「野球が楽しいんです」渡米4年目を3Aで迎えた筒香嘉智のいま。“超ユーティリティ”としてメジャーを目指す<SLUGGER>
2023年04月24日 06時00分THE DIGEST

開幕メジャー入りは果たせなかった筒香だが、悲壮感はまったくない。(C)Getty Images
4月6日のテキサス州南部は、例年とは違ってかなり涼しかった。天気予報は「曇りのち雨、ところにより雷雨」。プロ野球の試合を開催するには絶望的な状況だ。グラウンド・クルーによると、メキシコから中西部に至るまで、日本列島が2つぐらい入るんじゃないかと思えるほど広大な地域が雨雲に覆われているという。
ヒューストン郊外のシュガーランドで行なわれた前夜のマイナーリーグの試合も、3回途中でサスペンデッド・ゲームになっており、この日も怪しかった。
「こんなんで試合、やれるんですかね?」
雲を見上げ、そう言ったのは、筒香嘉智だった。
テキサス・レンジャーズ傘下の3A球団ラウンドロック・エクスプレスの背番号39は、座れば濡れてしまう芝生の上でウォーミングアップを終え、ダグアウトに帰ってきたばかりだった。
「とりあえず、昨日の途中から再開して9回までやって、それから7イニングのダブルヘッダーをやれたらやるらしいです」
マイナーリーガーはツラいだろう、というのはおそらく、メジャーリーグとの環境の違いを指して言うものだが、今の彼に会えば、そういう偏見は一瞬にして吹き飛んでしまう。
「そりゃ日本の二軍とかに比べたら、環境は良くないと思いますけれど、苦しいとか、しんどいとかそういう感覚はないんですよね。オープン戦が終わって、ちょっと時間が開いて開幕したんで、打席に立つ喜びみたいなものも感じてますし」
屈託のない笑顔に嘘はない。
ただし、過去3年の米国でのプロ野球生活を経て、レンジャーズのマイナー球団でプレーするに至るまでの道のりは、文字通り「山あり谷あり」だ。
2019年のオフにレイズと2年総額1200万ドルで契約(+ポスティング240万ドル)し、パンデミック下の2020年シーズンでアメリカン・リーグ制覇を成し遂げたチームの一員となった筒香。しかし、21年は開幕から不振で、26試合で打率.167と不振に陥り、5月にDFA(Designated for Assignment)となった。つまり、メジャーリーグ出場の最低条件である40人ロースターから外されたのである。
続いて加入したドジャースでも打率1割台と結果は芳しくなく、右ふくらはぎを傷めて負傷者リスト入り。リハビリ調整の最中に再び40人枠を外され、間もなく自由契約となった。
ベースボールの面白いところは、こういう字面だけでは分からない部分だ。筒香はドジャースのマイナーにいる間、メジャーリーグへの適応を念頭にレイズ時代に変えた打撃を、日本時代のスタイルに戻した。 当時、彼はこう言っている。
「レイズにいた時の打撃を映像とかデータで分析していくと、自分の形ではまったくバットを振れていなかった。コーチから『ボールまで最短でバットを強く振れ』みたいに、どちらかと言うとダウンスウィングでボールを捉えるみたいなことを求められたんですけど、それは本来の自分の打ち方じゃない。成績が出てなかったので、プラスになると思ってやりましたが、うまくいかなかった。そういうのはすべて、自分の責任だと思っています」
すべては自分次第なのだと彼は主張する。が、コーチングは大事だ。
「ドジャースの時に、レイズの時とベイスターズの時の打撃を比較して見せられたんですが、『キミは日本で良かったからこっちにきたのに、今はこうなっている。そこを直していこう』とアドバイスされたのが、良くなるきっかけでしたね」
ドジャース傘下の3Aオクラホマシティでは、8月の10試合で31打数12安打、2本塁打、11打点と打撃爆発。メジャーの出場枠が開かなかったため、自由契約になったものの、パイレーツとのメジャー契約につながった。パイレーツでは43試合に出場し、打率.268、8本塁打、25打点を記録し、その年のオフに1年400万ドルで再契約した。
では、ふたたび不振(35試合で打率.177、2本塁打15打点)を極め、パイレーツを自由契約となり、ブルージェイズのマイナーでシーズンを終えた22年には、何が起こっていたのか?
敵地セントルイスでの開幕戦シリーズでは、12打数4安打と前年の好調を維持していた。ところが、ホームに戻ってのシリーズで腰を傷め、そこから瞬く間に崩れていった。日本人選手に共通する「多少の怪我なら試合に出る」というプロ意識が逆風になった。「なるべく、腰に負担がかからない打ち方」「腰に無理をさせない動き」としているうちに本来の打撃を見失ったのだ。
「無意識に腰をかばう動きっていうのがどうしてもあった。ごまかしながらスウィングしているような感じで、痛みがあった時は身体が勝手に反応してしまっていた。IL(負傷者リスト)入りしてマイナーでリハビリして、腰は良くなったけど、怪我していた時の打ち方から元の打ち方に戻そうとしても、なかなか戻らなかったんです」
そんな状態での復帰は逆風にしかならず、8月にパイレーツを自由契約となったのはある意味、とても現実的な結果だった。そのままなら、何の期待も持てないシーズンだったろうが、9月にブルージェイズ傘下の3Aバッファローで29試合に出場し、打率.265、5本塁打18打点と好結果を残したことが、オフのレンジャーズとのマイナー契約につながった。
ところが、ここでも筒香に再三の苦難が訪れる。招待選手としてキャンプに参加し、開幕メジャーを狙うはずだったが、レンジャーズのビザ担当者のちょっとした不備が原因で、就労ビザが発給されたのはすでにキャンプが始まって2週間を過ぎた頃だった。
筒香にとってのキャンプ初日は、3月4日。チームのキャンプが始まった2月20日から2週間近く、オープン戦開始から8試合目の日。どうにもならない出遅れを取り戻すため、チーム全体の練習が終わってからも、個人の打撃練習を行なった。コーチ留学中の北海道日本ハムの金子千尋コーチが打撃投手を務めるなど、完全別メニューが付け加えられた。
「契約した時は外野として、だったんですが、その後で他の選手(ロビー・グロスマン)と契約したので、とりあえず一塁もやってくれと言われました」(筒香)
練習ではレフトと一塁を両方やったが、レンジャーズの首脳陣はどうも外野で起用する気はなさそうだった。実際、キャンプ合流から6日後、オープン戦に初出場した時から一塁として起用され、2安打3打点を記録した。「結果は非常に良かったんですけど、まだ微調整しなければいけない部分もある。打席の中で心配していたことが思っていたより良かった部分もあるし、そのへんは行ったり来たり。これからずっと、シーズンが終わるまで続くことだと思うので、しっかり日々やっていきます」
そのへんは行ったり、来たり――。
その言葉通り、絶好のスタートを切ったオープン戦だったが、出遅れを取り戻すために、いや、レンジャーズのブルース・ボウチー監督の言葉を借りれば、「なるべく多く打席を与えたい」がための強行出場に、次第に成績が落ち着いていく。
オープン戦では通常、1試合出ては1試合休み。連続出場するのは開幕が近づいた終盤のみのはずが、いきなり4試合連続出場すると、オフ日開けから再び、連続出場が続いた。彼自身は一切言い訳をしていないが、早朝には一塁守備を個別練習することも多く、午前中は個人練習、チーム練習に明け暮れ、午後はオープン戦出場と休む暇はなかった。
結果的に今年のオープン戦は、他の選手よりも20打席ほど足りない30打席前後に終わり、打率2割、1本塁打、6打点で開幕メジャーはならなかった。「開幕マイナー」が決まった時、筒香はキャンプ地でこう言っている。
「そこに関しては僕には左右できないところですので、今まで通り変わらず、やり続けるだけだなと思います。全然、暗くもなってないですし、明るく、前向きに変わらず、やっていこうと思っています」 テキサス州南部のマイナー球場で取材したのは、それから10日以上が経った日の午後だった。筒香は「まぁ、まだまだこれからですよ」と言った。
「キャンプでどうしても打席が少ないなかで、マイナーでのスタートとなりましたけど、ここではいつも試合に出て打席数が増えるので、良くなっていくんじゃないかなと思っています」
開幕から12勝6敗(勝率.667)でア・リーグ西地区の首位を快走するレンジャーズで、メジャーに昇格するのは簡単なことではない。だが、他の選手同様、彼がその場所を目指し、前進していることは確かだ。マイナーでの開幕直前、彼はチームからあるリクエストをされたという。
「ファーストだけではなく、サードもやってほしいということで、昨日あたりから練習し始めたんですけれど、それをいいように捉えてます」
内外野で複数のポジションを守れることは、昨今のメジャーリーグでは大きな武器になる。代打で途中出場した時の選択肢が増えるし、主力選手に休養を与えたいチームにとっては、マイナーの選手が「一塁」「左翼」「三塁」を守れるという事実は大きい。
だが、そんなことよりも重要なのは、今の筒香がアメリカでの4年目のシーズンを、過去にないほど地に足が着いたような感じで見つめていることではないかと思う。
マイナー開幕から2週間。4月21日時点で13試合に出場して打率.238(42打数10安打)ながら、1本塁打、7打点と、持ち前の勝負強さを発揮。打席での粘り強さも、出塁率.407という数字から見て取れる。
「野球が……オープン戦では最後まで打席に立っていたけど、キャンプが終わって、何日間か時間が空いていたので、打席に入る喜びとか、楽しさがある……はい、楽しいんです」
その楽しさにはきっと、まだ「その先」がある。
今はただ、広いアメリカ合衆国のどこかで行なわれているマイナーリーグの結果に、一喜一憂しながら、「その先」が来るのを待ち続けるのみだ――。
文●ナガオ勝司
【著者プロフィール】
シカゴ郊外在住のフリーランスライター。'97年に渡米し、アイオワ州のマイナーリーグ球団で取材活動を始め、ロードアイランド州に転居した'01年からはメジャーリーグが主な取材現場になるも、リトルリーグや女子サッカー、F1GPやフェンシングなど多岐に渡る。'08年より全米野球記者協会会員となり、現在は米野球殿堂の投票資格を有する。日米で職歴多数。私見ツイッター@KATNGO
ヒューストン郊外のシュガーランドで行なわれた前夜のマイナーリーグの試合も、3回途中でサスペンデッド・ゲームになっており、この日も怪しかった。
「こんなんで試合、やれるんですかね?」
雲を見上げ、そう言ったのは、筒香嘉智だった。
テキサス・レンジャーズ傘下の3A球団ラウンドロック・エクスプレスの背番号39は、座れば濡れてしまう芝生の上でウォーミングアップを終え、ダグアウトに帰ってきたばかりだった。
「とりあえず、昨日の途中から再開して9回までやって、それから7イニングのダブルヘッダーをやれたらやるらしいです」
マイナーリーガーはツラいだろう、というのはおそらく、メジャーリーグとの環境の違いを指して言うものだが、今の彼に会えば、そういう偏見は一瞬にして吹き飛んでしまう。
「そりゃ日本の二軍とかに比べたら、環境は良くないと思いますけれど、苦しいとか、しんどいとかそういう感覚はないんですよね。オープン戦が終わって、ちょっと時間が開いて開幕したんで、打席に立つ喜びみたいなものも感じてますし」
屈託のない笑顔に嘘はない。
ただし、過去3年の米国でのプロ野球生活を経て、レンジャーズのマイナー球団でプレーするに至るまでの道のりは、文字通り「山あり谷あり」だ。
2019年のオフにレイズと2年総額1200万ドルで契約(+ポスティング240万ドル)し、パンデミック下の2020年シーズンでアメリカン・リーグ制覇を成し遂げたチームの一員となった筒香。しかし、21年は開幕から不振で、26試合で打率.167と不振に陥り、5月にDFA(Designated for Assignment)となった。つまり、メジャーリーグ出場の最低条件である40人ロースターから外されたのである。
続いて加入したドジャースでも打率1割台と結果は芳しくなく、右ふくらはぎを傷めて負傷者リスト入り。リハビリ調整の最中に再び40人枠を外され、間もなく自由契約となった。
ベースボールの面白いところは、こういう字面だけでは分からない部分だ。筒香はドジャースのマイナーにいる間、メジャーリーグへの適応を念頭にレイズ時代に変えた打撃を、日本時代のスタイルに戻した。 当時、彼はこう言っている。
「レイズにいた時の打撃を映像とかデータで分析していくと、自分の形ではまったくバットを振れていなかった。コーチから『ボールまで最短でバットを強く振れ』みたいに、どちらかと言うとダウンスウィングでボールを捉えるみたいなことを求められたんですけど、それは本来の自分の打ち方じゃない。成績が出てなかったので、プラスになると思ってやりましたが、うまくいかなかった。そういうのはすべて、自分の責任だと思っています」
すべては自分次第なのだと彼は主張する。が、コーチングは大事だ。
「ドジャースの時に、レイズの時とベイスターズの時の打撃を比較して見せられたんですが、『キミは日本で良かったからこっちにきたのに、今はこうなっている。そこを直していこう』とアドバイスされたのが、良くなるきっかけでしたね」
ドジャース傘下の3Aオクラホマシティでは、8月の10試合で31打数12安打、2本塁打、11打点と打撃爆発。メジャーの出場枠が開かなかったため、自由契約になったものの、パイレーツとのメジャー契約につながった。パイレーツでは43試合に出場し、打率.268、8本塁打、25打点を記録し、その年のオフに1年400万ドルで再契約した。
では、ふたたび不振(35試合で打率.177、2本塁打15打点)を極め、パイレーツを自由契約となり、ブルージェイズのマイナーでシーズンを終えた22年には、何が起こっていたのか?
敵地セントルイスでの開幕戦シリーズでは、12打数4安打と前年の好調を維持していた。ところが、ホームに戻ってのシリーズで腰を傷め、そこから瞬く間に崩れていった。日本人選手に共通する「多少の怪我なら試合に出る」というプロ意識が逆風になった。「なるべく、腰に負担がかからない打ち方」「腰に無理をさせない動き」としているうちに本来の打撃を見失ったのだ。
「無意識に腰をかばう動きっていうのがどうしてもあった。ごまかしながらスウィングしているような感じで、痛みがあった時は身体が勝手に反応してしまっていた。IL(負傷者リスト)入りしてマイナーでリハビリして、腰は良くなったけど、怪我していた時の打ち方から元の打ち方に戻そうとしても、なかなか戻らなかったんです」
そんな状態での復帰は逆風にしかならず、8月にパイレーツを自由契約となったのはある意味、とても現実的な結果だった。そのままなら、何の期待も持てないシーズンだったろうが、9月にブルージェイズ傘下の3Aバッファローで29試合に出場し、打率.265、5本塁打18打点と好結果を残したことが、オフのレンジャーズとのマイナー契約につながった。
ところが、ここでも筒香に再三の苦難が訪れる。招待選手としてキャンプに参加し、開幕メジャーを狙うはずだったが、レンジャーズのビザ担当者のちょっとした不備が原因で、就労ビザが発給されたのはすでにキャンプが始まって2週間を過ぎた頃だった。
筒香にとってのキャンプ初日は、3月4日。チームのキャンプが始まった2月20日から2週間近く、オープン戦開始から8試合目の日。どうにもならない出遅れを取り戻すため、チーム全体の練習が終わってからも、個人の打撃練習を行なった。コーチ留学中の北海道日本ハムの金子千尋コーチが打撃投手を務めるなど、完全別メニューが付け加えられた。
「契約した時は外野として、だったんですが、その後で他の選手(ロビー・グロスマン)と契約したので、とりあえず一塁もやってくれと言われました」(筒香)
練習ではレフトと一塁を両方やったが、レンジャーズの首脳陣はどうも外野で起用する気はなさそうだった。実際、キャンプ合流から6日後、オープン戦に初出場した時から一塁として起用され、2安打3打点を記録した。「結果は非常に良かったんですけど、まだ微調整しなければいけない部分もある。打席の中で心配していたことが思っていたより良かった部分もあるし、そのへんは行ったり来たり。これからずっと、シーズンが終わるまで続くことだと思うので、しっかり日々やっていきます」
そのへんは行ったり、来たり――。
その言葉通り、絶好のスタートを切ったオープン戦だったが、出遅れを取り戻すために、いや、レンジャーズのブルース・ボウチー監督の言葉を借りれば、「なるべく多く打席を与えたい」がための強行出場に、次第に成績が落ち着いていく。
オープン戦では通常、1試合出ては1試合休み。連続出場するのは開幕が近づいた終盤のみのはずが、いきなり4試合連続出場すると、オフ日開けから再び、連続出場が続いた。彼自身は一切言い訳をしていないが、早朝には一塁守備を個別練習することも多く、午前中は個人練習、チーム練習に明け暮れ、午後はオープン戦出場と休む暇はなかった。
結果的に今年のオープン戦は、他の選手よりも20打席ほど足りない30打席前後に終わり、打率2割、1本塁打、6打点で開幕メジャーはならなかった。「開幕マイナー」が決まった時、筒香はキャンプ地でこう言っている。
「そこに関しては僕には左右できないところですので、今まで通り変わらず、やり続けるだけだなと思います。全然、暗くもなってないですし、明るく、前向きに変わらず、やっていこうと思っています」 テキサス州南部のマイナー球場で取材したのは、それから10日以上が経った日の午後だった。筒香は「まぁ、まだまだこれからですよ」と言った。
「キャンプでどうしても打席が少ないなかで、マイナーでのスタートとなりましたけど、ここではいつも試合に出て打席数が増えるので、良くなっていくんじゃないかなと思っています」
開幕から12勝6敗(勝率.667)でア・リーグ西地区の首位を快走するレンジャーズで、メジャーに昇格するのは簡単なことではない。だが、他の選手同様、彼がその場所を目指し、前進していることは確かだ。マイナーでの開幕直前、彼はチームからあるリクエストをされたという。
「ファーストだけではなく、サードもやってほしいということで、昨日あたりから練習し始めたんですけれど、それをいいように捉えてます」
内外野で複数のポジションを守れることは、昨今のメジャーリーグでは大きな武器になる。代打で途中出場した時の選択肢が増えるし、主力選手に休養を与えたいチームにとっては、マイナーの選手が「一塁」「左翼」「三塁」を守れるという事実は大きい。
だが、そんなことよりも重要なのは、今の筒香がアメリカでの4年目のシーズンを、過去にないほど地に足が着いたような感じで見つめていることではないかと思う。
マイナー開幕から2週間。4月21日時点で13試合に出場して打率.238(42打数10安打)ながら、1本塁打、7打点と、持ち前の勝負強さを発揮。打席での粘り強さも、出塁率.407という数字から見て取れる。
「野球が……オープン戦では最後まで打席に立っていたけど、キャンプが終わって、何日間か時間が空いていたので、打席に入る喜びとか、楽しさがある……はい、楽しいんです」
その楽しさにはきっと、まだ「その先」がある。
今はただ、広いアメリカ合衆国のどこかで行なわれているマイナーリーグの結果に、一喜一憂しながら、「その先」が来るのを待ち続けるのみだ――。
文●ナガオ勝司
【著者プロフィール】
シカゴ郊外在住のフリーランスライター。'97年に渡米し、
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