今や年商140億円の建設会社社長!元巨人ドラ2「松谷竜二郎さん」の華麗なる転身

元巨人の松谷竜二郎氏、今は建設会社社長に スチールエンジは売上100億円を突破

記事まとめ

  • ドラフト2位で巨人に入団した松谷竜二郎氏は当時、なかなか1軍で活躍できなかった
  • 松谷氏は野球を辞めてからは建設会社に入社し、営業兼現場作業員として働き始めた
  • 建設会社が倒産後に同業他社へ転職し、社会人野球時代の人脈を使い会社の規模を拡大

今や年商140億円の建設会社社長!元巨人ドラ2「松谷竜二郎さん」の華麗なる転身

今や年商140億円の建設会社社長!元巨人ドラ2「松谷竜二郎さん」の華麗なる転身

ドラフト2位で巨人に入団した元プロ野球選手の松谷竜二郎さん

 ドラフト2位で巨人に入団した元プロ野球選手が、今や年商140億円の建設会社の社長だという。その名は松谷竜二郎さん、56歳である。ご本人に話を聞いた。

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 大阪出身の松谷氏は、小学2年生から野球を始め、大阪市立高校から大阪ガスへ。入社3年目から毎年都市対抗に出場。1988年には、優勝候補のプリンスホテルと対戦、延長12回の接戦を制し勝利投手となり、注目を集めた。同年のドラフト会議で巨人から2位指名され入団した。

 入団3年目の91年6月には、ヤクルト戦で2連続完投勝利を収め、ヤクルトキラーと呼ばれて飛躍が期待された。もっとも当時、巨人投手陣は、斎藤雅樹、槇原寛己、桑田真澄の3本柱に加え、鹿取義隆、角盈男、ガリクソンなど、層が厚かったため、なかなか1軍で活躍できなかった。

「91年にヤクルト戦で2連勝した後から、右肩の調子が悪くなったのです。」

 と語るのは、松谷氏。

 その後、中継ぎとなっても成績が残せず、95年に近鉄へ移籍。97年、右肩の故障で戦力外通告を受ける。


■末次コーチから「市ヶ谷へ行け」


「97年の秋、横浜の入団テストを2日間受けました。1日目は投げられたけれど、2日目は肩が痛くて投げられなくなって、これでおしまいかなと思いました」

 困った松谷氏は、巨人の末次利光コーチ(当時)に相談したという。

「何か仕事ありませんかとお願いしたのです。すると、末次さんから電話があって、『明日、池袋に来い』と。行ってみたら、台湾のプロ野球の日本担当スカウトを紹介されました。台湾へ行って投げてこいというのです」

 そして98年1月、台湾へ。

「2週間、実戦形式で投げさせてもらいました。打たれなかったのですが、結局肩が痛くなってしまい、不合格でした。帰国して末次さんに報告し、また、なにかあったらお願いしますと伝えました」

 結局、98年2月に引退。プロ通算成績は59試合に登板し、4勝4敗1セーブ。防御率は5・06だった。

「野球を辞めてからは就活しました。マグロ市場を見に行ったり、訪問セールスも考えたり。すると再び末次さんから電話があって、今度は『市ヶ谷へ行け』と。建設会社の社長を紹介してもらったのです。巨人の監督を務めた藤田元司さんと付き合いのある会社でした。入社するかどうか迷っていると、社長がいきなり、『いずれ社長になってもらいたい』と言うので、それならいいのかなと思い、入社することにしたのです」

 建設会社では、営業兼現場作業員としてスタート。

「最初は地獄でしたね。34歳でヘルメットを被って作業着を着て建設現場に入ったわけですが、素人ですから何もできません。15、6歳の若い職人から罵声を何度も浴びせられ、アゴで使われました。名前も呼んでもらえず、ただオッサン扱いです。もう、辞めようと思いました。でも、辞めると藤田さんや末次さんの顔にドロを塗ることになりますから、一生懸命働きました」

 建設現場では、元巨人の投手という肩書は通用しなかった。松谷氏は、建設業界に関する本を何冊も買って読み漁った。親方には頭を下げて、建設作業のイロハを教えてもらったという。


■社会人野球で人脈


「仕事を覚えるのに1年かかりましたね。営業マンとして、契約も取れるようになりました。ところが、入社して2年目の終わりに、会社の経営がおかしくなったのです」

 2000年、その建設会社は倒産。松谷氏は同業他社へ転職した。倒産した会社の仲間6人で、休眠状態だった建設会社を引き継いだという。

「東京・麹町に事務所を借り、無我夢中で働きました。以前勤めていた建設会社は協力会社に支払いが滞っていたのですが、逃げずに付き合いました。それで逆に信頼され始めました。仕事をしていく上で一番大事なのはやはり人脈です」

 当初、先代社長の次に就任したのは、以前の建設会社で一緒に勤めていた元巨人の捕手でトレーニングコーチだった阿野鉱二氏だった。

 松谷氏は、社会人野球時代に培った人脈を使い、会社の規模を拡大していったという。2002年に社名を「にちおん」から「スチールエンジ」に変更した。エンジは、エンジニアの略である。03年、松谷氏が社長に就任した。

「イトーヨーカドーやイオンなどの商業施設やディズニーランドやディズニーシーなどの施設を手がけました。具体的には、ビルの床の基礎工事です。ゼネコンから請け負って、床のベースになるデッキプレートを組み込み、生コンを流す直前までの専門工事をします」

 ビルの建設では、鉄骨工事、サッシ工事と何十種類もの工事がある。その中の1〜3種類を専門に行っているという。

 スチールエンジは2018年に売上が100億円を突破。業績は右肩上がりに伸び続けている。営業所も大阪、名古屋、福岡、仙台、札幌、岡山に開設した。

「グループ会社も設立し、グループ全体では170億円(今年2月期)の売上です。社員は現在120名おり、社員の中には、元巨人の選手1名の他、野球に限らず色々なスポーツを経験した社員が多く在籍しております。スポーツ支援で少年野球や社会人野球・サッカーをサポートし、昨年9月からは、巨人のイースタンリーグで「ヒーロー賞」を設け、活躍した選手に高級牛肉を贈る等協賛しています。昨年は、今年大活躍している戸郷翔征投手にヒーロー賞を贈りました。将来的には、社会人野球チームを作りたいですね。野球界へ恩返しが出来るようになればと思っています。野球に限らず、スポーツ界への恩返しです」

週刊新潮WEB取材班

2020年10月14日 掲載

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