夏の甲子園ノーゲームの悲喜こもごも――決勝中止で優勝寸前から一転、2試合連続順延で3試合目に敗退<SLUGGER>

夏の甲子園ノーゲームの悲喜こもごも――決勝中止で優勝寸前から一転、2試合連続順延で3試合目に敗退<SLUGGER>

甲子園大会第3日目第1試合は雨天ノーゲーム。過去のノーゲームとなった試合はと言えば……。写真:滝川敏之

8月12日に行なわれた第103回全国高校野球選手権大会の第1試合、ノースアジア大明桜vs帯広農業の試合が、4回で雨天により中止となった。夏の甲子園がノーゲームになるのは19度目。以下は過去のノーゲームの一覧である。

【過去のノーゲーム一覧】※対戦カード後の()は中止になったイニング数。→は再試合で勝利したチーム
第3回(1917年) 決勝 関西学院 1−0 愛知一中(6回)→ 愛知一中
第8回(1922年) 準々決勝 広島商 4−4 松山商(不明)→松山商
第8回(1922年) 準々決勝 神戸商 2−0 島根商(不明) →神戸商
第11回(1925年) 1回戦 釜山中  ― 台北工(スコア等の詳細不明)→釜山中
第15回(1929年)1回戦 前橋商 0−0 台北一中(2回)→台北一中
第17回(1931年) 2回戦 札幌商 4−2 大連商(4回)→札幌商
第24回(1938年) 準決勝 甲陽中 1−0 岐阜商(1回)→岐阜商
第31回(1949年) 準決勝 岐阜 3−2 倉敷工(4回)→岐阜
第38回(1956年)準々決勝 米子東 0−0 中京商(2回)→米子東
第39回(1957年) 1回戦 坂出商 4−1 山形南(2回)→坂出商
第47回(1965年) 1回戦 岡山東商 3−1 日大二(5回)→日大二
第52回(1970年) 2回戦 江津工 0−0 東邦(1回)→東邦
第64回(1982年) 1回戦 八幡大付 4−2 日大二(6回)→日大二
第75回(1993年) 2回戦 鹿児島商工 4−0 常総学院(8回)→常総学院
第85回(2003年) 1回戦 駒大苫小牧 8−0 倉敷工(4回)→倉敷工
第90回(2008年) 1回戦 大阪桐蔭 4−0 日田林工(2回)→大坂桐蔭
第91回(2009年) 1回戦 如水館 2−0 高知(3回)
           1回戦 如水館 6−5 高知(5回)→高知
  最も記憶に新しいのは、2009年の如水館vs高知のケースだろう。大会2日目の8月9日第1試合に行なわれた1回目のゲームは、台風9号の影響で中止。翌日の再試合も同じく5回終了時点でノーゲームとなり、高知の木下拓哉(現中日)などが放った本塁打は幻となった。

 そして、いざ決着となった11日の再々試合は、過去2試合でいずれもリードを奪っていた如水館が、今度は3対9の大差で敗れて姿を消した。如水館にとっては、まさに雨に泣かされた大会となった。

 ノーゲームとなることで流れが一度リセットされるのは間違いないらしく、結果をひっくり返されたのは如水館だけではない。ノーゲーム再試合となった上記の組み合わせ17例のうち、その時点でどちらかがリードしていたのは12例あるが、このうち半分以上の7例が「負けていた方のチームが再試合で勝利を収めたゲーム」である。
  中でも最大の逆転劇と言えるのが、史上初のノーゲームとなった第3回大会の決勝だろう。ここまで関西学院中(現・関西学院高)は3試合で計20得点を挙げる猛打で勝ち上がってきたのに対し、相手の愛知一中(現・愛知県立旭丘高)は1回戦に敗退後、敗者復活戦からふたたび上がってきた高校だった(この大会までは敗者復活戦のルールがあった)。

 決勝は5回まで両軍無得点が続いたものの、6回表に関西学院中が待望の先制。その裏も2死までこぎ着け、あと1アウトで試合成立というところで、突然の豪雨に見舞われた。試合はそのままノーゲームとなり、翌日に先攻と後攻を入れ替えて再戦。今度は延長13回まで両軍ゼロ行進が続いた末、14回表に1点を入れた愛知一中が勝利した。

 優勝寸前の試合を雨でなかったことにされた上、一度は敗退したはずの高校に敗れた関西学院中の心境はいかばかりか(このことを重く見た大会側が敗者復活戦ルールを翌年から廃止したため、一度敗退した学校が優勝したのはこの一度のみである)。
  近年はノーゲームで流れを相手に持っていかれた高校が多く、93年の2回戦では、鹿児島商工(現・樟南高)が常総学院相手に4回まで4対0とリードしながらノーゲーム。再試合に1対0で惜敗したことがあった(常総学院はその後ベスト4まで勝ち進んでいる)。

 だが、それ以上に悲劇的なのが03年の駒大苫小牧のケースだ。春夏合わせてそれまで3度甲子園の土を踏みながら、いずれも1回戦敗退だった駒大苫小牧は、今度こそ初勝利を目指して倉敷工と対戦。2回に7点を挙げるなど一方的な展開となり、圧勝ムードのはずが4回裏の時点で降雨ノーゲームとなった。

 翌日の再試合は、前日に倉敷工を1安打に抑えたエースの白石守が不調で、5失点で6回途中に降板。そのまま逆転できず5対3で敗退し甲子園初勝利は達成できなかった。だが、この屈辱をバネに駒大苫小牧は、翌04年夏の甲子園で北海道勢初の全国制覇、さらに05年には田中将大(現・楽天)を擁して史上6校目の夏連覇を果たした。結果的にノーゲーム敗退は「伝説の序章」となった。

文●筒居一孝(SLUGGER編集部)

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