指導者で巨人復帰の悲願達成、「桑田真澄」の人間力を磨いた30億円借金問題

指導者で巨人復帰の悲願達成、「桑田真澄」の人間力を磨いた30億円借金問題

桑田真澄

■バブル崩壊で借金王


 年が明けたばかりにもかかわらず、桑田真澄氏(52)が巨人のコーチに就任したというニュースがストーブリーグを独占している。確かに、それだけのインパクトがあった。現在も多くのメディアが続報を載せ、桑田氏の一挙手一投足を伝えている。(註:以後は敬称略)

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 1月12日、桑田は監督の原辰徳(62)と共にオンライン会見に出席し、1軍投手チーフコーチ補佐への就任が発表された。

「本当にうれしかった。そのひと言に尽きる」――印象的な感想を口にすると、さっそく仕事を開始した。14日には神奈川県川崎市のジャイアンツ球場を訪問。初日を迎えた新人合同自主トレーニングを視察した。

 スポーツ紙も世論も、桑田の現場復帰を歓迎する声で一色となった。しかし、彼の経歴を振り返ってみると、ある疑問が浮かぶ。

 桑田は1986年から2006年まで巨人でプレーし、2007年にはピッツバーグ・パイレーツに入団。最初はマイナー契約だったにもかかわらず、6月に39歳70日でメジャーデビューを果たすという“快挙”を成し遂げて引退した。

 引退後は野球解説者となり、09年には早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程1年制コースに合格。13年には東京大学の硬式野球部で特別コーチを務めたことも話題になった。

 引退後の様々な活動が、プロ野球でのコーチ、監督就任を目標にしたものであることは明白だった。しかし、これまでそうした機会は全く訪れなかった。なぜなのだろうか。


■“巨人一筋”だった桑田


 ニュースサイトのTHE PAGEは1月14日、記事「巨人大物OBは桑田氏入閣をどう思ったのか…『いまさらなぜ?タレント軍団への刺激と指導者経験なしの不安』」を配信した。

 巨人OBの広岡達朗(88)に取材したインタビュー記事なのだが、広岡は冒頭で“桑田コーチ”誕生の遅さに疑問を呈した。

《「15年間もユニホームを着ていなかった桑田が、いまさらなぜなんだ? おかしいなと思ったのが、このニュースを聞いた第一印象。キャンプ前のタイミングといい、彼を入れた理由がよくわからないし、そもそも15年間もなぜ在野にいたのかもわからない」》

 長年にわたって桑田を取材してきた記者は、「実際のところ、他球団からオファーはあったのです」と明かす。

「ロッテが監督を依頼するなど、巨人以外のチームからは声をかけられていました。桑田さんは、そうした話を全部断って、“浪人生活”を延々と続けていたのです。その理由は、指導者として巨人のユニフォームをもう一度着たいと執念を燃やしていたからに他ありません」


■読売新聞との“確執”


 THE PAGEの記事に戻ると、《「いまさらなぜ」》と首を傾げた広岡は、“桑田コーチ誕生”には期待も寄せているという。

《「彼の手腕には注目をしている。彼は苦労して自分自身を磨いた。早大や東大の大学院が教えているような野球理論で勝てるような簡単なものではないが、どこまでやるか、どんなアドバイスを送るかに期待感はある」》

 理論派の広岡が期待するほどだ。他球団が指導者としての桑田を評価し、招聘しようと動いたのは当然のことなのかもしれない。

 だが、肝心の巨人は、なぜか距離を置いていた――こんな経緯が浮かび上がる。

「これまで巨人で“桑田コーチ”や“桑田監督”が誕生しなかったのには理由があります。現役時代に多額の借金を抱え、巨人の親会社である読売新聞が尻拭いをしました。その経緯の中で、関係が悪化してしまったのです」(前出の記者)

 そもそも、かつて桑田に対する世論は厳しいものがあった。原点は1985年のドラフト。清原和博(53)は巨人を志望し、桑田は早稲田大学教育学部への進学を表明していた


■スキャンダルの多発


 だが、巨人は桑田を単独指名し、桑田は巨人に入団。一方、ドラフトで西武が決まった清原は涙を流し、これで世論の風向きが決まった。

 入団後も桑田には醜聞が相次いだ。1989年にはスポーツメーカーからの裏金疑惑が浮上し、巨人は桑田に罰金200万円を科した。90年には、いわゆる“暴露本”が出版され、野球賭博の関与を疑う報道が相次いだ。

 当初は疑惑を否定していたが、後に賭博罪の前科を持つ人物から金銭などを受け取っていたことを認めた。巨人は再び登板禁止1か月、罰金1000万円の処分を下した。この頃、桑田を嫌うプロ野球ファンは決して少なくなかったのだ。

 裏金や不適切交際の問題が燻っている中、週刊現代は91年1月1日号に「プロ球界のバブル紳士 桑田真澄が『大借金』で火ダルマ! 『投げる不動産屋』の悲鳴が聞こえる」との記事を掲載したのだ。

 バブル経済により、全国の土地価格は上昇していた。桑田も首都圏の土地に投資していることは既に複数のメディアが報じていた。「投げる不動産業」という異名も定着していた。


■借金を1億に圧縮!?


 そんな折、週刊現代は、バブルが崩壊したことで、不動産の評価額が下落したと指摘。《10億円を優に超えるローンを抱え、ファミリーの不動産まで追加担保に取られてまさにノーアウト満塁》と報じたのだ。

 ちなみに本文では、実際の不動産取引は義兄が担当していたと記されている。だが、世論の受け止めは違った。桑田の“敵役”イメージが増幅する結果となったのだ。

 借金の額は《14億円とも言われる》(FRIDAY:1991年1月25日号)という記述も飛びだして、報道は一気に加熱した。

 FOCUS(新潮社:休刊中)は3月1日号で「借金13億『桑田』不動産投資の物件一覧――破産寸前、6億円の豪邸など5件売却」との記事を掲載した。

 これによると、球団側はキャンプ地のグアムで、《「借金地獄」の実態と「更生計画」を電撃発表した》という。

 5件の不動産を売却することで10億円を確保し、借金を3億円に圧縮。更に義兄の家も売却し、2億円を確保。残りの借金は1億円になるという計画だった。


■週刊ポストの反論


 巨人の幹部は週刊文春の取材に応じた。91年3月28日号に記事「あの桑田をCMに起用したサロンパス(久光製薬)の“効能” 借金3億円でクビが回らない」が掲載され、一問一答が紹介された。それによると、物件の売却で借金は《2億数千万》まで圧縮できたと語っている。

 だが、こうした巨人の説明に、週刊ポストが異議を唱えた。92年10月23日号に「これじゃ投げるどころじゃなかった 巨人軍A級戦犯・桑田の借金は今でも14億円!」の記事を掲載したのだ。

 桑田が持っていた不動産を売却しても、14億円の借金が残ったという内容だった。一方、巨人と読売新聞はポストの報道に沈黙を貫いた。すると、思わぬ人物の発言から、報道の“真実性”が証明されたのだ。

 週刊文春は97年10月16日号に「渡辺 恒雄 読売社長 暴言するは我にあり 佐藤問題から桑田借金まで」を掲載した。

 現在は「株式会社読売新聞グループ本社代表取締役主筆」を務める渡辺 恒雄(94)の発言を紹介する記事だ(註:現在は渡邉恒雄の表記が多数)


■ナベツネの大暴露


 その中から“桑田借金問題”について言及した部分を引用させていただこう。ちなみにこの時期、桑田のメジャー挑戦が取り沙汰されていた。

《「渡辺社長がベンツに向かって歩き出したところで、ある記者が『桑田の残留は五分五分ということですが』と聞いた、その途端でした」》

《渡辺社長はおもむろに振り返ると、物凄い形相で怒鳴りだした》

《「桑田がメジャー入りをちらつかせているって? それなら俺が肩代わりしている十七億円の借金はいったいどうなるんだ。それをクリアさせてからだ。十七億円をどうにかしてから考えろ!」》

 いきなり社長の渡辺が17億円という金額を暴露したのだ。桑田のメジャー挑戦を阻止しようとする発言だとも報じられ、渡辺にも批判の声が集まった。

 結局、桑田はメジャー挑戦を断念する。


■桑田本人の回想


 2001年には《早くも引退の声が囁かれている》として、週刊新潮(5月31日号)が「ボロボロ『桑田』大借金の重荷」という記事を掲載した。

 本文には、桑田氏と読売新聞が“二人三脚”で借金を返済していった様子が語られている。《桑田の知人》が語った部分をご紹介しよう。

《「なにしろ借金は利払いだけで年間7000万円近い。そのため、年俸は球団が管理し、その中から生活費として月々100万円、150万円と渡されているそうです。それでも借金は残ったままで、引退しようにもできない。コーチでは年収3000万円程度ですから金利すら払えない。まるで巨人軍に飼い殺しにされているようなもんですよ」》

 桑田は引退後、Numberの取材に応じ、その内容は「桑田真澄『独白』――誰も知らない本当の僕。」(註:石田雄太氏の署名記事)として連載された。

 その第15回は「不動産トラブルと借金。」のタイトル。19年3月14日号に載ったものだ

《球団の経理担当者が僕の家に来て「桑田君、大変なことになっているよ」と言いました。目の前にポンと調査した書類を置いて、「今、桑田君にはこれだけの借金があることになります」と……僕はその金額を見て、ああ、よかった、これくらいなら返済できそうだと思いました》


■人間を磨く「砥石」


 引用を続ける。

《だから僕は「大丈夫です。3億円くらいなら頑張って年俸を上げて返済します」と言ったんです。3億円でホッとするのもどうかと思いますが、そのくらいならこの右腕で稼げる自信がありました。ところが、「いやいや、ゼロを数え間違えていないですか」と言われました。よかった、それなら3000万円なのかな、と思いましたが、違いました》

 借金の額は30億円だった。記事本文では、やはり義兄(註:既に離婚していたため、正確には元義兄)が桑田氏の母親から実印を借り、独断で行った不動産投資だと、記事では説明している。

 結局、物件を売却しても、桑田には20億円近い借金が残ったという。

《報酬のほとんどを借金の返済に充てなければならなくなりました。その後、運よくFA精度制度が導入されたこともあって、僕は総額で数十億円もの年俸をいただくことができました。そのほとんどは返済で消えていきました。僕にとってこの一件は高い授業料でしたが、よく考えれば、人間力を磨くための砥石だったように思えます》

 桑田に対するイメージも次第に変わっていった。メジャー挑戦は多くのファンが応援した。


■「どうしても必要な人材」


 しかしながら、借金を巡っては主筆の渡辺との間で確執が生まれ、引退を巡っては監督の原としこりが残ったとも報じられた。それが“15年の空白”を生んだ原因だろう。

 だが、そうした確執も、歳月が消してしまったようだ。NumberWebは今年1月13日、「“借金処理”の確執も超えて…桑田真澄コーチ就任のウラにある原辰徳監督の“聖域なき改革”とは」の記事を配信した。

 報知新聞で長年にわたって巨人を取材してきた鷲田康の連載コラム「野球亭日乗」の1篇だった。異例の人事が行われた背景の1つに、日本シリーズでソフトバンクに惨敗したことを指摘している。

《リーグ連覇を果たしながら、日本シリーズでは2年連続でソフトバンクの前にスイープで敗れ去るという屈辱を味わった。その中で日々、進歩しチームを強くしていくために桑田さんはどうしても必要な人材として求めたということだ》

 サンケイスポーツ(電子版)は1月15日、記事「巨人・桑田コーチ、いきなりイズム全開!『うまくないと楽しめない』」を配信した。

《口にしたのが自身の練習哲学だ。「たくさん走って、たくさん投げる時代ではない」と、旧来の考え方に一石を投じた。続けて、若き選手たちに期待したのが野球を「楽しむ」こと。「早くうまくなってほしい。うまくないと楽しめない。2、3年で土台をつくって、それからでもいい」と強調した》

 どうやら当分の間、“桑田コーチ”の動向に大きな注目が集まりそうだ。

週刊新潮WEB取材班

2021年1月26日 掲載

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