3割打者は4人いても、今季以上の“投高打低”!史上初の「打率2割台の首位打者」誕生が期待(?)された1976年の思い出<SLUGGER>

3割打者は4人いても、今季以上の“投高打低”!史上初の「打率2割台の首位打者」誕生が期待(?)された1976年の思い出<SLUGGER>

ロッテ佐々木朗希の完全試合をはじめ、今季はパのチーム相手にノーヒッターが4度。驚異の投高打低だが、これを上回るシーズンが過去にもあった? 写真:産経新聞社

今季のプロ野球では、すでにノーヒッターが4度も達成される「投高打低」のシーズンとなっている。ソフトバンクの千賀滉大が「将来3割打者はいなくなる」と発言したことも話題になった。実際、特にパ・リーグは前半戦終了時点で、規定打席以上で打率3割に達しているのは2人しかいない(セ・リーグは7人)。

 2リーグ制となった1950年以降、3割打者がリーグで2人以下は過去に9度ある。1人だけだった年は4度だ。

 しかし、そうした投高打低のシーズンでも、首位打者を獲得した選手の打率は62年の森永勝也(広島)の.307を除き、すべて.320以上だった。森永のケースはセで3割以上は彼1人だったのだが、当時どの程度ファンや関係者が「消滅の危機」と騒いだかは、その翌年生まれたぼくには実感できる情報がない。そこで、リアルタイムで見てきた中でもっとも「危機」だったと認識している、76年のパについて記したい。

 この年、最終的にはパの3割打者は4人だった。しかし、シーズン終盤になって3割打者がゼロになる日も発生したと記憶している。相当危ない状況だった。その理由としては、もちろん好投手があふれていたことが挙げられる。

 日本シリーズ3連覇という黄金時代の真っただ中の阪急(現オリックス)には、“史上最高のアンダースロー”とうたわれた山田久志がいた。69年以降では現在も最多となる26勝(7敗)と圧倒的な成績だった(もっとも、当時のパ・リーグは今と違って不人気で、本拠地・西宮球場はいつもガラガラだった)。
  さらにロッテの村田兆治も凄かった。21勝11敗、防御率は1.82で両リーグトップ。さらには南海(現ソフトバンク)の山内新一(20勝)、近鉄の鈴木啓示(18勝)、日本ハムの高橋直樹(17勝)など各球団のエースがその名に恥じない成績を残した。太平洋(現西武)のエース東尾修はこの年不調で、勝ち星こそ13に終わったが、前年は23勝で最多勝を獲得と、本来の実力は折り紙付きだった。

 このように、パ・リーグ全球団に大エースがひしめいていただけでなく、現代とは異なり、彼らの多くは中4日で先発。時にはリリーフもこなすという大車輪ぶりで、打者にとっては受難と言うしかない状況だった。

 そんな状況下で、最終的に首位打者のタイトルをさらったのは太平洋の伏兵、吉岡悟だった。彼はその球歴を通じ、レギュラーとして活躍したのは僅か2年だけ。前年はわずか69試合の出場で打率.219だったのが、この年は4月下旬からレギュラーに定着して狂い咲きを見せたのだ。リーグ全体が投高打低の中、水面下で着々と安打を積み重ね、8月中旬になって規定打席に到達。首位打者が視野に入るリーグ2位に付けた(それでも打率は3割に届いていなかったが)。

 そして9月中旬、それまでただ1人の3割打者だった南海の門田博光(パワーヒッターのイメージが強いが、当時はどちらかと言えばアベレージヒッターだった)を抜いてついに首位打者に躍り出た。その後も門田や藤原満(南海)、加藤秀司(阪急)らと厘差、毛差の激烈な首位打者争いを展開したが、打率が3割そこそこだっただけに、同時に低レベルな感が否めなかったのも確か。「2リーグ分裂後では初の打率2割台の首位打者が誕生!?」との危機感と期待感(?)が、(当時極めて少なかった)パ・リーグファンの間で高まった。
  10月6日。首位打者候補のいる太平洋、南海、阪急の3球団は、この日ともに129試合目を終了。この時点で吉岡の打率は.3042。門田は.3017、藤原は.3013、加藤は.2984と、誰がタイトルを取ってもおかしくないような状況だった。

 翌10月7日に南海と阪急は、太平洋より先に最終130試合目を直接対決で迎えた。吉岡を抜くには、門田は2の2、藤原は3の3、加藤は4の4が必要だった。しかし門田は2の0でリタイア。藤原も5打数2安打、加藤は第1打席で安打を放ち、打率を3割ちょうどに載せると、あっさりベンチに退いた。かくして、シンデレラボーイ吉岡の首位打者がほぼ確定した。

 太平洋の最終戦は10月10日のロッテ戦。2打数無安打までならOKとあって、吉岡はプレッシャーから解放されたか、4打数3安打の固め打ちで、打率を一気に.3089まで上げ、見事にタイトルを手中に収めた。この成績は、首位打者としては現在まで破られていないリーグ最低打率だが、とにもかくにもファンが懸念した「3割打者消滅」は避けられたのだ。
  なお、この年のパの投高打低の印象は、セ・リーグとの対比で増幅された感がある。何しろ、セは全くの逆だったのだ。谷沢健一(中日)と張本勲(巨人)による首位打者争いは、ともに打率3割5分台というハイレベルで展開。谷沢が打率.3548、張本が.3547のわずか1毛差で決着する激戦だった。3割打者は実に15人もいた反面、防御率1位の鈴木孝政(中日)は2.98、ほぼ3点という「打高投低」だったのだ。

 長嶋巨人の人気に牽引され、球場に大挙詰めかけたファンに見守られ、華々しい打撃戦を展開するセ・リーグ。それに対しパ・リーグは、応援団長の三三七拍子と辛辣なヤジがだけがやけに響き渡るガラガラの球場で、玄人うけはするものの地味な投手戦の連続。あらゆる意味での好対照に、パの3割打者消滅危機がなおさらショッキングに感じられたのかもしれない。

 なお、同じ投高でも、今季と76年は少々事情が異なる。今年のパ・リーグの平均奪三振率は7.74(前半戦終了時点)だが、76年は4.31でしかない。一方で本塁打率にそこまで大きな違いはなく(76年は0.86、今季は0.67)、セイバーメトリクスで言うところの「本塁打を除くインプレー打球の打率は一定」の原則を考えると、三振が少ない方が高打率を誘引するはず。つまり、76年はもっと打高でもおかしくはなかったにもかかわらず、3割打者が消えかかったということは、やはり76年の投高ぶりは凄かったのだ。

文●豊浦彰太郎

【著者プロフィール】
北米61球場を訪れ、北京、台湾、シドニー、メキシコ、ロンドンでもメジャーを観戦。ただし、会社勤めの悲しさで球宴とポストシーズンは未経験。好きな街はデトロイト、球場はドジャー・スタジアム、選手はレジー・ジャクソン。
 

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