私も経験した野手から投手、結局は実現しなかったが… 思い出す秘話【柴田勲のセブンアイズ】

私も経験した野手から投手、結局は実現しなかったが… 思い出す秘話【柴田勲のセブンアイズ】

増田大輝

 首位を守る巨人が少しおかしくなってきた。6日の阪神戦(甲子園)を落とすと、7、8日の中日戦(ナゴヤドーム)も敗れて今季2度目の3連敗を喫した。9日はオープナーで臨み計8人の投手を使って2失点で踏ん張り、なんとか引き分けに持ち込んだ。

 4試合連続で2得点以下からわかるように頼みの坂本勇人、丸佳浩の不調が大きく響いている。坂本は18打席(3四球)、丸は23打席(2四球)連続無安打だ。(10日現在)

 2冠の岡本和真が頑張っているが、極端な話、この3人以外で取った点は「儲けもの」と思った方がいい。とにかくいまは坂本、丸の復調を待つしかない。

 ところで、原辰徳監督の采配が話題になっている。6日の阪神戦で8回に大量7点を奪われて11点差になり、1死走者なしの場面で原監督が堀岡隼人に代えて内野手の増田大輝をマウンドに送った件だ。

 野手の登板は2000年にオリックスの五十嵐章人内野手がリリーフ登板して以来だ。

 これが賛否両論を呼んでいるというのだが、私に言わせれば「なんの問題もなし」だ。外野がこの采配を問題視するのは筋違いだと思う。チーム事情による起用だ。野手が投手をやってはいけない。捕手は投手をやってはいけない。こんなルールがあるのならともかく、そんなものはない。

 阪神に対して失礼だ。こんな意見もあるようだが、阪神は勝っている。原監督は負け試合と宣言したようなもので、これが僅差の試合ならともかく、矢野耀大監督だって10点差以上ついていたら、やるかもしれない。メジャーでも大差がついた試合で野手が登板するケースはままある。イチローや青木宣親だってMLBで登板している。野手からマウンドに立つ。私も実現はしなかったものの、2回ほど直前まで準備をしたことがある。

 1回目はV9時代だ。何年何月何日とは思い出せないが、前半戦で一方的な展開になり、ベンチの投手が少なくなっていた。センターを守っていたが、川上(哲治)監督が私の顔を見ると、「おい、柴田、行くかもしれないからな。用意しておけよ」と言う。

「ハイ、分かりました」とキャッチボールをして備えた。結果としてマウンドには上がらなかったものの、行く気でいた。

 2回目は1977年、長嶋(茂雄)監督の3年目の北陸遠征(石川)、5月18日の大洋戦だった。クライド・ライトが先発した。彼は早々に打ち込まれた。継投に入ったものの、出て行った投手陣も勢いを止めることができずに、10点以上取られて、大差がついてしまった。

 ベンチには2人の投手しか残っていなかった。私、やはりセンターを守っていた。長嶋監督は、「もしかしたら投げてもらうことになるかもしれない」と話しかけてきた。川上さんの時はキャッチボールだったけど、この時はブルペンで投球練習を行って準備した。準備はしたものの結局、マウンドに上がることはなかった。私の場合、2回とも幻に終わったけど、今回の「増田大投手」を見て思い出した。今季はご存じの通り、すごい過密日程だ。投手を無駄使いしたくない。6日の試合では中川皓太、大竹寛、鍵谷陽平、大江竜聖と4人残っていた。原監督は先を見据えて温存したのだろう。戦略である。

 増田大は徳島・小松島高時代はエースとして鳴らし3年夏の県大会で4強入りした実績があるという。

 増田大は近本光司を二ゴロ、江越大賀を歩かせたが、大山悠輔を右飛に仕留めて無失点。最速は138キロの直球で、変化球を交えてしっかり切り抜けている。同時に堀岡も救ったことになる。

 コントロールが良かったら四球連発はないし、そうそう連打を浴びない。巨人首脳陣は以前から増田大に投手で起用する可能性を伝えていたという。おそらく、コントロールを含めて総合的な観点から使えると判断し、有事に備えていたのだと思う。危機管理の一環だろう。

 それに6日の救援陣温存が9日の8人の投手によるドローにつながった。今後も過密日程は続いていく。だれかがどこかでケガをして戦列を離れることだってある。あらゆる可能性を探り、その時に備える。これでいいし、何度でも言うが「なんの問題もなし」だ。

 さて、これまた何度でも指摘することだが、打撃の基本はワンストライク目を積極的に振ることだ。坂本、丸はボール球を振っている。これでは相手投手を助けるだけだ。

 10、11日は試合がない。心身ともにリフレッシュして再スタートを切ってほしい。

柴田勲(しばた・いさお)
1944年2月8日生まれ。神奈川県・横浜市出身。法政二高時代はエースで5番。60年夏、61年センバツで甲子園連覇を達成し、62年に巨人に投手で入団。外野手転向後は甘いマスクと赤い手袋をトレードマークに俊足堅守の日本人初スイッチヒッターとして巨人のV9を支えた。主に1番を任され、盗塁王6回、通算579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録。80年の巨人在籍中に2000本安打を達成した。入団当初の背番号は「12」だったが、70年から「7」に変更、王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」とともに野球ファン憧れの番号となった。現在、日本プロ野球名球会副理事長を務める。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年8月12日 掲載

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