団テストを受けた山口鉄也のチェンジアップを見て、「コーチがスカウトをしてはいけない」という自らの信念を一度だけ破り、獲得を進言したエピソードも知られている。

 “長嶋ボール”にぶち切れた男が30数年後、くしくも長嶋が終身名誉監督を務める巨人の名伯楽として、第二次原政権の黄金時代に大きく貢献する。これもプロ野球の人間模様の面白さである。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2019」上・下巻(野球文明叢書)

週刊新潮WEB取材班編集

2020年2月3日 掲載

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