支援学校の子どもや病床の父のためにも…オリックス榊原翼が1軍での活躍を誓う理由

支援学校の子どもや病床の父のためにも…オリックス榊原翼が1軍での活躍を誓う理由

悩んでいた榊原にキッカケを与えたのは、同期入団の沢田のひと言だったという。写真:北野正樹

オリックスで育成選手から支配下をつかみ、一昨年に初勝利を含む3勝を挙げ若手のホープと期待されながら低迷を続ける榊原翼が、苦しみもがいた時期を乗り越えようとしている。言葉も交わせない病床の父と、キャンプ地での交流をきっかけに応援をしてくれている支援学校の子どもたちにテレビを通して活躍する姿を見せるためにも、1軍昇格を必死で目指す。

 4月16日に本拠地・京セラドーム大阪で行なわれた、ウエスタン・リーグの阪神戦。ドラフト1位の新人・山下舜平大(福岡大濠高)の公式戦初先発・初登板に注目が集まった。189センチ93キロの大型右腕は、初球から151キロの直球を左打者の外角に決めて1回を三者凡退に仕留め、予定の2イニングを33球、1安打2奪三振、1四球、1失点と上々の投球内容だった。数少ない本拠地での2軍戦。しかも、観客が多く集まる人気チームの阪神戦をデビュー戦にした球団や、2軍首脳陣の期待に十分、応えるものだった。

 そんな中で、2番手に登板する榊原は「舜平大には、絶対に負けない」と密かに闘志を燃やしていた。

 ルーキーへの特別扱いが憎いわけではない。結果の如何を問わず、注目される初登板の新人の後に投げることが、自身の評価だということに気付かされたためだった。しかも、新人より投球内容が悪ければ、さらに評価は下がってしまい、1軍昇格は遠ざかってしまう。
  その気持ちが、ボールに乗り移った。3回から登板し、5イニングを3安打、1失点。最速155キロのストレートにカーブ、フォークボールで5連続三振を含む、7奪三振の快投だった。5連続三振は4つを最後は、伸びのあるストレートで奪い、3度あった3球三振は「狙って取った」というほど、充実した内容だった。

「2番手だったので、中継ぎの気持ちで投げたのがよかった」と榊原。闘争心に加え、先発では立ち上がりで制球に苦しむ場面が多かったが、リードを守ることや点差を広げないことが求められる中継ぎでの起用で、打者に集中して全力で投げられるという利点もプラスに働いた。

 千葉県出身。埼玉・浦和学院高から2017年に育成ドラフト2位でオリックスに入団。山岡泰輔、山本由伸の両エースが同期。球威のある速球と派手なガッツポーズなど気迫のこもった投球を武器に、18年春に支配下登録され、19年は開幕から先発ローテーション入りし初勝利を含む3勝(4敗)を挙げた。

 しかし、飛躍が期待された昨季は、9試合登板で1勝4敗に終わった。「オフの練習が足りず、後半戦までもたなかった。これくらいで大丈夫だという、慢心があった」と、練習に対する姿勢を見直した。

 それでも、結果は伴わなかった。今年のキャンプ最終日に行なわれたソフトバンクとの練習試合(2月28日、宮崎アイビースタジアム)で先発し、3イニングを9安打、7失点と大崩れし、1軍から声がかかることはなくなった。
  2軍でも大学相手の練習試合で、4イニングで6安打を許す(失点3、自責点1)など精彩を欠いた。「このままではダメなのでは」という危機感から、肘を下げるなど投球フォームも変えたがしっくりと来ることはなかった。

 そんな時、同期入団の選手のひと言が試行錯誤から抜け出すキッカケを与えてくれた。いつもキャッチボールの相手をしてくれている沢田圭佑投手(大阪桐蔭−立教大)が「こじんまりとまとまっていて、バラ(榊原)らしくない。タイミングも合っていない」とフォームのおかしいところを指摘してくれた。制球をつけようとするばかり、フォームが小さくなっていたのだ。いい状態のフォームを動画で確認して臨んだ、翌日のウエスタン・リーグのソフトバンク戦では、先発で3イニングを無安打無失点。バックの拙守で走者を背負っても、腕をしっかりと振って後続を断ち切った。

 1軍に昇格しなければならない理由がふたつある。

 昨年まで、キャンプの休日に3年連続して訪れている宮崎市内の「みなみのかぜ支援学校」の児童らに誓った「1軍で活躍する選手」との約束だ。昨年は、約80人の児童と体育館でテニスボールを使った的当てや、「パプリカ」を一緒に踊って遊んだ。第2クール終了後の休日。キャンプの疲れが出る時期だが、「みんなの笑顔が好きなんです。僕たちの方が毎年、元気やパワーがもらっている。明日からも頑張れます」と、交流を心から楽しんでいた。今年はコロナ禍で学校訪問は中止。かわって届けられた児童らの寄せ書きを前に、「1軍で活躍しないと、子どもたちに見てもらえないから頑張ります」と、気持ちを新たにしていた榊原。こうした活動について「人として出来ることをしているだけ。人間性を高めていきたいから、こういう活動が大事になる」とも語っていた。
  また、病床の父にも活躍する姿を届けなければならない。小学4年の時、脳梗塞で倒れた父は、今も入院生活が続く。初勝利のボールを昨年の元日に届けて以来、こちらもコロナ禍で会うことは出来ない。言葉は交わせず、活躍する姿を活字や映像で見せるしかない。

 野球が好きだったが、家計への負担を考え野球より費用が抑えられる空手を習っていた榊原。父が倒れたのは、空手の稽古から一緒に帰った直後の自宅だった。そんな自身の生い立ちも、支援学校の児童との交流の原点にあるのかもしれない。

 先発した4月22日の2軍・広島戦では3回途中で連打を許し、8失点と結果は残せなかったが、「小細工しないのが僕の一番の持ち味。全力で腕を振って投げていきたい」。もう、迷いはない。

文●北野正樹(フリーライター)

【著者プロフィール】
きたの・まさき/1955年生まれ。2020年11月まで一般紙でプロ野球や高校野球、バレーボールなどを担当。南海が球団譲渡を決断する「譲渡3条件」や柳田将洋のサントリー復帰などを先行報道した。関西運動記者クラブ会友。

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