朝日新聞が明治時代にやっていた「反野球キャンペーン」 新渡戸稲造のトンデモ発言も掲載

朝日新聞が明治時代にやっていた「反野球キャンペーン」 新渡戸稲造のトンデモ発言も掲載

朝日新聞が明治時代にやっていた「反野球キャンペーン」とは

■にっぽん野球事始――清水一利(11)


 現在、野球は日本でもっとも人気があり、もっとも盛んに行われているスポーツだ。上はプロ野球から下は小学生の草野球まで、さらには女子野球もあり、まさに老若男女、誰からも愛されているスポーツとなっている。それが野球である。21世紀のいま、野球こそが相撲や柔道に代わる日本の国技となったといっても決して過言ではないだろう。そんな野球は、いつどのようにして日本に伝わり、どんな道をたどっていまに至る進化を遂げてきたのだろうか? この連載では、明治以来からの“野球の進化”の歩みを紐解きながら、話を進めていく。今回は第11回目だ。

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 早慶戦は中止となったものの、野球人気はさらに高まり、他の学校でも試合が盛んに行われるようになった。しかし、その試合でも早慶戦同様の行き過ぎた応援が問題となり、野球禁止を決定する学校が増えていった。

 そうした中、1911(明治44)年8月から9月にかけて野球界を揺るがす大問題が起きた。東京朝日新聞が「野球と其害毒」と題した連載記事を22回にわたって掲載、野球が学生に相応しくないものであり、学生にいかに害を与えるかという趣旨の「野球害毒論」を展開したのだ。

 記事は著名人の談話、全国の中学校長などを対象に行ったアンケート結果などで構成された。その中で、第一高等学校校長の新渡戸稲造は、「野球という遊戯は巾着切りの遊戯である」と断言した。巾着といっても、いまどきの人には分からないかもしれない。小物や手回り品を入れて持ち歩くための、入れ口を紐で縛った袋を巾着と呼び、ここで新渡戸のいう“巾着切り”とは現在の言葉でいえば“すり”のことだ。

 さらに、「(野球は)相手をつねにペテンにかけよう、計略に陥れよう、ベースを盗もうなど目を四方八方に配り、神経を鋭くしてやる遊びである。ゆえにアメリカ人には適するかもしれないが、イギリス人やドイツ人には決してできない」と新渡戸はいい、「野球は賤技なり。剛勇の気なし」とまでいい切った。

 また、川田正澂(まさずみ)府立第一中学校校長は野球の弊害として、「学生の大切な時間を浪費させる」「疲労の結果、勉強がおろそかになる」「慰労会などで牛肉屋、西洋料理店などに出入りするようになり堕落する」「野球は主に右手で投げ右手で打つため、体の発達に不具合が生じる」の4つを挙げ、「学校が誇りとするのは学問優秀な生徒であって、優秀な選手ではない」とした。

 さらに、当時、学習院の院長を務めていた乃木希典は、「野球の試合は長い時間を費やしたり、勝負に熱中しすぎるなどさまざまな弊害を伴う。学生は野球ではなく、馬術や弓術をやるべきである」と言った。

 現代からすれば、どれもこれも何の根拠もない笑止千万な珍説や怪説ばかりといえる。それでも当時は多くの支持を受け、人々の関心を集めて世間は大いに盛り上がったのだった。

 こうした東京朝日新聞の反野球キャンペーンに対して、野球擁護派ももちろん黙ってはいなかった。そのころ東京朝日新聞のライバル紙であった東京日日新聞(現在の毎日新聞)、読売新聞を巻き込んでの大論争へと発展した。

 東京朝日に対し真っ向から反対の声を上げたのは、やはり早慶野球部の関係者だった。その中心となったのが冒険小説家で早稲田野球部の前身ベースボール部の創設者である押川春浪である。

 押川は連載記事が掲載されると、すぐ東京朝日に面会を申し入れたが、拒否されると東京日日に「侮辱せられたる学生のために弁ず」という記事を寄稿し、特に野球害毒論の中心にいた新渡戸に対して、「相手を欺くのが巾着切りであり、野球が巾着切りの遊戯というのであれば、柔道も庭球もすべて同じではないか」と激しく批判した。

 この他、早稲田総長の高田早苗、慶應塾長の鎌田栄吉、早稲田野球部長の安部磯雄らも東京日日の連載記事に対して反論し、それぞれが遺憾の意を表明した。

 しかし、それでも怒りの収まらない押川は9月16日、東京・神田で安部、大隈重信、河野安通志(第1回早慶戦における早稲田の先発投手。のちのアメリカ遠征にも参加)らの弁士を集めて「野球問題大演説会」を開催した。当日の会場には多くの人々が集まり、開場1時間前には満員札止めとなり、入り切れない人が会場前にあふれるほどの盛況だったという。

 そして、弁士たちが、「東京朝日に掲載された記事は、すべて野球の門外漢たちの戯言である」と切り捨てると、会場は歓声と拍手で大いに盛り上がった。

 こうした野球擁護派の反論に対して、東京朝日は9月20日、「野球の弊害は明らかだが、野球擁護論者もその弊害を絶ち、健全な発達を図れば天下の幸いである」という内容の記事を掲載し事態の収束を宣言したが、その後も野球をめぐる論争はしばらく続くこととなる。

 ちなみに、当時の資料を精査していくと、東京朝日に掲載された新渡戸の言葉は、そのほとんどが捏造だったことが明らかになっている。というのも、連載第1回の掲載から2日後、新渡戸はアメリカに向かって旅立っていたからである。おそらく東京朝日はそのことを計算したうえで、新渡戸の名を借りて反野球キャンペーンを行った、いわば“確信犯”だったのだろう。

 この野球に対するネガティブキャンペーンは東京日日、読売などとの部数競争が激化していた当時の新聞業界で、東京朝日が自らの存在をアピールするために野球の人気を利用しようとしたのではないかというのが現在の通説である。

【つづく】

清水一利(しみず・かずとし)
1955年生まれ。フリーライター。PR会社勤務を経て、編集プロダクションを主宰。著書に「『東北のハワイ』は、なぜV字回復したのか スパリゾートハワイアンズの奇跡」(集英社新書)「SOS!500人を救え!〜3.11石巻市立病院の5日間」(三一書房)など。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年4月25日 掲載

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