阪神は「神のお告げ」のグリーンウェル、ヤクルトは強打者ラミレス……の息子?【平成・令和セ・リーグ6球団のワースト助っ人は誰だ】<SLUGGER>

阪神は「神のお告げ」のグリーンウェル、ヤクルトは強打者ラミレス……の息子?【平成・令和セ・リーグ6球団のワースト助っ人は誰だ】<SLUGGER>

史上屈指の大物助っ人にして、史上最悪級のダメ外国人だったグリーンウェル。引退理由が「神のお告げ」はまさに唯一無二だ。写真:産経新聞社

光があるところにはまた闇もある。優良助っ人がいれば、まったく結果を残せなかったがっかりな外国人もいる。ここでは、各球団の平成以降の“ワースト外国人選手”を紹介しよう。今回はセ・リーグ編だ。

▼ヤクルト
アレックス・ラミレス・ジュニア(2005〜07年在籍/投手?)

 名前を見れば分かる通り、のちに助っ人初のNPB通算2000安打を達成するアレックス・ラミレスの義理の息子(再婚相手の連れ子)。04年オフに球団がラミレスを引き留めるために契約した、いわゆるバーターでのコネ入団だった。父親は年俸3億円、ジュニアの方は300万円でそれぞれ3年契約を結んだ。

 入団の経緯からしてすでにきな臭いが、もっと問題だったのは、このジュニアがまったくの素人だったことだ。一応は投手登録だったが、ストレートは130キロにも満たず、変化球も満足に投げられない。当然のことながら3年間で一軍登板どころか、二軍ですらほとんど出場機会をもらえなかった。プロレベルに遠く及ばない男に払った計900万が高いと見るか、ラミレスを年俸3億300万で3年間引き止められたのが安いと見るかは、議論の余地があるだろう。
 ▼阪神
マイク・グリーンウェル(1997年在籍/外野手)

 レッドソックスでは殿堂入りした名外野手ジム・ライスの後を継いでレフトを守り、メジャー12年で通算1400安打を放ったプロ野球史上でも屈指の大物助っ人。年俸4億円には、前年オフに西武からFAとなった清原和博の争奪戦に参加した際の資金が充てられた。当時、暗黒期真っ只中だった阪神が、グリーンウェルにいかに期待していたかは言うまでもないだろう。

 しかし、この男は最悪の形でそれを裏切った。キャンプ中に「腰の具合が良くない」と言って突然帰国。戻ってきたのはゴールデンウィークに入ってからで、しかも出場7試合目に自打球で右足を骨折。ここまでならよくある話だが、グリーンウェルは何とその直後、「野球をやめろという神のお告げだと感じた」と言って突如引退してしまう。「嵐のように来て、嵐のように去っていった」とは当時の吉田義男監督の弁。あまりにも強烈な引退劇は、20年以上経った今でも語り草になっている。
 ▼巨人
ダン・ミセリ(2005年在籍/投手)

 漫画家のやくみつる氏いわく「日本観光のオプションツアーで読売ジャイアンツに体験入団した男」。といっても、決してラミレス・ジュニアのような素人ではない。メジャー12年で通算579登板の豊富な実績を持ち、アストロズ時代にはチームメイトのロジャー・クレメンスの異名“ロケット”と対を成す“ミサイル”というニックネームもつけられたほどの豪腕だった。

 しかし、日本でのデビュー戦はまさに散々。4月1日、広島との開幕戦の9回に登板したものの、2本のホームランを浴びて黒星。4日後の横浜戦に2度目の登板を果たした際は、今度はサヨナラ安打を浴びる始末。その後も一向に立ち直る様子は見せず、4試合で防御率は何と23.63と大炎上した。首脳陣は二軍行きを通告するもミセリは拒否し、球団はしかたなく4月半ばに史上最速の解雇を通告。にもかかわらず、その日は悠々と浅草観光に出かけ、巨人ファンを激怒させた。メジャーで十分稼いだからこその余裕なのだろうが、その強いメンタルをなぜマウンドで生かせなかったのだろうか。
 ▼広島

クリストファー・カンバーランド(2000年在籍/投手)

 低年俸で優良助っ人を発掘する独自のスカウティングを貫く広島には、ネタになるほどのダメ外人は少ない。あえて言うならこのカンバーランドだろう。メジャー経験はなかったが、マイナー12年で通算57勝を挙げ、それなりに期待されていた。

 当時の達川晃豊(現・光男)監督は苗字をもじって「カンバーランドががんばーらんと困る」などと駄洒落を言っていたが、肝心の本人はまったく頑張れなかった。開幕3戦目に先発したが、打者5人で3安打1四球と滅多打ちにあい、1死しか取れず3点を失って降板。即二軍落ちとなった。さらにファームでも1試合4ボークのワーストタイ記録を樹立する惨状で、わずか1ヵ月で解雇されたのも当然というべきだろう。
 ▼中日

ディンゴ(2000年在籍/捕手・外野手)

 本名はデーブ・ニルソン。「ディンゴ」の登録名は、母国オーストラリアに生息する野犬のこと。MLBでは強打の捕手として活躍し、来日前年の99年には打率.309、21本塁打、OPS.954の好成績でオールスターにも選ばれるなどまさに現役バリバリのメジャーリーガーだった。そんな彼が全盛期になぜ日本に来たのかと言えば、シドニー五輪に母国の代表として出場するためだった。

 キャンプでは逆方向にも本塁打が打てる技術を披露して否が応にも期待が高まったが、シーズンに入るとまったくの鳴かず飛ばず。不慣れな外野での出場もあってか、18試合で打率.180と極度の打撃不振に陥り、8月に退団してしまった。それでも、(本人にとっては)肝心の五輪では、日本戦で黒木知宏からも本塁打を放つなど打って変わって絶好調。中日だけが損をする(?)結果となってしまった。
 ▼DeNA

スティーブ・コックス(2003年在籍/一塁手)

 2000年にデビルレイズ(現レイズ)でメジャーデビューし、116試合でOPS.832、11本塁打で新人王争いにも加わった長距離砲。その後も引き続きレギュラーを務め、02年には規定打席をクリアして16本塁打を放った翌年、金銭トレードで日本にやってきた。年俸約3億2000万円の2年契約+球団オプション1年という、当時としては破格の条件での入団だった。
 
 だが、春季キャンプの走塁練習で右ヒザ半月板を損傷。手術でシーズン初出場は2ヵ月近くもずれ込んだ。復帰してからも患部をかばってプレーしたためか、15試合に出たところで今度は左足を故障してしまった。右ヒザの状態も思わしくなく、結局そのままシーズン終了となってオフに解雇された。

 だが、横浜の悪夢はこの後だった。コックスの代理人は2年契約であるがゆえに翌年の年俸支払いも要求。結局横浜はたった10安打の選手に6億円以上も支払うこととなり、当時の峰岸進球団社長を「授業料にしては高すぎた」とボヤかせた。

構成●SLUGGER編集部
 

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