大物を相次いで外した楽天、ソフトバンクは“助っ人史上最悪の投手”と呼ばれた男【平成・令和パ・リーグ6球団のワースト助っ人は誰だ】<SLUGGER>

大物を相次いで外した楽天、ソフトバンクは“助っ人史上最悪の投手”と呼ばれた男【平成・令和パ・リーグ6球団のワースト助っ人は誰だ】<SLUGGER>

メジャーでは最多勝投手だった大物ペニー。その実力を発揮できなかったどころか、鷹ファンに泥をかけるような発言を繰り返した。写真:産経新聞社

光があるところにはまた闇もある。優良助っ人がいれば期待外れな外国人もいる。ここでは、各球団の平成以降の“ワースト外国人選手”を紹介しよう。今回はパ・リーグ編だ。

▼オリックス

エリック・コーディエ(2016年在籍/投手)

 往々にして豪腕投手の多くは荒れ球だが、コーディエはその極致だった。自称「最速165.7キロ」。マーリンズ時代にはチームメイトのイチローから“ハンドレッド”(100マイル=160キロの男という意味)との異名を奉られたほどのスピードを誇った代わりに、あまりにもコントロールが悪かった。

 何しろ来日初セーブは1イニングで27球も費やし、1点差に迫られてなお満塁という薄氷の状況でかろうじて抑えたほど。その後もコーディエのノーコンぶりはとどまるところを知らず、交流戦では雄平(ヤクルト)と「6球全部ボール球なのになぜか空振り三振」というある意味名勝負を演じた。日本での最終登板はその3日後の中日戦で、3人の打者に全員四球、1死も取れずに降板という結末に終わった。この試合で球団最速の159キロを計測したことだけが面目躍如となったが、オリックス首脳陣にとっては慰めにもならなかっただろう。
 ▼ロッテ

ヤマイコ・ナバーロ(2016年在籍/二塁手)

 平成以降の助っ人では、自らも元不良だった愛甲猛をして「史上最悪の助っ人」と言わしめた性格最悪の男メル・ホール(93〜94年在籍)がいるが、人格はさておきシーズン30本塁打を記録するなど、成績自体は上々だった。

 韓国球界での活躍を買われて入団したこのナバーロはというと、来日1年目のオープン戦期間中にいきなりやらかした。銃器の不法所持で逮捕されてしまったのだ。そのことが原因で開幕4週間の出場停止処分を食らってすっかり出鼻をくじかれたからか、前年にKBOで48本塁打を放ったはずのパワーは、82試合で10本塁打といまひとつ発揮できず。打率.217と低迷、たびたび怠慢守備をやらかすなどいいところを見せられないまま1年で解雇された。
 ▼楽天
ケビン・ユーキリス(2014年在籍/一塁手)

 13年に球団初の日本一を達成した際、その中核となったのがメジャー通算434本塁打の大物助っ人、アンドリュー・ジョーンズだった。二匹目のドジョウを狙ってか、楽天はその後、同様にメジャーで実績のある打者を獲得した。名著『マネーボール』で“四球のギリシャ神”と言われた選球眼の怪物、ケビン・ユーキリスを年俸3億円で獲得。メジャーでの実績はジョーンズにこそ劣るが、年齢はジョーンズより1歳若かった。

 だが、ユーキリスは日本ではかかとの負傷で4月早々に帰国。だが、チームが最下位にあえいでいた8月、故障で治療中のはずが頭から氷水をかぶる「アイス・バケツ・チャレンジ」をする姿を動画サイトに投稿して楽天ファンの顰蹙を買った。それが気まずかったのかは知らないが、結局その後も戻ることなくシーズン終了後に引退。出場僅か21試合だった。

 また、16年にはLB通算162本塁打を放ったジョニー・ゴームズを獲得したが、ゴームズは同年4月に起こった熊本地震に恐怖を感じ、5月にアメリカに逃げ帰ってそのまま退団。メジャー時代は闘志満々のスタイルで知られた男も、地震には勝てなかったようだ。
 ▼ソフトバンク

ブラッド・ペニー(2012年在籍/投手)

 ドジャース時代の06年に最多勝を獲得、メジャー通算119勝を挙げた、投手では史上屈指の大物助っ人。前年オフに和田毅と杉内俊哉が相次いで移籍したこともあって、エースとして期待されていた。だがこの男、2億2500万円もの年俸をもらっておきながら、阪神のグリーンウェルに匹敵するほどやる気がなかった。

 来日初登板で3回途中6失点でKOされると、肩の痛みを訴えて登録抹消。直後の検査で「異常なし」と診断されたのになぜか帰国してしまう。さらに再来日後もろくに練習に参加せず、5月上旬にそのまま退団した。その後はサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結び、「アメリカに戻ってこられて良かったぜ!」と日本を煽るような発言を連発。人格はむしろグリーンウェルよりもタチが悪く、「史上最悪の助っ人投手」と呼んではばからないファンも多い。
 ▼日本ハム

エリック・アルモンテ(2005年在籍/遊撃手)

 ヤンキースでは殿堂入り遊撃手のデレク・ジーターが故障した際に代役を務めたこともあり、来日前年には3Aでの123試合で打率.318と活躍。当時のトレイ・ヒルマン監督は、04年のアテネ五輪日本代表に入った金子誠を二軍に落としてまでレギュラーで起用した。

 真面目な性格と練習熱心な態度はチームメイトの評価も高く、強肩や選球眼にも光るものを見せたが、残念ながら総合的にはプレーが雑だった。打率は2割を切り、守備でも27試合で9失策を犯して高田繁GM(当時)から「全然ダメ」と嘆かれ、2年契約にもかかわらず1年で戦力外通告を受けた。
 
▼西武

コーディ・ランサム(2014年在籍/三塁手)

 ランサムには、入団が発表された時からすでに暗雲が立ち込めていた。前年に最高出塁率のタイトルを獲得したエステバン・ヘルマンがオリックスへ移籍したことに伴い、その代役として契約したのだが、そこに至る球団の対応がちぐはぐだったからだ。ヘルマンには「35歳という高齢」が理由で交渉が及び腰となって決裂したのに、ランサムの年齢は37歳とヘルマンよりも上だった。

 当然ファンから疑問の声が上がったが、案の定だった。打てない、守れない、走れないの逆三拍子でチームの最下位独走に“貢献”。当時の伊原春樹監督が途中解任される遠因になり、後に伊原からは「顔も見たくない」とまで言われた。結局ランサムは7月末に戦力外通告を受けて退団。移籍したヘルマンもこの年は不振だったが、西武ファンにとってはまったく慰めにならなかった。

構成●SLUGGER編集部
 

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