西武復帰説も浮上した交渉の舞台裏。アメリカに引き留めた“夢物語”への微かな期待【秋山翔吾“最後の挑戦”:後編】<SLUGGER>
2022年05月27日 05時30分 THE DIGEST

一時は日本帰国も覚悟していた中でめぐってきたチャンス。何としても再びメジャーに這い上がりたい。(写真)ナガオ勝司
4月最後の1週間、パイレーツの筒香嘉智選手を取材するため、ピッツバーグを訪れていた時のことだ。
日本から「西武の渡辺久信ゼネラル・マネジャー(GM)が、秋山奨吾と交渉していることを示唆した」との情報が飛び込んできた。正直な感想は「まあ、そうなるんだろうな」で、驚きはまったくなかった。
なぜなら、4月3日にレッズを自由契約になってからすでに3週間以上が過ぎており、無所属の期間が長引けば長引くほど「日本球界復帰」の線が強くなると、長年の経験から分かっていたからだ。
事実、秋山の手元には、この時点になっても米球団からは何のオファーも届いていなかった。
実は渡辺GMの話が公になる遥か前、秋山は獲得意思を示してくれていた日本の各球団に「4月30日までは米球団からのオファーを待ちたいです」と伝えていた。つまり、ピッツバーグで筒香選手を取材していた時点でのタイムリミットは「残り5日」だったわけだ。
秋山がレッズ退団後も自主トレーニングのために滞在していたシンシナティは、ピッツバーグから車で片道4時間と少しである。渡辺GM発言を受けての取材と称して行くには「大した距離ではない」。日本の球団との本格的に交渉が始まれば秋山が日本へ帰るのは間違いなく、「お別れぐらいは言っておきたい」と車を走らせることになった。
偶然にもその週の半ば、パドレスがピッツバーグにやってきた。29日にはダルビッシュ有投手が6回8安打3失点で今季2勝目を挙げているが、それを見届けた翌日に取材の約束を取りつけた。
4月30日の昼、シンシナティ郊外の閑静な住宅街の一角にある某有名サンドイッチ店に、秋山はやって来た。
「4月5日にアリゾナを離れてシンシナティに戻ってきて、次の日から2年前にレッズにいたチームの元ストレングス・コーチのべースボール・アカデミーみたいな施設で練習してました」
彼はそう切り出した。
「トレーニングと室内ケージもあったので打ったり、キャッチボールなんかは公園でやってたましたけど、それはやっぱり、難しかったですよ。18.44メートルの距離で時速95マイルとかを体感する練習って、なかなか出来ないですから」 本来ならば試合に出ている時期なのに、室内練習場で打ち込んだり、近所の公園でキャッチボールや遠投をしたり。彼の中にあったのは、「早くグラウンドで野球したい」という気持ちだったという。だが、現実はそう甘くはない。
「(MLB球団からのオファーは)ずっと無の状態でしたね。日本の球団からは古巣を含めて『どんな風にするんだ?』ってのは比較的、早い段階で来ていました。でも、ちゃんと4月3日の時点で『30日までは米国球団のオファーを待ちたい』とお伝えしていましたので、それで(オファーがなく)ダメなら需要がないんだなと思ってました」
ただし、来るか来ないのか分からないまま、練習だけしているわけにはいかない。自分の中でケジメをつけるため、次に進むための交渉期限=4月30日だったわけだ。
「日本のチームから獲得意思を示していただいたのは本当に嬉しかったです。ライオンズに関して言えば、ライオンズに所属していた時のオファーと、今の状況でのオファーは重みが少し違うと思います」
「出た人間が言うのもあれなんですけど」と秋山は苦笑いした。
「元々(ライオンズに)いた選手だから、どういう選手かは分かっているけど、今のチームに僕を加えることで、ちょっと歪な形になることはあると思います。逆に言えば、加えても影響ない選手であれば、わざわざ取りに行く必要がないってことなので、本当にありがたいことですよね」
読んでお分かりのように、ここまでは日本球界復帰を前提にした取材と、その受け答えである。
質問しながら、『ああそうか、この人とはもう会えなくなるんだな』と感じていたのが、少しづつ違和感のようなものが出てきた。それは日本球界への復帰を前提に質問しているのに、彼の答えに「アメリカ」や「マイナー」というキーワードが頻繁に出てきたからだ。
「結果の積み重ねより、もっとビジネスライクってのをメジャーで目の当たりにしてきたし、(契約する)頻度も違うし、人数も違う。こんな選手がこのチームに行くんだとかいう驚きもあり、日本人的価値観と、メジャーリーグの価値観の違いをこの目で見てきて感じていました。戻るのならマイナー契約になるだろうけど、メジャーに戻ってもう一歩、次のステップに進みたいんです。そこで結果を出して、下でも上でも結果を残していって、それを積み上げていきたいと思います」「ここでまたマイナー契約したら、2000安打は遠のくのでは?」と質問したが、それは心の中で『日本に帰った方が2000安打に近づくのでは?』と考えていたからだ。
「数字だけ見たら、遠のいているでしょうね」と彼は淡々と言った。
「でも、日本にいても怪我したかも知れないし、どこにいても数字を積み上げるのは簡単じゃないと思います。それにずっと日本にいて、2000安打みたいなものを目標に野球をやっていて、引退した時に、メジャーに行ける可能性があったけれど行かなかったという後悔は多分、出てくると思いました。やれる限りはアメリカで戦い続けたい」
「『やれる限り』って言ってもなぁ」と思った。期限はすぐそこまで来ている。もう、マイナー契約のオファーなんてないよ、と。
「26日の火曜日の段階で、代理人から米国のオファーはおそらく、もうないと思うという話をされました。それってもう、かなり強力な言葉じゃないですか? だから、30日まで待つとしつつも、日本のオファーに頭がシフトして、飛行機の便を考えて、(5月)1日にPCR検査をして、2日の便で帰国とまで考えていました」
そしたらね、と秋山が言葉をつなぐ。
「水曜日(27日)にパドレスからマイナー契約の話が来たんですよ」
なにを言ってんだ、こいつ? と咄嗟に思った。
「もう『イエス』って言いましたし、詰めの段階までは来ています。もう2往復ぐらい話をしてます。サインするまでは不安ですけど、不履行になるようなことはない。あとはどっかで身体検査して、エルパソに行くだけ」
30分以上も話していて、最後の数分間で何の前触れもなく、突然、なされた告白だった。
修復不可能なぐらい、感情が揺れ動いた。
さっきまで張り詰めていたはずの緊張の糸が一気に緩み、言葉にするのが難しいほどの気持ちになった。心のどこかに「ハメられた」という思いもあったせいだろう、喜怒哀楽が全部出たような感じになった。
「米国でプレーすることを諦めかけていた中で、チャンスをくれたパドレスに感謝しています。こんなに短期間で劇的に動いていくものなのかという驚きも正直ありましたが、マイナー契約だけれど、メジャーに戻れる可能性がある。何としてももう一度、メジャーで戦いたいし、叶えたい」 ザワついた気持ちを落ち着かせてくれたのは、獲得意思を示していた日本の球団に対する、彼の思いを聞いたからかも知れない。
「去年も試合に出てない状況が続いていて、スプリング・トレーニングも全然打てなかったし、その中でもまだ秋山が必要と思ってくれていたことに驚きと言うか、どこかで誰かが見てくれているということなので、頑張らなきゃいけないなと思いました」
秋山は言った。「結果が出てなくても誰かは見てるっていうのは、僕にとってはすごく大事なことだった」と。
そんな言葉を聞いたから、というわけではないが、エルパソでの取材を終え、パイレーツの筒香選手を取材するためにメジャーリーグの華々しい舞台に戻ってきた夜、ふと思った。
最後の勝負になるんだろうな、と。
マイナーから這い上がるための、メジャー挑戦。もしかしたら、今頃は日本でプレーしていたかも知れない男の、アメリカでの最後の勝負だった。
マイナーリーグでの「結果」はもちろん、メジャーリーグ歴に基づいた年俸調停権やフリー・エージェント権の有無など、さまざまなビジネス上の条件が整った時に起こるのが、「メジャー昇格」だ。チーム事情にも大きく左右されるし、メジャー昇格のための「40人枠」にも入っていない秋山にとっては、とても難しい挑戦になる。
だが、もしも「その時」が来れば、我々はきっと、茶色と黄色のユニフォームを着ている日本人選手の姿を見て、何かを感じずにはいられなくなるだろう。
「パドレスから話をもらった時、『メジャーに上がったら、ダルビッシュさんの後ろを守れるんだ』ということを一番最初に考えました。それがすごくモチベーションになると思ったんです」
秋山がそう言ったのは、件のシンシナティ取材でのことだ。
「メジャーに上がった時、ただセンターとか外野を守るってんじゃなくて、ダルビッシュさんの後ろで守れるのか? っていうのが、想像すると自分の励みになるし、それが僕の中ではかなり大きなものになる」
マウンド上で躍動するダルビッシュ有と、どんな球でも捕ってやる! とばかりに、その姿を外野の芝の上から見守っている秋山翔吾。
今はまだ夢物語のように思えるが、微かな予感と期待が、今日もアメリカの田舎町に湧き出している――。
文●ナガオ勝司
【著者プロフィール】
シカゴ郊外在住のフリーランスライター。'97年に渡米し、
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