【オールスター好プレー3選】江夏豊の有言実行の「9者連続三振」、王貞治を苦しめた野村克也、新庄剛志の“お祭り男”ぶり
2022年07月26日 06時00分THE DIGEST

2004年にメジャーからプロ野球界に舞い戻った新庄は当時に「これからはパ・リーグ」と宣言した彼は、驚愕のプレーを見せた。写真:塚本凛平(THE DIGEST写真部)
7月26、27日に開催されるプロ野球のオールスターゲーム。日本野球界の実力者が集う球宴は、これまで数多くのドラマが繰り広げられてきた。そのなかでも野球ファンを大いに盛り上げ、今なお語り継がれているプレーがある。今回は好プレーを3つ紹介する。
―――◆―――◆―――
▼江夏の9連続三振の裏側
今年4月10日に佐々木朗希(ロッテ)が完全試合を達成した際、同時に13連続奪三振の日本記録も樹立した。オールスターではそれよりも少ない9者連続が最多だが、各球団の主力打者がずらりと並ぶ打線を相手に達成するのは並大抵の業ではない。それを成し遂げたのはただ一人、71年の球宴第1戦の江夏豊(当時阪神)だけだ。
1番・サード、有藤通世(ロッテ)
2番・セカンド、基満男(西鉄/現・西武)
3番・センター 長池徳士(阪急/現オリックス)
4番・ファースト、江藤慎一(ロッテ)
5番・レフト、土井正博(近鉄)
6番・ライト、東田正義(西鉄)
7番・ショート、阪本敏三(阪急)
8番・キャッチャー、岡村浩二(阪急)
代打、加藤秀司(阪急)
有藤、江藤、土井、加藤の4人は後に通算2000安打を達成する球史に残る強打者。しかもこの強力打線に対峙した江夏は、当時心臓疾患を発症して、登板のたびに脈拍を計って、細心の注意を払わなければならない状態だった。
体調が思わしくなく、同年の前半戦の江夏は不振だった。それでも負けん気の強い剛腕は、実はこの大記録を予告しており、オールスター直前にスポーツ新聞に記事が出ている。いわく「江夏は9人全部、三振に取ったるわ……とジョークも言った」。ただ、オールスターで彼がマウンドに上がるまで、誰も本気にはしていなかった。
だが、江夏は、まるでスプリットと見紛うような速いカーブを駆使して、次々に三振を積み上げていく。初回の3者連続空振り三振に始まり、3ボールまで行ったのは一度もなし。6者連続で迎えた3回には、7番・阪本をストレートで押して見逃し三振。8番・岡村も力押しで空振り三振に仕留めて、岡村に「スピード違反や!」と言わしめた。
記録を阻止しようとした9人目の加藤は、3球目にバックネットへファウルフライを打ち上げた。捕手の田淵幸一(阪神)が追うも、江夏は「追うな!」と一喝。カウント1-2でど真ん中に速球を投げ込み、見事に空振りを奪って快挙を成し遂げた。
この13年後の83年、江夏と同じセ・リーグ屈指の本格派エース、江川卓(当時巨人)もこの記録に挑戦。8連続までは至ったが、9人目の大石大二郎(近鉄)にセカンドゴロを打たれて惜しくも届かず。いまだに江夏以外に達成者は存在しない。▼史上最強打者を抑え込んだノムさんの執念
意外な記録がある。
誰が見ても文句なしの“史上最強打者”王貞治は、レギュラーシーズン通算で.301の高打率を残していながら、21回出場したオールスターの通算打率は.213の低さ。この成績の低さは、王のライバルだったパ・リーグの雄、野村克也の執念によるところが極めて大きかった。
ともに史上屈指のスラッガーである野村と王の因縁は、通算本塁打記録の争いに始まる。73年まで頂点にいたのは前者だが、この年になって後者が抜き去り、そのまま2度と王座を譲ることがなかった。
「ワンちゃんにはかなわない」と、誰よりも王の才能を認めていた野村だが、やはり忸怩たる思いがあったのだろう。それがそのままリードに現れた。
野村がマスクをかぶっている間の王は、73年から80年にかけて30打席連続無安打も記録したほど、完全に抑え込まれている。この間、野村以外の捕手では5本塁打を放っているから、その違いはあまりにも大きい。2人とも80年限りで引退しており、結局、王は「捕手・野村」の前で2度と安打を放てなかった。
この記録を発見した日本プロ野球の“記録の神様”、元パ・リーグ記録部の宇佐見徹也氏は、後年この“対戦成績”を野村本人に見せた。すると野村は自分でも予想外だったようで、「打たせないつもりでやっていたが、こんなにはっきり記録に出るものなのか」と驚いていたという。本人ですら半ば無自覚だった野村の執念に、王は祟られたというしかない。
▼“お祭り男”新庄が魅せた美技
最後に紹介するのは、現日本ハム監督のビッグボスこと新庄剛志のオールスターだ。現役時代の新庄は、球宴でも輝く“お祭り男”だった。
新庄のオールスター初出場は、阪神時代の1994年。この年は代走で球宴初盗塁を決めたくらい。2度目の出場となった97年には、前半戦の不振もあって応援ボイコットの憂き目にもあったが、セ・パ分立50周年記念として行なわれた99年のオールスターでは、第3戦で4打数2安打1本塁打、セの全2得点をたたき出して初のMVPに選出された。
だが、新庄が本領を発揮するのは、2004年にメジャーから日本ハムへ復帰してからだ。同年、パの外野手ではトップの72万票を集めて1番・センターでフル出場。とくに第2戦のパフォーマンスは鮮烈で、初回の第1打席に「予告ホームラン」からの初球セーフティバントを決め、3回裏には今も名高い単独ホームスチールを成功させた。
4番・小笠原道大(日本ハム)の打席で、福原忍と矢野輝弘の阪神バッテリーが返球する隙をついての好プレーは、球宴史上初の単独本盗となり、2度目のMVPに選出されている。試合後に新庄は「(ホームスチールなどは)パ・リーグじゃなかったらやってない」と発言。日本ハム入団会見の折に語った「これからはメジャーでもない。セ・リーグでもない。パ・リーグです!」という、リーグを盛り上げる決意を有言実行した。
また、この年はオリックスと近鉄の合併問題に端を発する再編問題に球界が揺れていた時でもあった。「こういう選手がたくさん出てメディアに取り上げられれば、ファンも球場に行きたい気持ちになる」という新庄の意図が、騒動を乗り越えて現在も球界が隆盛する礎になったと言えるだろう。
文●筒居一孝(SLUGGER編集部)
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▼江夏の9連続三振の裏側
今年4月10日に佐々木朗希(ロッテ)が完全試合を達成した際、同時に13連続奪三振の日本記録も樹立した。オールスターではそれよりも少ない9者連続が最多だが、各球団の主力打者がずらりと並ぶ打線を相手に達成するのは並大抵の業ではない。それを成し遂げたのはただ一人、71年の球宴第1戦の江夏豊(当時阪神)だけだ。
1番・サード、有藤通世(ロッテ)
2番・セカンド、基満男(西鉄/現・西武)
3番・センター 長池徳士(阪急/現オリックス)
4番・ファースト、江藤慎一(ロッテ)
5番・レフト、土井正博(近鉄)
6番・ライト、東田正義(西鉄)
7番・ショート、阪本敏三(阪急)
8番・キャッチャー、岡村浩二(阪急)
代打、加藤秀司(阪急)
有藤、江藤、土井、加藤の4人は後に通算2000安打を達成する球史に残る強打者。しかもこの強力打線に対峙した江夏は、当時心臓疾患を発症して、登板のたびに脈拍を計って、細心の注意を払わなければならない状態だった。
体調が思わしくなく、同年の前半戦の江夏は不振だった。それでも負けん気の強い剛腕は、実はこの大記録を予告しており、オールスター直前にスポーツ新聞に記事が出ている。いわく「江夏は9人全部、三振に取ったるわ……とジョークも言った」。ただ、オールスターで彼がマウンドに上がるまで、誰も本気にはしていなかった。
だが、江夏は、まるでスプリットと見紛うような速いカーブを駆使して、次々に三振を積み上げていく。初回の3者連続空振り三振に始まり、3ボールまで行ったのは一度もなし。6者連続で迎えた3回には、7番・阪本をストレートで押して見逃し三振。8番・岡村も力押しで空振り三振に仕留めて、岡村に「スピード違反や!」と言わしめた。
記録を阻止しようとした9人目の加藤は、3球目にバックネットへファウルフライを打ち上げた。捕手の田淵幸一(阪神)が追うも、江夏は「追うな!」と一喝。カウント1-2でど真ん中に速球を投げ込み、見事に空振りを奪って快挙を成し遂げた。
この13年後の83年、江夏と同じセ・リーグ屈指の本格派エース、江川卓(当時巨人)もこの記録に挑戦。8連続までは至ったが、9人目の大石大二郎(近鉄)にセカンドゴロを打たれて惜しくも届かず。いまだに江夏以外に達成者は存在しない。▼史上最強打者を抑え込んだノムさんの執念
意外な記録がある。
誰が見ても文句なしの“史上最強打者”王貞治は、レギュラーシーズン通算で.301の高打率を残していながら、21回出場したオールスターの通算打率は.213の低さ。この成績の低さは、王のライバルだったパ・リーグの雄、野村克也の執念によるところが極めて大きかった。
ともに史上屈指のスラッガーである野村と王の因縁は、通算本塁打記録の争いに始まる。73年まで頂点にいたのは前者だが、この年になって後者が抜き去り、そのまま2度と王座を譲ることがなかった。
「ワンちゃんにはかなわない」と、誰よりも王の才能を認めていた野村だが、やはり忸怩たる思いがあったのだろう。それがそのままリードに現れた。
野村がマスクをかぶっている間の王は、73年から80年にかけて30打席連続無安打も記録したほど、完全に抑え込まれている。この間、野村以外の捕手では5本塁打を放っているから、その違いはあまりにも大きい。2人とも80年限りで引退しており、結局、王は「捕手・野村」の前で2度と安打を放てなかった。
この記録を発見した日本プロ野球の“記録の神様”、元パ・リーグ記録部の宇佐見徹也氏は、後年この“対戦成績”を野村本人に見せた。すると野村は自分でも予想外だったようで、「打たせないつもりでやっていたが、こんなにはっきり記録に出るものなのか」と驚いていたという。本人ですら半ば無自覚だった野村の執念に、王は祟られたというしかない。
▼“お祭り男”新庄が魅せた美技
最後に紹介するのは、現日本ハム監督のビッグボスこと新庄剛志のオールスターだ。現役時代の新庄は、球宴でも輝く“お祭り男”だった。
新庄のオールスター初出場は、阪神時代の1994年。この年は代走で球宴初盗塁を決めたくらい。2度目の出場となった97年には、前半戦の不振もあって応援ボイコットの憂き目にもあったが、セ・パ分立50周年記念として行なわれた99年のオールスターでは、第3戦で4打数2安打1本塁打、セの全2得点をたたき出して初のMVPに選出された。
だが、新庄が本領を発揮するのは、2004年にメジャーから日本ハムへ復帰してからだ。同年、パの外野手ではトップの72万票を集めて1番・センターでフル出場。とくに第2戦のパフォーマンスは鮮烈で、初回の第1打席に「予告ホームラン」からの初球セーフティバントを決め、3回裏には今も名高い単独ホームスチールを成功させた。
4番・小笠原道大(日本ハム)の打席で、福原忍と矢野輝弘の阪神バッテリーが返球する隙をついての好プレーは、球宴史上初の単独本盗となり、2度目のMVPに選出されている。試合後に新庄は「(ホームスチールなどは)パ・リーグじゃなかったらやってない」と発言。日本ハム入団会見の折に語った「これからはメジャーでもない。セ・リーグでもない。パ・リーグです!」という、リーグを盛り上げる決意を有言実行した。
また、この年はオリックスと近鉄の合併問題に端を発する再編問題に球界が揺れていた時でもあった。「こういう選手がたくさん出てメディアに取り上げられれば、ファンも球場に行きたい気持ちになる」という新庄の意図が、騒動を乗り越えて現在も球界が隆盛する礎になったと言えるだろう。
文●筒居一孝(SLUGGER編集部)
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