西武は文句なしでカブレラを選出。“不作”のオリックスやロッテは優勝の功労者がトップに 【平成・令和パ・リーグ6球団最強助っ人は誰だ】<SLUGGER>

西武は文句なしでカブレラを選出。“不作”のオリックスやロッテは優勝の功労者がトップに 【平成・令和パ・リーグ6球団最強助っ人は誰だ】<SLUGGER>

筋骨隆々の身体から、規格外の飛距離の打球を連発したカブレラ。西武ドームの看板を直撃する推定180メートル弾を放ったこともある。写真:産経新聞社

平成(1989年)以降の各球団の助っ人でナンバーワンは誰なのか? 成績だけでなく、人気や印象度なども踏まえてチョイスしてみた。今回はパ・リーグ編だ。

▼オリックス
トロイ・ニール(1995~2000年在籍/一塁手)

 平成以降はタフィ・ローズ、アレックス・カブレラ、グレッグ・ラロッカら、他球団で活躍した選手を引っ張ってくる傾向が強く、短期間好成績を残しても長くプレーできなかったケースが多い。

 そのなかにあって、95年に入団したニールは都合6年プレーした。1年目は27本塁打、翌96年は32本塁打、111打点の二冠王で2年連続のリーグ優勝に大きく貢献。96年の日本シリーズはわずか3安打ながら、6打点を稼いでMVPに選ばれた。気性が激しく何度も退場処分を受けたほか、腹を下した状態で打席に立ってホームランを打つなど珍妙なエピソードの多い選手でもあった。

 10年代に入ると、投手のブランドン・ディクソンが13年から9年間在籍して活躍(21年はコロナ禍により来日できないまま5月に退団)。2ケタ勝利こそ一度もなかったが、最初の7年は先発陣の一角として働き、最後の2年間はクローザーとして働くなど、役割を問わず重きをなした。
 ▼ロッテ
ベニー・アグバヤニ(2004~09年在籍/外野手)

 マリーンズも長期間にわたり活躍した外国人選手はそれほど多くない。最初の来日時点でメジャー通算1922安打を放っていた名選手で、野球に向き合う真摯な姿勢からもチームにも大きな影響を与えたフリオ・フランコの在籍年数はわずか2年(95、98年)。00~01年に2年連続100打点をクリアしたフランク・ボーリックも4年で帰国している。

 また、投手では01年にネイサン・ミンチーが広島から移籍し、防御率3.26でリーグ1位。翌02年にも15勝するなど好投を続けたが、やはり在籍年数は4年と短く、“最高傑作”には6年間在籍して通算出塁率.374のベニーを選んだ。

 ベニーはメッツ時代の監督でもあったボビー・バレンタインとともに04年にロッテに加わると、打率.315、35本塁打、100打点。ハワイ出身であることから“ハワイアン・パンチ”のニックネームでファンに親しまれた。20本塁打以上はこの年のみで、その後は打率.280/15本塁打前後のシーズンが続いたが、選球眼の良さで長くチームに貢献した。

 なお、実働期間ではベニーに劣るが、今季も打線の中核として重きをなしている2人の助っ人、ブランドン・レアードとレオニス・マーティンも外せない。ともに卓越した打撃だけでなく、人格やキャラクターでもファンやチームメイトに愛されている。▼楽天
ゼラス・ウィーラー(2015~20年在籍/外野手・三塁手)

 05年創設のため他球団より期間は短いが、印象深い助っ人には事欠かない。黎明期にも06~08年に3年連続打率3割、08年は.332で首位打者になったリック(・ショート)が活躍。13年の球団初の日本一に貢献したアンドリュー・ジョーンズ、ケイシー・マギーのコンビも忘れがたい。だが、いずれも在籍期間がやや短い。

 トータルで考えれば、6年間クリムゾンのユニフォームを着て、外国人では球団史上最多となる106本塁打を放ったウィーラーがナンバーワンとなるだろう。入団2年目の16年にリーグ3位の27本塁打、88打点、翌17年は31本。陽気なムードメーカーである点を買われて、18年には外国人としては異例の副キャプテンに任命された。

 残念ながらその18年以降は成績が下降気味となり、外国人枠の兼ね合いもあって20年途中に巨人へトレード移籍してしまったが、新天地でもその陽気なキャラクターとリーダーシップでもって活躍している点は、楽天時代の経験が存分に生きていると言えるだろう。
 ▼ソフトバンク
デニス・サファテ(2014~21年在籍/抑え投手)

 ダイエー時代は03~06年に在籍し、通算122本塁打を放ったフリオ・ズレータが目立つくらいだが、05年に親会社がソフトバンクに変わってからは投手の活躍が顕著だ。

 08年に加入したDJ・ホールトンは、来日4年目の11年に田中将大(楽天)と並ぶ19勝を挙げて最多勝を獲得。09年に契約したブライアン・ファルケンボーグは主にセットアッパーを務め、10年にリーグ最多の39ホールド、在籍5年間で防御率は一番悪かった13年でも2.04と抜群の安定感を誇った。

 そして14年には、“助っ人史上最強クローザー”サファテを西武から獲得。最速159キロの剛速球を武器としたこの男は、翌15年から3年連続最多セーブ、とりわけ17年は防御率1.09、史上最多の54セーブでMVPを受賞をするなど八面六臂の大活躍で、ソフトバンクの日本一に大きく貢献している。サファテがチームを去った後も、今度はリバン・モイネロがセットアッパーとして台頭するなど、助っ人の名投手が活躍する流れは現在も連綿と続いている。▼日本ハム
フェルナンド・セギノール(2004~07年在籍/指名打者)

 伝統的に外国人が主砲を務めることも多いチームで、平成以降も多くのスラッガーが出現。90年には“踊るホームラン王”ことマット・ウィンタースが加入。ユーモラスな多種多様のパフォーマンスに加え、4年連続30本塁打以上と実績も十分だった(ただし愛称の割にタイトルを獲得したことはない)。

 97年にはナイジェル・ウィルソンが登場。「守備位置はDH」と語るほど守れなかったが、あっという間にスタンドに突き刺さる特大のホームランを何本も放って当時の“ビッグバン打線”の中核として重きをなし、本塁打王を2度獲得した。
 
 しかしながら、2人とも在籍時にチームが優勝したことはないため、タイトル獲得と日本一の両方を実現させたセギノールをベストと判断した。巨漢のスイッチヒッターは北海道移転1年目の04年に入団し、打率.305、44本塁打、108打点と打ちまくって本塁打王となる。

 06年は26本にとどまるも、日本シリーズでは第5戦で日本一を決定的にする決勝2ランを放っている。オリックス、楽天在籍時も含め左右両打席での本塁打は史上最多の9回を数える。

 また、10年代にはブランドン・レアードが16年に本塁打王となって日本一に貢献。セギノール(122本塁打)を上回る通算163本塁打を放ち、現在はロッテで活躍している。
 ▼西武
アレックス・カブレラ(2001~07年在籍/一塁手)
 
 平成以降に12度のリーグ優勝を成し遂げている裏には、しばしば優良助っ人の存在があった。平成元年の1989年に加入したオレステス・デストラーデは、黄金時代の主砲として活躍。90~92年に3年連続本塁打王、90年の日本シリーズMVPにも輝いて強烈なインパクトを残した。

 しかし、在籍年数でも成績でもカブレラの方が優っている。プロレスラー顔負けの筋骨隆々とした体格(筋肉増強剤の助けもあったようだが)から放たれる打球は異次元の飛距離を誇り、入団1年目の01年に49本塁打、翌02年はプロ野球タイ記録の55本でMVPも受賞している。さらに05年には、推定180メートルとも言われる超特大弾をぶちかました。また確実性も備え、7年間で4度打率3割をマークした。

 カブレラの退団後は、しばらく目立った存在がいなかったが、14年にエルネスト・メヒアが加入。来日1年目から本塁打王のタイトルを獲得するなど久々の外国人主砲として活躍。在籍8年は球団の助っ人では最長だが、キャリア後半はポジションのかぶる山川穂高の台頭で出番が激減した。また19年にはザック・ニールが入団。菊池雄星のMLB移籍でエース不在のチームを助け、連覇達成に貢献するなど、随所に助っ人の活躍が光る。

文●出野哲也

【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『プロ野球 埋もれたMVPを発掘する本』『メジャー・リーグ球団史』(いずれも言視舎)。
 

関連記事(外部サイト)

  • 記事にコメントを書いてみませんか?