ヤクルト最強はバレンティンで決まり、阪神はマートンとメッセンジャーのどっち!? 【平成・令和セ・リーグ6球団最強助っ人は誰だ】<SLUGGER>

ヤクルト最強はバレンティンで決まり、阪神はマートンとメッセンジャーのどっち!? 【平成・令和セ・リーグ6球団最強助っ人は誰だ】<SLUGGER>

バレンティンが放ったシーズン60本塁打は、この先長く破られないであろう記録だ。写真:産経新聞社

平成(1989年)以降の各球団の助っ人でナンバーワンは誰なのか? 成績だけでなく、人気や印象度なども踏まえてチョイスしてみた。今回はセ・リーグ編だ。

▼ヤクルト
ウラディミール・バレンティン(2011〜19年在籍/外野手)

 1990年代に野村克也監督の下、日本一に3度輝く球団史上初の黄金期を謳歌したヤクルトだが、その裏には多くの優良助っ人の存在があった。93年には主砲としてジャック・ハウエルが活躍し、95年にはテリー・ブロスがエースに。また97年にはドゥエイン・ホージーが本塁打王を獲得して日本一に貢献している。

 2000年代以降も助っ人は常にチームの中核だった。99年に入団したロベルト・ペタジーニは、在籍4シーズンすべてでOPS1.000をクリア。01年に本塁打と打点の二冠で日本一にも貢献した。そのペタジーニが巨人へ去ると今度はアレックス・ラミレスが頭角を現し、パワーとテクニックを両立した打撃でチームを支えた。また、お笑い芸人を模倣した数々のパフォーマンスも披露し、人気では球団史上最高と言ってもいい。

 だが、この2人以上の“最高傑作”と呼べるのが、11年に入団したバレンティンだ。在籍9年間は球団史上最長で、そのうち8シーズンで30本塁打をクリア。13年にはシーズン60本塁打の新記録を樹立し、最下位球団では史上初のMVPにも輝いた。
 ▼阪神
ランディ・メッセンジャー(2010〜19年在籍/先発投手)

 平成に入ってから長く暗黒時代が続き、ダメ助っ人が多い球団という印象がある阪神だが、チームが強くなり始めた00年代には多くの外国人選手が活躍した。18年ぶりのリーグ優勝を果たした03年には、投手ではトレイ・ムーアやジェフ・ウィリアムス、打者ではジョージ・アリアスが活躍。特にウィリアムスはその後も史上最強のリリーフトリオ“JFK”の一角として活躍し、05年の優勝にも貢献した。

 そして10年には、球史に残る助っ人が2人入団。マット・マートンは来日1年目から歴代最多(当時)のシーズン214安打を放つなど、アベレージヒッターとして活躍。激しい気性から審判やチームメイトと衝突することもあったが、真面目で研究熱心な性格でチームに溶け込んだ。

 だが、平成以降の球団ナンバーワン助っ人は、同年に入団したメッセンジャーの方だろう。中継ぎ中心だった1年目は平凡な成績に終わったが、2年目の先発定着を機に開花。その後は7度も2ケタ勝利をクリアし、開幕投手は6度も務めるなど、まさにエースとして活躍した。在籍10年は球団史上最長で、通算1475奪三振、8年連続規定投球回到達など多くの外国人記録も保有している。▼巨人
アレックス・ラミレス(2008〜11年在籍/外野手)

 近年はそうでもないが、平成の巨人は外国人選手の獲得が、はっきり言って下手だった。自前のスカウティングが成功したのは96年に最多勝を獲得したバルビーノ・ガルベスくらい。メジャーでの実績を重視するあまり、次々と大物を獲得しては失敗することを繰り返していた。

 それもあってか、00年代は他球団で活躍した助っ人を引き抜くのが主流となった。その最大の成功例がヤクルトから獲得したラミレス。在籍は4年とやや短かったが、首位打者と本塁打王をそれぞれ1回、打点王を2度獲得するなど4番として存在感を発揮した。また、ヤクルト時代に人気を博したパフォーマンスも健在だった。

 なお、10年代に入ってからはスカウト力が向上し、優良助っ人を自前で発掘できるようになった。8年間在籍して最優秀中継ぎ投手を2度獲得したスコット・マシソンや、17年に奪三振王を獲得し、逆輸入でメジャー復帰後も活躍を続けるマイルズ・マイコラスはその代表例だ。
 ▼広島
クリス・ジョンソン(2015〜20年在籍/先発投手)

 地道なスカウティングで優れた助っ人を安価で獲得したり、ドミニカ共和国にカープアカデミーを設立して供給源を確保するなど、独自路線を貫くのが広島の特徴。後にMLBでシーズン40本塁打&40盗塁を達成するアルフォンソ・ソリアーノはカープアカデミーが見出した選手で、“史上最強クローザー”サファテを発掘したのも広島だった。

 03〜04年に在籍し、遊撃手として2年連続20本塁打をクリアしたアンディ・シーツや、阪神に引き抜かれたそのシーツに代わって加入し、いきなり40本塁打を放ったグレッグ・ラロッカ、08〜09年に2年連続奪三振王を獲得し、その後メジャーに戻って活躍したコルビー・ルイスも忘れ難い。

 16〜18年にリーグ3連覇を果たした際も、投打で助っ人が貢献した。打の中心はブラッド・エルドレッド。14年に37本塁打でタイトルを獲得した打棒以上に、真面目な人柄で首脳陣やチームメイト、そして何よりファンから愛された。

 そして、投手の中心だったのが、ジョンソンだ。来日1年目から最優秀防御率を獲得し、2年目には15勝、防御率2.13、141奪三振の好成績で助っ人史上2人目の沢村賞も獲得。エルドレッドと同じく6年間在籍し、広島を「第二の故郷」と呼ぶほどのカープ愛を貫いて昨年引退した。▼中日
タイロン・ウッズ(2005〜08年在籍/一塁手・外野手)

 中日の助っ人も実に国際色豊か。韓国やキューバにも早くから独自のルートを開拓し、クローザーとして活躍した宣銅烈や、“キューバの至宝”オマール・リナレスと契約。もちろん、セ・リーグ史上3人目の3年連続首位打者を獲得したアロンゾ・パウエルなど、アメリカ出身の助っ人も抜け目なく補強している。

 97年に広いナゴヤドーム(現バンテリンドーム)に本拠地を移して以降は、助っ人主砲の重要度がさらに増した。同年に入団したレオ・ゴメスが31本塁打を放ってその嚆矢となったが、ナゴヤドーム期史上最高の長距離砲はウッズだ。横浜で2年連続本塁打となった男を、05年に2年10億円で引き抜いたのが大正解だった。移籍1年目の05年から38本塁打を放つと、06年には47本塁打&144打点で二冠王、07年には43年ぶりの日本一にも大きく貢献し、今もファンに強烈な印象を残している。

 08年にウッズが退団した後も、トニ・ブランコやアレックス・ゲレーロなど次々と長距離砲を発掘。現在もキューバ出身のダヤン・ビシエドが4番として重きをなしている。
 ▼DeNA
ロバート・ローズ(1993〜2000年在籍/二塁手)

 前身の大洋ホエールズ時代から、敏腕スカウトの牛込惟浩が数々の優良助っ人を発掘。牛込スカウトは2000年限りでスカウト部門を退いており(16年に死去)、彼が最後に発掘した大ヒット作が、このローズだ。

 他のチームで紹介した優良助っ人と違い、日本に馴染む努力をするような男ではなかった。日本語を覚えようとすらしなかったが、持ち前の巧みなバットコントロールと勝負強さでチームに貢献。90年代末期の“マシンガン打線”の中核を担って、98年には球団38年ぶりの日本一を支えた。

 翌99年には、当時右打者最高の打率.369、歴代2位の153打点と圧倒的な成績を残したローズ。翌年も2年連続最多安打のタイトルを獲得したが、その年の最後に退団。03年に突如ロッテで現役復帰したが、キャンプ中にこれまた突如引退を表明して球界を驚かせた。

 この他、05年には日本球界史上初の160キロを計測したマーク・クルーンを来日させ、近年もネフタリ・ソトやタイラー・オースティンを発掘するなど、牛込氏がいなくなった後も地味ながら高いスカウト力を発揮している。

構成●SLUGGER編集部

関連記事(外部サイト)