巨人「原監督」の賭けゴルフ、球団コーチとも 犯罪的“握り”をメンバー告発

巨人の原辰徳監督に賭けゴルフ報道 「負けると不貞腐れさっさと帰る」との証言も

記事まとめ

  • 15年秋に野球賭博問題に揺れた巨人の原辰徳監督が、賭けゴルフをしていたと報道された
  • 十数年前から一緒にラウンドしてきた男性は「何百万円持っていかれたことか」と証言
  • 原監督が負けた日は不貞腐れ、クラブハウスにも寄らずさっさと帰ってしまうのだとか

巨人「原監督」の賭けゴルフ、球団コーチとも 犯罪的“握り”をメンバー告発

巨人「原監督」の賭けゴルフ、球団コーチとも 犯罪的“握り”をメンバー告発

原辰徳監督

■巨人「原監督」常軌を逸した「賭けゴルフ」(1/2)


 6月19日、およそ3カ月遅れでプロ野球が開幕した。昨年セ・リーグを制した巨人は、本拠地で阪神に3連勝という上々の滑り出し。が、チーム内には、長らく放置されてきた“公然の秘密”が、あたかも澱のごとく沈んでいる。その正体は「指揮官」の賭けゴルフ――。

 ***

 天網恢恢疎にして漏らさず。お天道様にはすべてお見通しとはいえ、不行跡が露見した後、みそぎを経てカムバックした選手がいるかと思えば、“危険な嗜好”を抱えながら何喰わぬ顔で采配を振り続ける指揮官もいる――。

 まずは、前者の活躍から。開幕カードの対阪神戦で、巨人が3連勝したのは史上初めてだという。

「3試合を通じ、リリーフ陣は阪神に1点も与えませんでした。中でも『バースの再来』と期待される新外国人のボーアに対し、2、3戦とも2死満塁の場面で対決し、2日間ともきっちり抑えた左腕・高木京介の好投が印象的でした」(スポーツ紙デスク)

 こうした連日の救援陣の活躍には、指揮官である原辰徳監督も称賛を惜しまなかったのだが、その3連勝の立役者である高木といえば4年前、世間を騒がせた一連の「野球賭博事件」に名を連ねたことは記憶に新しい。

「2015年秋、のちに賭博開帳図利幇助容疑で警視庁に逮捕されるピッチャーの笠原将生ほか2人の選手の野球賭博への関与が明るみに出ました。11月にはNPB(日本野球機構)が3選手に無期失格処分を下し、またオーナー会議では巨人の白石オーナーが陳謝、再発防止に取り組むとしたのですが、年が明けた16年3月、高木京介も笠原を介して野球賭博に関わっていたことが分かったのです。これを受けて巨人は、渡邉恒雄最高顧問をはじめ、オーナー、会長ともども引責辞任する事態となりました」(同)

 賭博への関与の度合いが薄いと見なされた高木は、1年間の失格処分に。球団から契約を解除されたのち、処分が解かれた17年3月に再契約している。

「18年の開幕戦には救援で登板し、およそ900日ぶりの1軍出場を果たしました。昨季は55試合に登板、前年比500%アップとなる推定年俸3千万円で更改しています」(同)

 めでたく再チャレンジが叶ったというわけだが、事件真っ只中の16年3月、巨人は「内部調査」を実施し、結果を公表。対象者は監督をはじめ全ての選手とコーチ、スタッフと球団職員の計299人で、新たな野球賭博や野球協約違反にあたる賭博常習者との交際は確認できなかったものの、賭け麻雀は14人、賭けゴルフについては42人が経験ありと回答した。が、球団はこれらの事案を「野球協約には抵触しない」などとして、氏名の公表を見送っていた。

 自らの仕事を賭けの対象とした野球賭博の罪はむろん深い。が、前述のように処分というけじめを受け入れて表舞台に戻ってきた中堅がいる一方、多額の金銭を賭けてゴルフに興じながらも、これまで一切公表されることのなかった最高責任者が存在するのだ。

 それは、今回の開幕を迎えるにあたり、

〈やっぱり野球というものが非常に好きなんだなと、自分自身でも思った〉

〈2020年度のジャイアンツを歴史に刻む年にする〉(「読売新聞」6月19日朝刊別刷)

 などと、殊勝にも口にしていた原監督に他ならない。


■「監督に50万やられちゃって」


「表沙汰になったことはありませんが、原さんはとにかく賭けゴルフが大好き。すごい腕前の上にとんでもないレートで握るから、これまで累計で何百万円持っていかれたことか……」

 こう証言するのは、十数年前から一緒にラウンドしてきた50代の男性である。

 確かに先のデスクによれば、

「原監督のゴルフ好きは広く知られていて、ハンデもシングル。といってもシーズン中は時間がなく、おもに年末年始にプレーしています。時には、選手やコーチらと回ることもあります」

 その一例として、

「日本一やリーグ優勝を成し遂げたシーズンの暮れには、選手やスタッフの慰労を兼ねてハワイやオーストラリアに旅行するのが恒例ですが、そうした際に監督は連日、現地で朝からチームメイトとゴルフに興じていますよ」(同)

 とのことで、実はかつて2000年代後半には、こんな場面も目撃されていた。

「宿泊先のホテルで朝、あるコーチがゴルフバッグを背負って大慌てでロビーを移動していました。周りの関係者が何ごとかと尋ねたら、そのコーチは『ゴルフに行きたくないので部屋にいたら(原)監督から“来い”って電話が掛かってきて……』と言うのです。何でも、お金が相当動くようで『昨日も監督に50万(円)やられちゃって、どうせ今日も負ける。年俸が全然違うから痛いです』などとぼやいているのを耳にしました」(同)

 実際に原監督のゴルフは玄人はだしで、自身が会員である名門「相模原ゴルフクラブ」では、2004年にクラブチャンピオンにも輝いている。

「現役時代から球界随一の腕前で、1992年の暮れに催された『プロ野球選手会オールスターゴルフ』ではトータル80のベストグロスで回り、他の選手を圧倒しています。引退後も変わらずで、かねて“50歳で米シニアツアーに参戦するのが夢”と公言していましたし、“セミプロ”といっても過言ではありません」(同)

 ちなみに09年の優勝旅行では、オーストラリアの「パームメドウズ・ゴルフコース」で選手会コンペに参加。アウト38、イン36の計74で優勝している。そんな実力者を相手に金銭のやり取りが生じれば、たしなむ程度のチームメイトなどひとたまりもない。


■「ラスベガス」にからくりが


 とはいえ、原監督の“主戦場”は身内相手のコンペではない。さきのラウンド仲間がすさまじい内幕を明かす。

「私が知っていた飲食チェーンの社長が原監督とも懇意にしていて、その縁でプレーするようになりました。当時、原さんは2度目の監督を務めていた時期。ゴルフ場は、おもにその社長が会員になっている千葉や茨城などのコースで、私が連れてきた友人と4人で回ることが多かった。時期はいつも秋季キャンプが終わってから1月末までで、多い時は1年に2〜3回はご一緒していましたね」

 監督の腕前は、ここでも突出しており、

「当時でハンデ1でしたし、その飲食チェーンの社長もエイジシューターだったから、一緒にプレーするには80前後で回らないと勝負にならない。私は毎回、それなりの腕をもつ友人を連れて行かなければなりませんでした」

 なぜなら、およそ一般常識から大きく乖離した額の現金が動いていたからである。。

「原さんとプレーする時のルールは、一般に『5・10・2(ゴットーニ)』と呼ばれるものでした。ストローク1打につき5千円。18ホール回って、10打差がついていたら5万円の負けです。そしてホールごとの勝敗が1万円。全部負ければ18万円になり、あとはハーフの勝敗ごとに2万円というわけです。ただ、これだけでは負けても大してかさみません。問題は、さらに『ラスベガス』というルールが加わることなのです」

 ゴルフの賭け方にはさまざまな種類があるが、中でもこの「ラスベガス」は最もギャンブル性が強く、点差もつきやすいルールだという。具体的には、1番打者と4番打者をペア(A組)にし、2番と3番が組む(B組)。A組が3打と4打で上がれば、多い方を1の位にして「34」とする。一方のB組が4打と5打だったら、「45」となり、その差は11。ただし、

「片方の組がダブルパー(パー4なら8打)を叩いてしまうと、一の位と十の位をひっくり返さなければならない決まりです。つまりパー3のホールをA組が3、6で上がると、本来は『36』のところが『63』になる。原さんとのゴルフではラスベガスは1打千円だったから『ゴットーニ』と合わせて100万円近くが動いていました」

 その上、恐ろしいルールが適用された。本来、ゴルフでは前ホールでの成績順にショットするのでペアが入れ替わり、スコアが均衡化される。ところが、

「数年前から、ラスベガスのペアが原さんとそのエイジシューターの社長とで固定されてしまったのです。本来はおかしな話なのですが、完全に“チーム制”となってしまい、私は自分の連れと組むしかなく、ますます上手い相方を呼ばなくてはならなくなった。そんなわけで、私や友人などは毎回、手元に100万円ほど用意してプレーに臨んでいましたね」

 つまりは“いんちきラスベガス”を仕掛けられたというわけだ。まことに災難というほかないのだが、それでも賭け金の支払いは、「現場精算」が決まりだったという。

「大体いつも原さんが勝つので、私たちはクラブのレストランで、現金をタオルやノートで包んで、周りに見られないようテーブルの下からこっそり手渡していました。勝った時の原さんは上機嫌で、プレー代を出してくれたり『何でも好きなもの食べてよ』と、食堂でご馳走したりしてくれた。お土産に、球団ショップで売っているような自分の色紙やサインボールも持ってきてくれましたが、そんな市販品は味気ないから、私は無地の色紙を20枚ほど持参し、その場でサインしてもらっていました」

 監督はもっぱら、にこやかに応じていたというのだが、

「ごくたまに原さんが負ける日があって、そんな時は負け分を自分で払おうとしませんでした。クラブハウスにも寄らず、『これから用事があるから』などと不貞腐れ、持参したサインボールも配らずにさっさと帰ってしまうのです。代わりに社長が『これ、監督の負け分』と、こっそり包んで渡してくれました。せっかく原さんを負かしたのだから本人から受け取りたかったのですが、根っからの勝負師なのでしょう。負けると子供のように機嫌が悪くなっていましたね」

(2)へつづく

「週刊新潮」2020年7月2日号 掲載

関連記事(外部サイト)