阪神の「10年36億」を蹴った清原和博、「ミスターの背番号」も条件になった江藤智――大物FA選手争奪戦を振り返る<SLUGGER>

阪神の「10年36億」を蹴った清原和博、「ミスターの背番号」も条件になった江藤智――大物FA選手争奪戦を振り返る<SLUGGER>

巨人・長嶋監督(左)と握手を交わす清原(右)。阪神の出していた巨額オファーは実らなかった。写真:産経新聞社

日本シリーズも終結し、いよいよストーブリーグが本格化する時期になった。とくフリーエージェント(FA)移籍は、オフの目玉の一つだ。今回は、これまでに特に激しい争奪戦が展開された大物選手たちのそれを振り返ってみよう。

▼清原和博(1996年オフ)
○巨人:2年5億円 (最終的には5年18億円)
●阪神:10年36億円&監督手形

「(ユニホームの)縦じまを横じまにしてでも君が欲しい」。当時阪神の監督だった吉田義男は、西武からFA宣言した清原をこう言って口説いた。当時暗黒時代の真っ只中だった阪神が、常勝軍団の4番を務めた清原獲得にかける執念はそれほど強かった。後年、清原が明かした条件は、総額36億円の10年契約。最高年俸が3億8000万円(巨人の落合博満)だった時代を思えば異例とも言える額である。しかも将来の監督&球団社長手形など、引退後の生活をも保証するものも含まれていた。誠意も金額も、これ以上は望めなかっただろう。

 対して、幼少期から清原が憧れ続けた巨人の条件は、阪神とは比ぶべくもなかった。当初提示されたのは2年契約で、年俸も阪神より安い。最終的には5年18億円までアップしたが、それでもなお阪神の方が上だったのは一目瞭然だ。

 しかし、最終的に清原が巨人を選んだのは、当時の長嶋茂雄監督から「何も考えず僕の胸に飛び込んで来い」と言われたことと、母から「あんたの夢は何やったんや」と諭されたからだという。当時は阪神のオファーが明らかになっていなかったため、「結局はカネか」とファンから批判もされたが、実は清原はカネよりも夢を選んでいたのだ。
 ▼江藤智(1999年オフ)
○巨人:4年12億円+背番号33
●阪神:5年15億円
●横浜:4年10億円
●中日:条件不明

 本塁打王2回を誇る90年代屈指のホームラン・アーチストのFA宣言に、それまで散々苦しめられてきたセ・リーグ4球団が群がった。総額10億円規模で4球団が争奪戦を展開するのは、現代でもそうそうないこと。昨今は「緊縮財政」のイメージが強い中日も、当時は巨人と並んで目玉選手を獲りに行く傾向にあった。

 その中日は条件こそ不明ながら、江藤獲りにかなり熱心だったと言われる。この年にリーグ優勝を果たしたものの、本塁打数は5位と打線は迫力不足だったからだ。また、それ以上に必死だったのが、同じく深刻なパワー欠乏症に悩まされていた阪神。獲得に欠ける熱意は条件面にも表れている。

 だが、東京出身の江藤は「在京球団」を希望したため、中日と阪神の望みは早々に絶たれてしまう。条件に合う残り2球団では、巨人の方がただでさえ条件は良かったが、ダメ押しとばかりに長嶋茂雄監督が、自身の背番号33を江藤に譲ると宣言。かくして江藤は巨人入りを決断した。なお、ミスターはその代わり、自身が現役時代につけていた永久欠番の背番号3を再び着用して話題となった。
 ▼内川聖一(2010年オフ)
○ソフトバンク:4年12億円
●広島:3年6億円
●横浜:4年10億円

 08年に現在も右打者の史上最高打率となる.378で首位打者を獲得するなど、セ・リーグ屈指の安打製造機として活躍した内川。にもかかわらず、当時在籍していた横浜(現DeNA)は最下位の常連で、いくら活躍してもチーム成績は上向かなかった。「勝ちたい」という思いが強かった内川は、FA権を取得すると即座に行使した。

 獲得に名乗りを挙げたのは横浜と、この年パ・リーグ優勝を果たしたソフトバンク、そして、00年のドラフトの際に内川を1位候補にも挙げていた広島。とくに広島はそれまで一度もFA選手の獲得を目指したことがなく、かなり話題となった。

 異例の動きだっただけあって、広島の熱意はかなりのものだった。当時の野村謙二郎監督は内川と同じ大分県出身で、その点も前面に押し出してかなり熱心に誘ったという。交渉の席で野村監督から「カープがFA選手を獲得しに行くのは歴史的なこと。優勝すればお前は歴史的な選手になれる」と口説かれ、内川もかなり心が動いたという。

 それでも最終的にソフトバンクを選んだのは、故郷大分に住む父親が観戦しやすかったから。また、「スタイルをまったく変える必要はない。今のままの君が欲しい」と王貞治球団会長から口説かれたことも大きかった。ただでさえ強豪球団だったソフトバンクは、内川の加入で常勝球団へと変貌していくこととなる。
 ▼杉内俊哉(2011年オフ)
○巨人:4年20億円
●ソフトバンク:4年22億円

 前身のダイエー時代からローテーションの中心として活躍した杉内だが、契約更改で揉めることでも有名だった。FA前年の10年には16勝7敗でリーグ優勝に貢献したにもかかわらず、年俸が5000万円アップ(3億円→3億5000万円)にとどまったことに不満で、親会社にひっかけて「携帯電話会社と同じですよ。新規加入の人には優しくて既存の人はそのまま」という名言も放っている。

 そんな杉内だったから、FA権は取得と同時に行使。球団も慰留の構えを見せ、杉内本人もあくまで交渉の材料として行使したつもりだったらしいが、それまでの経緯からフロントとの関係がこじれていたのが良くなかった。ホークスとの交渉は大荒れで、一説には球団関係者から「宣言したところで獲る球団などない」という言葉すら投げつけられたとも言われる。

 結局、杉内はソフトバンクより条件が低かった巨人に入団。金満で知られる2球団が条件を提示した数少ない選手であるが、どちらかと言えば杉内本人の事情により、あまり争奪戦らしくはならなかった。
 ▼丸佳浩(2018年オフ)
〇巨人:6年25億円
●広島:4年17億円
●ロッテ:4年20億円+監督手形

 16~18年に広島のリーグ3連覇に貢献し、2年連続でMVPに選ばれた丸に対し、巨人が食指を伸ばすのは想像できた。だが、他の2チームの参戦は異例のことだった。

 まず、古巣の広島。これまで「宣言残留」を認めてこなかったが、チームの柱である丸の流出危機に方針を転換し、宣言残留を容認した上で引き留め交渉に乗り出した。しかも単年あたりの条件は、それまで黒田博樹にしか提示されなかった4億円超えという異例の規模だった。

 また、丸の出身地である千葉に本拠を置くロッテも、それまでは資金力にそこまで余裕がなく、丸ほどの大物の獲得に乗り出したことなどなかった。現在でも日本人選手に3億円越えの年俸を与えたことのない球団が4年20億円もの大型契約を与えることが、どれほどの覚悟だったかは想像に難くない。しかも将来の監督手形まで付いていた。

 両チームの異例の交渉はともに実らず、丸は他の有力FA選手と同じように巨人入りを選択したが、異例尽くめの争奪戦は大きな注目を集めた。
 ▼浅村栄斗(2018年オフ)
○楽天:4年20億円
●西武:4年20億円
●ソフトバンク:4年25億円

 丸を巡って3球団が争っている頃、もう一人の目玉・浅村にも同じく3球団が壮絶なマネーゲームを展開していた。むしろ金額の規模では、丸以上に大きかったと言ってもいい。

 リーグ最強の“山賊打線”の中核を担い、打点王を獲得した強打の二塁手に対し、西武は4年20億円を提示して慰留。これに対してソフトバンクは、西武をはるかに上回る4年25億円(一説には28億円とも)の巨額契約を提示して、この時点で金額は明示していなかった楽天を牽制した(なお、オリックスも獲得に名乗りを挙げていたのだが、交渉のテーブルにつくことすら拒否されてしまった)。

 だが、楽天はあえて西武と同程度の条件を提示し、ソフトバンクとのマネーゲームには応じなかった。その代わり、石井一久GMは熱意で対抗。「絶対に活躍しないとアカンと思わなくていい。若い子が背中を見ているし、来てくれるだけでありがたい」との言葉が心に刺さり、浅村は楽天を選んだ……と、一般的には言われている。

 ただ、楽天が浅村に提示したオファーは出来高も含め「4年32~36億円」だったという説もある。平均に換算すると8~9億円で、後年、楽天に復帰した田中将大級の大型契約だったというのだ。正確な契約額が開示されるMLBとは異なり、日本で公表されるのはあくまで推定年俸のため真偽は不明ながら、もしこれが正しかったとすれば、金額の面ではまさに史上最大の争奪戦だったことになる。

文●筒居一孝(SLUGGER編集部)

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