野村克也さんを偲ぶ 担当編集者の“素人すぎる質問”に20分考えて出した回答とは

野村克也さんを偲ぶ 担当編集者の“素人すぎる質問”に20分考えて出した回答とは

野村克也さん

 名捕手、名将だった野村克也さんは、巧みな話術でも大いに世間を愉しませてくれた。決して多くは語らないものの、本質を見抜くその語りは、ひょっとすると、記者とのやりとりで磨かれたものかもしれない。連載担当としてご自宅に通い、夫妻と交流した元週刊朝日編集長の川村二郎氏が“追悼・野村克也さん”を寄せた。

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 一九八一年、「週刊朝日」で「野村克也の目」というタイトルで連載をすることになったのは良かったが、始めるとすぐ、

「これはエライことを引き受けたぞ」

 と思った。

 野村さんは当時、「南海ホークス」の監督兼捕手の座を沙知代さんとの関係を好ましく思わない親会社やホークスのOBに指弾され、ホークスを追われてロッテ、ライオンズと渡り歩いた末に、プロ野球評論家の一年生として歩き始めたばかりだった。

 プロ野球生活を終わるに際し、評論家の草柳大蔵さんから、

「生涯一捕手」

 という“称号”を贈られ、この称号が注目されたおかげで名前が知られるようになったのだと、関東のプロ野球ファンは思っていた。関東では巨人ファンが圧倒的に多かったので、パ・リーグの覇者の南海や西鉄は嫌われていたのである。

 しかし、そんなことより何より、野村さんの口の重さは尋常ではない。球場でコーヒーを飲み、当時住まいのあった東横線の「都立大学前」のお宅に着くと、食卓に夫人手作りの夜食が並び、テレビがフジの「プロ野球ニュース」を放送しているのだが、画面に野球が映っているかぎり、何を聞いても耳に入らないようなので、テレビが終わるのを待つしかない。

 で、私が質問をするのは、午前一時すぎになる。私が知りたいのは、プロ野球の解説者がよく言う、たとえば、

「ピッチャーの基本はストレートです」

 という説明である。どうして基本はストレートなのか、納得のゆく解説は聞いたことがない。プロ野球が専門の記者にとっては常識なので、誰もそんなことは聞かないのだろう。しかし、私はズブの素人である。ストレートがなぜ基本なのか、遠慮なく聞く。

 野村さんはそんなことを聞かれたことがないようで、黙って考え込む。私は私で大学ノートを開いたまま、説明してくれるのを待つ。十五分か二十分かすると、ボールを手にした野村さんが現れ、やおら、

「このボールをあの壁の額に当てろと言われたら川村さん、真っ直ぐを投げるでしょう。狙ったところに一番投げやすいのがストレートなので、投手はストレートが基本なんですよ」

 と説明してくれる。

 しかし、この話だけでは大学ノートの半分も埋まらない。この話を中心に、長いプロ生活で、コントロールが良かったのは誰か、選手のエピソードを聞き始めると、時計はそちこち午前三時を回っている。沙知代夫人は大体、二時を過ぎるとコーヒーのお代わりをいれ、灰皿を代えてお休みになる。

「おやすみなさい。この続きはまた明日、お願いします」

 と言って野村邸を出ると、東の空が明るくなっていることもあった。


■講演の名手に


 一週間に六日、こういう生活を続け、七日目の夜、文章にしたものを野村邸に持参してチェックをしてもらう。野球では「送球」と「返球」は違う。足をすくわれないようにするには、確認が第一である。

 言葉使いにうるさいと思っていた沙知代夫人も、文章を気に入ってくれたらしく、スポーツ新聞がよく使う「ワシ」という関西弁はやめて下さい、と言うこと以外は、何も注文がつかなかった。

 どうやら野村さんも文章を気に入っていたらしい。毎回毎回、原稿を穴の開くほど読み返し、元々頭の良い人だからだろう、人に説明する時はどういう話を核にし、どんな順番で話を運べば良いか、理解されたようである。

 この“訓練”は講演に役に立ったかと思われる。連載が始まって四、五ヵ月した頃、野村さんに、

「講演を頼まれたんだけど、何をしゃべれば良いのかなあ」

 と言われ、

「お得意のプロ野球の裏話をすればいいんですよ。野村さん、野球について語ることのが一番でしょう」

 と、即答した。

 野村さんは、

「そんな話で本当にいいんですかねえ」

 と、ブツブツ言っていたが、講演から帰ってくると予想以上に評判が良かったそうで、ニコニコしていた。

 その後、野村さんは「講演の名手」の名を欲しいままにし、超のつく売れっ子になったのは、広く知られている通りである。

 講演の決めゼリフは、

「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すは上」

 というものだった。

 しかし、最晩年、心を許した知人には、

「オレが残せたのは金だけだったなあ」

 と言っていたそうである。

川村二郎(かわむら・じろう)
文筆家。1941年、東京生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。「週刊朝日」編集長、朝日新聞編集委員などを歴任。著書に『いまなぜ白洲正子なのか』(新潮文庫)、『社会人としての言葉の流儀』(東京書籍)、『学はあってもバカはバカ』(ワック)などがある。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年2月16日 掲載

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