「彼の声を聞けば、映像なんて要らない」67年間ドジャース戦の実況を務めたヴィン・スカリーとファンの“幸福すぎる関係”<SLUGGER>

「彼の声を聞けば、映像なんて要らない」67年間ドジャース戦の実況を務めたヴィン・スカリーとファンの“幸福すぎる関係”<SLUGGER>

軽妙洒脱でユーモラスな実況でも知られたスカリー。1イニング通じて「ひげの歴史」について語ったこともあった。(C)Getty Images

8月2日(現地時間)、ドジャース戦の実況アナウンサーとして67年の長きにわたってファンに親しまれたヴィン・スカリーが、94年の人生に幕を下ろした。

 彼の名は「同一球団で最も長期間実況を務めた人物」としてギネスブックにも掲載されている。米スポーツ専門誌『Sports Illustrated』が2006年に選定した、すべてのスポーツを通じての史上最高の実況者ランキングでも2位にランクされた名アナウンサー。ゴルフやテニスなどの実況にも携わったが、本領はやはり野球中継で、ハンク・アーロンが通算本塁打の新記録を達成した場面(1974年)など、球史における数多くの名シーンに立ち会ってきた。6日のパドレス戦では、試合前にスカリーを偲ぶセレモニーも執り行なわれた。

 ドジャースのデーブ・ロバーツ監督が「チームのメンバー、そしてドジャースファンはみな、彼を家族の一員のように思っていた。何世代にもわたって、彼の声は我々の居間に響いていたのだ」と語れば、大エースのクレイトン・カーショウも「ドジャースの歴史を思い返すことは、ビンの歴史を思い返すことだ」という言葉を、スカリーと一緒に撮った画像を添えてツイッターに投稿した。
  元サイ・ヤング賞投手のデーブ・スチュワートも「野球放送とはどうあるべきかという模範を示してくれた」と綴るなど、現役、OBを問わず、数多くのドジャース関係者がその死を惜しんだ。野球界にとどまらず、NBAロサンゼルス・レイカーズのレブロン・ジェームス、女子テニス界の伝説的存在であるビリー・ジーン・キングらも哀悼のメッセージを寄せた。

 冒頭に「ドジャース戦の実況アナウンサー」と記したのは、スカリーは特定の放送局で働くアナウンサーではなかったからである。日本の野球中継とは違い、アメリカでは球団専属のブロードキャスト・チーム(実況アナウンサーとコメンテーター)が、ホームゲームだけでなく遠征にも帯同して、ほぼ全試合で放送に当たる。

 放映権を持つ局が変わってもその体制は引き継がれるので、スカリーのようにキャリアが長く、何十年も同一チームの試合を見続けていれば、そのチームの歴史の証人、生き字引のような存在になる。視聴者にとって専属アナウンサーは、移籍や引退によっていつかは必ずチームを去る選手たち以上に、親しみの湧く存在となるわけだ。

 メジャーリーグではどのチームにも必ずこのような名物アナウンサー、人気実況者がいる。カブスの故ハリー・ケリーやカーディナルスのジョン・バック、現役ではヤンキースのマイケル・ケイがその代表。ブルワーズのボブ・ユーカー、ジャイアンツのデュアン・カイパーのように、球団OBがアナウンサーと解説者を兼ねたブロードキャスターとなる例もある。人気と功績のあったアナウンサーを永久欠番と同等に遇する球団も多く、野球殿堂でも彼らを顕彰するコーナーがある。その存在感は単なる「実況担当」の枠をはるかに超越しているのだ。 ニューヨークに生まれ、フォーダム大学時代にアナウンサー活動を開始したスカリーは、50年にドジャース戦を担当するようになった。ドジャースがまだロサンゼルスでなく、ニューヨークのブルックリンを本拠としていた頃である。名アナウンサーだったレッド・バーバーの誘いで彼の放送チームに加わり、53年には25歳の若さにしてワールドシリーズの実況も任された。

 58年に移転したロサンゼルスのリスナーにとっては、スカリーの声とドジャースの試合は同一と言ってもいいくらいだ。11年に地元紙『ロサンゼルス・タイムズ』が「ロサンゼルスの最も偉大なスポーツ関係者」を選定した際、スカリーはサンディ・コーファックス(60年代のドジャースの大エース)、マジック・ジョンソン(NBAレイカーズのスーパースター)に次ぐ3位にランクインした。

 史上最高のアイスホッケー選手ウェイン・グレツキーや、ドジャースの名物監督トミー・ラソーダ以上に、ロサンゼルスのスポーツシーンにおける重要人物だと認められたのである。16年、ドジャースはドジャー・スタジアムの住所を「1000 Vin Scully Avenue」と改称した。この事実が、彼の存在の大きさを雄弁に物語っている。
  スカリーがこれだけ評価されているのは、単に長い間アナウンサーを務めたからではなく、当然それだけの理由がある。アメリカのスポーツ実況というと、大声で叫んだり奇抜なフレーズを乱発したりするというイメージを抱く向きも多かろう。

 だが、スカリーはそうではなかった。緊迫した場面では必要最小限の言葉しか発さず、時にはまったく言葉を差し挟まないことで、かえって臨場感を醸し出した。語彙が不足していたり、臨機応変に対処したりできなかったわけではもちろんなく、その方が効果的だと知っていたのだ。

「放送ブース内のシェイクスピア」と表現されたこともあったように、野球に限らず幅広い分野の知識や蘊蓄を、必要に応じて実況に盛り込むのも得意だった。他のアナウンサーと一線を画す唯一無二の実況スタイルもまた、スカリーの大きな特徴だった。

 16年を最後に89歳で引退。翌17年、ドジャースが29年ぶりにワールドシリーズへ進出すると、彼のカムバックを切望する声がファンだけでなく同業者の間からも沸き上がった。だが、安易に受け入れることなく固辞したあたりが、いかにもスカリーらしかった。その代わり、20年にドジャースが世界一になった際には、公式ドキュメンタリーでナレーションを務めている。

 さるドジャースファンは、スカリーの魅力について「彼の声を聞いていれば、目の前にありありとその光景が描かれるから、映像なんて要らないんだ」と述べていた。彼がどれほど優れた技量の持ち主だったかを、完璧に表現した言葉だろう。

文●出野哲也

【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『プロ野球 埋もれたMVPを発掘する本』『メジャー・リーグ球団史』(いずれも言視舎)。
 

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