清原和博、執行猶予明けで「キヨさんに救われたエピソード」を蔵出しで

清原和博、執行猶予明けで「キヨさんに救われたエピソード」を蔵出しで

2000本安打を達成した頃の清原。無冠の帝王と言うより、記録より記憶に残る男と言うべき選手だった

■「甲子園は清原のためにあるのか?」


 開幕ダッシュに成功した巨人。タイミングを合わせたわけではないが、清原和博の執行猶予が明けたのは6月15日。筆者の徳光正行は巨人ファンである以上に清原ファンで、彼との交流の中でその人柄をよく知る人物である。失恋した際にゴルフを一緒にプレーした際のエピソード、父和夫が急性心筋梗塞で倒れた時の出来事……全米ならぬ全日本が涙しそうな清原ワールド。

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 プロ野球ペナントレース開幕から10日が経ちまして、我が軍は3カード6勝2敗1分という成績を残し、見事開幕ダッシュに成功しました。我が軍とは球団名に唯一「軍」の文字を使っている、東京読売巨人軍のことでございます、悪しからず……。まだ始まったばかりですし、これからペナントレースならではの悲喜こもごもについて、私をはじめファンの皆様は味わうこととなるわけですが、ひとまず無事に開幕戦を迎えスタートしたことを喜びたいと存じます。

 評論家でも巨人OBでもない私が素人なりにファンなりにこの3カードを振り返りますと、初戦の勝ち方がとても素晴らしかったように思えます。

 まずは開幕戦、エース・菅野智之投手が相手投手である西勇輝選手にまさかの2打点を献上してしまいます。が、その西勇輝投手の降板後に登板したセットアッパー・岩崎優投手から伏兵・吉川尚輝選手が値千金の逆転2ランをスタンドに叩き込み見事な逆転勝利。

 続く広島戦初戦は、若きエース候補・戸郷翔征投手が躍動し先発初勝利。さらにヤクルト戦初戦は先発・菅野投手が打ち込まれ、敗戦濃厚な雰囲気で迎えた9回表。これまた伏兵・重信慎之介選手が逆転2ランをかっ飛ばすなど、スタート早々なかなかドラマチックな勝ち方をしているのが、ファンにとってはたまりません。

 では主軸はどうかと申しますと、坂本勇人選手は安定した打撃で打点を稼いでいまして、守備などは去年よりも調子が良いのでは? と思わせる躍動感あふれるプレーをしております。さらに岡本一真選手にいたりましては、「平成の4番が松井秀喜」なら「令和の4番は岡本一真」と思わせる活躍ぶり。広島東洋カープの鈴木誠也選手と3冠王争いを繰り広げるのではと、感じさせる飛躍を遂げております。

 あと、まだ始まったばかりですが、ヘラルド・パーラ選手とエンジェル・サンチェス選手にダメ外国人選手のレッテルを貼った、目が節穴の評論家の皆さん、どうか2人に土下座をよろしくお願い致します。

 さて、巨人ファンそして野球ファンとして、もう一つ嬉しいことがありましたことを伝えずにはいられません。

 6月22日放送のCSフジテレビONE「プロ野球ニュース」に、清原和博さんが生出演なさったことです。6月15日に、覚せい剤取締法違反罪で受けた懲役2年6月の執行猶予期間(4年)が満了してから初のテレビ出演となり、話題になりました。今回の社会復帰に対して否定的な方がいらっしゃるのも承知しておりますが、私個人としては待ちに待った出来事でありましたし、そう感じる野球ファンの方も少なくないと思っています。

 もちろん、清原さんが犯してしまった罪は許されることではありませんが、刑期を終えて社会に戻ろうとしている方を侮蔑したり非難したりすることが正解だとは思えません。さらに加えるならば、覚せい剤をはじめとする違法薬物取締法に抵触してしまった人たちに対しては、逮捕・起訴というよりも依存症に対する治療に重きを置くべきなのではと思っております。

 フィリピンのドゥテルテ大統領の方針じゃないですが、違法薬物を提供した側に重罪を課した方が良いのではとも思います。ただ、そろそろ戻らないと本題に触れられないで終わってしまいそうなので、戻ることにします。

 清原さんは昭和生まれの人間にとってスーパースターの中のスーパースターでした。野球ファンでなくてもその名前を耳にしたことがないという人はいなかったのではないでしょうか?

「甲子園は清原のためにあるのか?」

 1985年夏の甲子園決勝で、中継する朝日放送の植草貞夫アナウンサーにそう言わしめた特別な存在でした。その年のドラフトでは意中の球団である巨人に指名されず、不安を抱えながら入団した西武ライオンズでは1年目から大活躍し、高卒ルーキー最多の31本塁打を放ち見事新人王にも輝きました。

 なんと言っても忘れられないのが、1987年の日本シリーズで巨人と対戦してあと1アウトで日本一となった時点で、守備についていた1塁上で涙を流した時は、西武ファンのみならず巨人ファンも清原さんのその姿に感動したものでした。

 あそこで涙が溢れてしまうということは、性の根が純粋かつ優しく弱い人なのだなと思ったものです。そういった青年に近づき悪の道へと誘った人間を許すことができません。


■難病の子へのサインと徳光ファミリーへの“プレゼント”


 また、少しずれたので本道に戻しますと、その後、紆余曲折を経てFA権を行使し憧れだった東京読売巨人軍に入団しますと、想像以上のバッシングに苦しんで少し乱暴な振る舞いや言動をするようになり「番長」などと揶揄するマスコミやファンも増えていきました。もっとも、当時取材にあたっていた方の話を聞きますと、そういう立ち居振る舞いだけの人ではなかったそうです。

「清原さん、確かに恐い雰囲気がありましたし、取材で近づいても素通りされることもありました。ただ、私の友人の息子さんが難病を患っておりまして、その子から清原さんのサインが欲しいと頼まれたので、意を決して清原さんに話してみたんです。そうしましたら、黙ってペンと色紙を取り、サインと宛名を入れて激励の言葉まで書いてくださったんです。そして、別れ際に口に人差し指をあてニコリとしてくれました。その表情を見た時に絶対に悪い人ではないなと確信しました」

 というエピソードも伺いましたし、かくいう私も20代後半に大失恋をしまして、落ち込む私を見かねた父が、清原さんとのゴルフに誘ってくれたことがありました。

 ゴルフ場に到着して紹介される前、トイレですれ違った際にあの体躯と鋭い眼光にとにかくたじろぎました。しかし、ラウンドをしながら話をすると大変穏やかな方で「ただの失恋ならええやん、俺なんて裁判になったことあるからね」と自身のエピソードを交えて慰めてくださいました。

 そして当時、清原さんがよく着用していたTシャツとパーカーをプレゼントしてくださることになり、住所を渡しましたら「サイズも書いといて、俺のサイズだと着られないでしょ?」と気配りまでしていただきました。

 さらに私の父和夫が2001年に急性心筋梗塞で倒れた時、3打席連続ホームランを打ったバットに激励文とサインを添えてプレゼントしてくださったこともありました。大の巨人ファンであり清原ファンである父にとって、3打席連続ホームランだけでも最高のプレゼントなのにそのバット(3本目のホームランを放った際に亀裂が入っている)までくださるなんて、私たち家族は感涙しましたし、偶然かバットのおかげか父の容体がその後みるみるうちに回復していったことを、昨日のことのように覚えております。

 そして志半ばで巨人を退団しオリックスに移籍する時には、感謝の言葉が綴られた直筆の手紙(10枚以上に亘るもの)を父によこしてくださったこともあります。

 薬物依存との戦いは、御本人もおっしゃる通り生きている限り続くものと思われます。私たち親子のように清原さんに救って頂いて端っこで生きている者、そして清原さんを支える野球関係者を始めとする仲間、そしてご子息や元の奥様、皆さんが清原さんのことを応援しています。決して無理をせず過度なプレッシャーを感じずに、新しい清原和博の人生を全うして欲しく思うとともに、マスコミの皆さんや媒体越しに清原さんを見つめる皆さんも悪意を抱かないで、見守っていただけたらと思う次第でございます。

徳光正行
1971年12月生まれ。茅ヶ崎市出身。日本大学芸術学部在学中よりミュージシャンを目指すが、父の病により断念。その後、司会業やタレント業に従事する。また執筆活動にも着手し、『伝説になった男〜三沢光晴という人〜』『怪談手帖シリーズ』、岩井志麻子氏との共著に『凶鳴怪談』がある。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年6月29日 掲載

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