通算1安打で300勝投手の大記録を阻止、縁がなかった名捕手ノムさん……完全試合にまつわる4つのトリビア<SLUGGER>

通算1安打で300勝投手の大記録を阻止、縁がなかった名捕手ノムさん……完全試合にまつわる4つのトリビア<SLUGGER>

13連続三振や19三振など、記録づくめとなった佐々木朗のパーフェクト。過去15人の達成者にも同様に、さまざまなトリビアが存在した。写真:産経新聞社

ロッテの佐々木朗希が、4月10日のオリックス戦で完全試合を達成した。これまでに佐々木を含めて16人が達成しているパーフェクト・ゲームまつわるトリビアを紹介しよう。

▼史上初の完全試合は写真が1枚も残っていない?
 日本プロ野球で史上初の完全試合が達成されたのは、2リーグ分裂直後の1950年6月28日。達成したのは、通算200勝87敗で史上最高の勝率.697を記録し、日本で初めてスライダーを投げたとも言われる藤本英雄(巨人)である。今の西武の前身球団の一つである西日本パイレーツを92球で片づけ、試合時間は1時間19分という短さだった。

 だが、この快挙を撮影していたカメラマンは誰もいなかった。巨人は北海道・東北遠征の最中で、試合の舞台となったのは青森市営球場。遠征に随行していたカメラマンは全員前日に東京へ帰ってしまっており、翌日の読売新聞にも「藤本(巨人)完全試合 空前の大記録」の見出しとともに、藤本の顔写真が小さく載っているだけだ。

 さらに言えばこの日は、藤本の登板予定試合ではなかった。本来の先発投手が下痢のため、急きょ登板しての快挙達成だったのだ。しかも前夜は青函連絡船の中で徹夜麻雀に興じていたというから凄い。なお余談ながら、藤本の背番号は佐々木と同じ17だった。
 ▼通算1安打のブルペン捕手に完全試合を阻止された男
 52年6月15日、巨人対松竹のゲーム。当時巨人のエースだった別所毅彦は、9回2死まで26人をパーフェクトに抑えていた。快挙達成目前の場面で、投手に代えて松竹が代打に送ったのは、プロ2年目の神崎安隆。それまで1本もヒットを打ったことがなかったブルペン捕手兼任選手だった。

 完全阻止のため、神崎はバントを試みるも2球続けて失敗。3球目はボールの後、4球目はきわどいコースにズバッと決めて別所は三振を確信するも、判定は「ボール」。これに怒った別所は、5球目もボールを与えてフルカウントになってしまう。

 だが、本当の悲劇はその後だった。6球目を捉えた神崎はショート正面にボテボテのゴロを打つも、前日の雨でグラウンドがぬかるんでいたためか、ショート平井三郎の処理が遅れ、判定はセーフ。内野安打で史上2人目の大記録は露と消えた。のちに300勝投手となった別所とは対照的に、神崎はその後プロで2度とヒットを打てなかったが、「自分はプロ野球選手としては成功できなかったが、あの内野安打がその後の人生を生きる自信となった」と後年まで唯一の安打を誇りとしていた。
 
▼400勝投手“怒りの完全試合”
 史上最多の通算400勝を達成した金田正一も、完全試合達成者の一人だ。快挙達成は国鉄時代の57年8月21日の中日戦、中日球場でのダブルヘッダー第2試合。相手先発の“フォークの神様”杉下茂は金田にとって、55年に投げ合った際に目の前でノーヒッターを達成された因縁の相手だった。

 球界を代表する両エースの投げ合いとあって、試合は息詰まる投手戦となった。1人のランナーも許さない金田はもちろん、杉下も8回まで無失点。9回に3安打を浴びて1点を失ったものの、追加点を許さないまま試合は9回裏へ。快挙をかけたマウンドに上がった金田だが、先頭打者のハーフスウィングをストライクと判定されたことに中日の天知俊一監督が抗議したことで、試合は一時中断。興奮した50人ほどの中日ファンがグラウンドへなだれ込んで乱闘騒ぎとなり、警察も出動する事態にまで発展してしまった。

 実に43分の中断の間、金田はマウンドに静かにしゃがみこんで事態を見守っていたが、故郷・名古屋のファンの暴挙に、その内心は「そんなにワシの記録にケチをつけたいのか」と怒りに燃えていた。そして試合再開後、残る2人の打者に対し、すべてストレートを投じた金田は、2者連続3球三振でゲームセット。現在まで左腕投手史上唯一の快挙だが、試合後のコメントは「どうせなら、あんなことにならずに達成したかった」とどこか寂しげだった。
 ▼史上最高の名捕手なのに……達成なしで2度も食らったノムさん
 佐々木の完全試合では、捕手を務めたのが高卒ルーキーの松川虎生だったことも話題となった。松川はプロ出場わずか7試合目で快記録を引き出したわけだが、逆に完全試合と縁がない名選手も少なくない。歴代2位の捕手通算2921試合出場を誇るノムさんこと野村克也は、完全試合どころかノーヒットノーランにすら縁がなかった。

 しかし一方でノムさんは、打者としては2度もパーフェクト達成を献上している。1回目は66年5月12日の西鉄(現西武)戦で、達成したのは田中勉。南海打線は、田中のシュートとスライダーにきりきり舞いさせられ、史上9人目の快挙を献上してしまった。前年は三冠王を達成して南海のリーグ優勝に貢献したノムさんも三振、ライトフライ、ショートゴロに倒れ、「打てる球はいくつかあったのになあ……」とボヤいた。

 2度目は南海の選手兼任監督に就任した70年の10月6日。今度の相手はアンダースローの技巧派・佐々木宏一郎(近鉄)だった。この時は佐々木のシンカーに手も足も出ず無念の快挙を許し、自身も2度の内野ゴロとサードフライに倒れた。この時は素直に相手を褒めたノムさんが、内心は穏やかでなかったに違いない。

文●筒居一孝(SLUGGER編集部)
 

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